2017年08月15日
演奏会宣伝・ベートーヴェン/トリプル・コンチェルト
また演奏会の宣伝です。
8月19日(土)千歳文化センター・大ホールでコンチェルトを弾きます。
前回のエルガーから2ヶ月後に次のコンチェルトという、オケの平奏者にあるまじきスケジュール!
たぶん二度とこういうことはないでしょう。
コンチェルトの仕事なんて一生のうちに普通は数えるほどしかありませんからね・・。
さて、今回は「北海道ベートーヴェン協会」という怪しげな(失礼!)団体からのお仕事です。
なんでも、ベートーヴェンの交響曲9曲、協奏曲7曲(くらい?)、序曲たくさん・・など、とにかくオケの曲全てを2日間で演奏する企画だそうです。
最初は冗談かと思ったのですが(笑)、2年がかりで準備したというのでどうやら本気のようです。
オケが2年がかりで準備した割に、私に依頼が来たのは本番の3ヶ月前(!)で、これも最初は冗談かと思ったのですが(コンチェルトの準備には普通は1年位かかります)、本当でした。
エルガーのコンチェルトの直前だったし断ろうかとも思ったのですが、断ったところで誰か他の人に話しがいくだけで、それも悔しいという実に浅ましい理由で受けることにしました。
それに、トリプルのヴァイオリンは長年共演している三原さんだし、オケのコンマスは最近指導の仕事などでもご一緒させていただいている野村さん。オケのメンバーにも知った顔がチラホラいるようでとても楽しそうです。
「仕方ない、さらうか〜〜〜」というわけで、この2ヶ月はこの曲を寸暇を惜しんで練習していました。
ただまあ、このだけの話しですが、今回は「全曲演奏」という目指せギネス!的なコンセプトであって、一曲一曲のクォリティーはそこまで求められないのではないか・・・という・・・、いや、ここだけの話しです。本当に・・。オファーが来たのも3ヶ月前ですしね・・、うん、きっとね。
というわけで、最近は本当にたくさんチェロを練習しているので、私はなんだか以前よりチェロが上手になった気がします。たとえ勘違いであってもそう思えるのは良い傾向です。コンチェルトの仕事をたくさんこなしていると、きっとそういうよく分からない脳内物質みたいなものが出て「俺は上手いんだ〜〜!」という万能感に支配されるのでしょう。
ソリストの皆さんはきっとそういう脳内なんだと思います。じゃないと発狂するはずです。
現に私も今回の2連続でコンチェルトにものすごく耐性が着いている気がします。
チラシのスキャンを上げておきますので、19日土曜日の夜、お時間ありましたらドライブがてら千歳に聴きに来てください。(私の出番は19時位の予定です・チラシ参照) あ、忙しかったらいいですからね。ホント、無理しないでくださいね。
このコンチェルト、ヴァイオリンもピアノももちろん難しいんだけど、チェリストの間では「ギャラ倍ほしいよね・・」っていうくらいチェロが難しいんですよね・・(ボソ)
そんなわけで、この仕事が終わったらこんどこそ山に登ったり映画を観に行ったりしようと思っています。
8月19日(土)千歳文化センター・大ホールでコンチェルトを弾きます。
前回のエルガーから2ヶ月後に次のコンチェルトという、オケの平奏者にあるまじきスケジュール!
たぶん二度とこういうことはないでしょう。
コンチェルトの仕事なんて一生のうちに普通は数えるほどしかありませんからね・・。
さて、今回は「北海道ベートーヴェン協会」という怪しげな(失礼!)団体からのお仕事です。
なんでも、ベートーヴェンの交響曲9曲、協奏曲7曲(くらい?)、序曲たくさん・・など、とにかくオケの曲全てを2日間で演奏する企画だそうです。
最初は冗談かと思ったのですが(笑)、2年がかりで準備したというのでどうやら本気のようです。
オケが2年がかりで準備した割に、私に依頼が来たのは本番の3ヶ月前(!)で、これも最初は冗談かと思ったのですが(コンチェルトの準備には普通は1年位かかります)、本当でした。
エルガーのコンチェルトの直前だったし断ろうかとも思ったのですが、断ったところで誰か他の人に話しがいくだけで、それも悔しいという実に浅ましい理由で受けることにしました。
それに、トリプルのヴァイオリンは長年共演している三原さんだし、オケのコンマスは最近指導の仕事などでもご一緒させていただいている野村さん。オケのメンバーにも知った顔がチラホラいるようでとても楽しそうです。
「仕方ない、さらうか〜〜〜」というわけで、この2ヶ月はこの曲を寸暇を惜しんで練習していました。
ただまあ、このだけの話しですが、今回は「全曲演奏」という目指せギネス!的なコンセプトであって、一曲一曲のクォリティーはそこまで求められないのではないか・・・という・・・、いや、ここだけの話しです。本当に・・。オファーが来たのも3ヶ月前ですしね・・、うん、きっとね。
というわけで、最近は本当にたくさんチェロを練習しているので、私はなんだか以前よりチェロが上手になった気がします。たとえ勘違いであってもそう思えるのは良い傾向です。コンチェルトの仕事をたくさんこなしていると、きっとそういうよく分からない脳内物質みたいなものが出て「俺は上手いんだ〜〜!」という万能感に支配されるのでしょう。
ソリストの皆さんはきっとそういう脳内なんだと思います。じゃないと発狂するはずです。
現に私も今回の2連続でコンチェルトにものすごく耐性が着いている気がします。
チラシのスキャンを上げておきますので、19日土曜日の夜、お時間ありましたらドライブがてら千歳に聴きに来てください。(私の出番は19時位の予定です・チラシ参照) あ、忙しかったらいいですからね。ホント、無理しないでくださいね。
このコンチェルト、ヴァイオリンもピアノももちろん難しいんだけど、チェリストの間では「ギャラ倍ほしいよね・・」っていうくらいチェロが難しいんですよね・・(ボソ)
そんなわけで、この仕事が終わったらこんどこそ山に登ったり映画を観に行ったりしようと思っています。
Posted by arakihitoshi at 23:57
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2017年05月23日
演奏会宣伝 エルガー・コンチェルト
久しぶりの更新すぎて書き方を忘れています。
写真のアップロードでまごついてしまった・・・。
久しぶりといえばもうひとつ久しぶりのことが。
6月11日にエルガーのチェロコンチェルトを弾きます。
コンチェルトのソロを弾くのは何年ぶりかな〜。
とうわけで、非常にレアな演奏会です。日曜の昼下がりお暇だったらフラッと足をお運びください。
あ、忙しかったらいいですからね。ホント、ムリしないでください。
そして、もし来てくれたらデュプレやヨーヨー・マのCDのことは一旦忘れて温かい耳で聴きましょう。
オーケストラはノルト・シンフォニカーというアマチュア・オーケストラです。
3年ほど前からお手伝いに行っています。
楽しい雰囲気のよいオケですね。こころなしか美女が多い気がします。楽しいのはそのせいかもしれません。
指揮の山田美穂さんは合わせものがとても上手で、私のチェロにもピタピタ付けてくれるので気持ちがいいです。
それにしても、コンチェルトってやっぱり大変だな〜。
こういうのをいつもやっているソリストって本当に偉いと思います。
私はこの仕事が終わったら山に登ったり映画を観に行ったりしたいと思います。
それではごきげんよう。
ノルト・シンフォニカー:https://sites.google.com/site/nordsymphoniker/home
写真のアップロードでまごついてしまった・・・。
久しぶりといえばもうひとつ久しぶりのことが。
6月11日にエルガーのチェロコンチェルトを弾きます。
コンチェルトのソロを弾くのは何年ぶりかな〜。
とうわけで、非常にレアな演奏会です。日曜の昼下がりお暇だったらフラッと足をお運びください。
あ、忙しかったらいいですからね。ホント、ムリしないでください。
そして、もし来てくれたらデュプレやヨーヨー・マのCDのことは一旦忘れて温かい耳で聴きましょう。
オーケストラはノルト・シンフォニカーというアマチュア・オーケストラです。
3年ほど前からお手伝いに行っています。
楽しい雰囲気のよいオケですね。こころなしか美女が多い気がします。楽しいのはそのせいかもしれません。
指揮の山田美穂さんは合わせものがとても上手で、私のチェロにもピタピタ付けてくれるので気持ちがいいです。
それにしても、コンチェルトってやっぱり大変だな〜。
こういうのをいつもやっているソリストって本当に偉いと思います。
私はこの仕事が終わったら山に登ったり映画を観に行ったりしたいと思います。
それではごきげんよう。
ノルト・シンフォニカー:https://sites.google.com/site/nordsymphoniker/home
Posted by arakihitoshi at 16:14
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2016年02月18日
トリオ演奏会 その2
トリオ演奏会の第二回を開催します。
前回と同じメンバーで会場も同じです。
曲目はオール・チャイコフスキーです。
メインは『偉大な芸術家の思い出』。前半はトリオの小品やそれぞれのソロ曲を演奏します。
室内楽曲の非常に少ないチャイコフスキーですが、このピアノ三重奏曲はとても名曲だと思います。
室内楽曲にあるまじき難しさですが・・・。
「白鳥の湖」の中の曲(原曲もヴァイオリン・ソロ、チェロ・ソロ、ハープがメインで演奏される)や、くるみ割り人形の「花のワルツ」など超有名曲も取り上げましたので、クラシック・ビギナーのお友達も安心してお誘いくださいませ。
前回と同様、解説トークも交えたサロン風コンサートにします。
というわけで、ご来場お待ちしております。
P.S.メール、コメント等で申し込んで頂ければチケット取り置きします。当日、受付でお名前を言ってください。
前回と同じメンバーで会場も同じです。
曲目はオール・チャイコフスキーです。
メインは『偉大な芸術家の思い出』。前半はトリオの小品やそれぞれのソロ曲を演奏します。
室内楽曲の非常に少ないチャイコフスキーですが、このピアノ三重奏曲はとても名曲だと思います。
室内楽曲にあるまじき難しさですが・・・。
「白鳥の湖」の中の曲(原曲もヴァイオリン・ソロ、チェロ・ソロ、ハープがメインで演奏される)や、くるみ割り人形の「花のワルツ」など超有名曲も取り上げましたので、クラシック・ビギナーのお友達も安心してお誘いくださいませ。
前回と同様、解説トークも交えたサロン風コンサートにします。
というわけで、ご来場お待ちしております。
P.S.メール、コメント等で申し込んで頂ければチケット取り置きします。当日、受付でお名前を言ってください。
Posted by arakihitoshi at 23:33
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2015年08月14日
演奏会の宣伝
今日は演奏会の宣伝です。
こんなに更新しないページをご覧になっているアナタに耳寄りな情報です!
久しぶりに自主公演をします。
本当に久しぶり。前にしたのは・・・・、記憶が定かでないのですが、たぶん6〜7年前くらいの気がします。
ノンノン・マリアの頃ですね。
今回はピアノ三重奏です。
と言ってもトリオは後半だけで前半はソロを弾きます。
ドヴォルザークを中心に、ゆかりのブラームスとシューマンの曲も演奏するという企画っぽい要素も取り入れつつ、長年気の合ったメンバーと好きな曲をやります。
私も気がつけば来月50歳になっちゃうんですよ〜。
そろそろこういうことやっていかないと、おじいさんになっちゃいますからね・・。
それに、50歳くらいなると周りからいろいろ言われなくなって急にラクになります。
なので、自主公演もこれからはちゃんちゃんとやっていけたらな、と思います。
昼公演と夜公演の2公演します。販路も確保せずいきなり2公演っていうのがいいでしょ?(w
夜公演の売上がイマイチです。なので、昼でも夜でもどっちでもオッケーの方は夜来てください。
昼しか来れない人は昼に来てください。
でも会場が小さいので(70〜80人くらい)昼の方は急ぎめで・・。
どっちも来れない人はチケットだけでも買ってください!!
チケットのお申し込み(予約)は、宮越屋珈琲パリアッチ 011-532-8333 まで。
ちなみに、問合せ先になっているこの喫茶店はホールのすぐ近くにあるのですが、マスターとオーディオが素晴らしい喫茶店で、最近の私の避難所です。
というわけで、でひおいでください!
追記: こちらのアドレスにメールいただければ当日取り置きもします。
araki.cello@gmail.com (私の個人アドレスです)
こんなに更新しないページをご覧になっているアナタに耳寄りな情報です!
久しぶりに自主公演をします。
本当に久しぶり。前にしたのは・・・・、記憶が定かでないのですが、たぶん6〜7年前くらいの気がします。
ノンノン・マリアの頃ですね。
今回はピアノ三重奏です。
と言ってもトリオは後半だけで前半はソロを弾きます。
ドヴォルザークを中心に、ゆかりのブラームスとシューマンの曲も演奏するという企画っぽい要素も取り入れつつ、長年気の合ったメンバーと好きな曲をやります。
私も気がつけば来月50歳になっちゃうんですよ〜。
そろそろこういうことやっていかないと、おじいさんになっちゃいますからね・・。
それに、50歳くらいなると周りからいろいろ言われなくなって急にラクになります。
なので、自主公演もこれからはちゃんちゃんとやっていけたらな、と思います。
昼公演と夜公演の2公演します。販路も確保せずいきなり2公演っていうのがいいでしょ?(w
夜公演の売上がイマイチです。なので、昼でも夜でもどっちでもオッケーの方は夜来てください。
昼しか来れない人は昼に来てください。
でも会場が小さいので(70〜80人くらい)昼の方は急ぎめで・・。
どっちも来れない人はチケットだけでも買ってください!!
チケットのお申し込み(予約)は、宮越屋珈琲パリアッチ 011-532-8333 まで。
ちなみに、問合せ先になっているこの喫茶店はホールのすぐ近くにあるのですが、マスターとオーディオが素晴らしい喫茶店で、最近の私の避難所です。
というわけで、でひおいでください!
追記: こちらのアドレスにメールいただければ当日取り置きもします。
araki.cello@gmail.com (私の個人アドレスです)
Posted by arakihitoshi at 01:51
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2015年06月24日
タヂリガマに行く
歩兵第22連隊は、愛媛県松山市で建軍された日本陸軍の歩兵連隊である。
日露戦争以降、『伊予の肉弾連隊』と畏怖された精鋭部隊であった。愛媛県人が主力をなし、全兵力は最盛期で約3000名。
沖縄戦では、首里城北方の守備を担当し、沖縄戦の大激戦となった嘉数の戦い、シュガーローフの戦いに増援部隊として参加した。
那覇市北部の守備陣地において、沖縄県民の盾となって奮戦し、20倍以上の戦力差があるアメリカ軍と対戦して、50日間以上もの間一歩も退かぬ善戦を見せた。
この嘉数高地の戦いにおいて、アメリカ軍は日本軍守備隊の健闘を「歩兵戦闘の極み」と賞した。嘉数の戦いによりアメリカ陸軍は1個師団の後退を余儀なくされている。
4月12日には日本軍最後の攻勢の主力として第62師団に編入され、日本軍一斉反撃の先頭に立ったが米軍の砲撃の前に攻勢は挫折した。
その後歩兵第22連隊は、喜屋武半島に撤退し、抗戦を続け、真壁タヂリガマの壕は 6月15日まで22連隊本部として使用されていた。
1945年(昭和20年)6月24日真栄里において、連隊長の吉田勝中佐は連隊旗を奉焼し、その後米軍によって洞窟陣地に爆薬が投げ込まれ全員が戦死した。翌日沖縄本島守備の日本軍玉砕が発表される。(以上、Wikipedia等より抜粋)
少し前になるが休日を利用して家族で沖縄に行った。
観光がメインだが、子供達を連れてひめゆりの塔や、できれば糸満市真壁のタヂリガマを探し当てたいと思った。
上の記事の連隊長吉田勝中佐は私の大叔父にあたる。母方の祖父(故人)の兄である。
こう書くと何か自慢めいた話しが始まるのかと思う方もいるかもしれないがそうではない。
私の祖父や母方の親戚たちは、戦争の話しはしたがらなかった。
現在49歳の私の子供時代、日本社会は今よりずっと戦争(敗戦)の記憶が生々しかった気がする。自分の縁者が戦争で名を上げた、などということを無邪気に語る雰囲気では到底なかった。
私もそのマインドを引き継いでいる。
その私の子供時代の話である。祖父は兄である吉田勝さんのことをとても尊敬していた。遺骨の入っていない墓の前で手を合わせ「この人は沖縄で戦死したおじいちゃんのお兄さんだ」とだけ子供だった私に教えてくれた。
祖父は戦争時代、満州に軍医として従軍した。前線の野戦病院で敵の銃弾で右肩を撃ちぬかれ(一緒に風呂に入った時に銃創の跡がたしかにあった)、治療のため帰国し、広島の陸軍病院に勤務しているところに原爆が落ちた。爆心地から500mの距離である。
よくは分からないが、自身もまた戦争には言い尽くせない思いがあったのだと思う。
祖父や祖父とともに広島にいた祖母、当時赤ん坊や幼児だった私の母と姉妹たちは奇跡的に原爆の難から助かったが、祖父や祖母が原爆が落ちた時のことを語ることはほとんどなかった。
その祖父が亡くなって20年以上になる。
恥ずかしい話だが吉田勝さんのことも忘れかけていた。
沖縄旅行の話しが持ち上がり、そういえば・・・、と思い出したのである。
祖父が亡くなった後、叔母などの話しで吉田勝さんがどこかの連隊の隊長として沖縄戦の相当末期まで戦っていたことは知っていた。
今回、その情報を頼りにネットで調べてみたところ、沖縄南部の真壁(まかべ)というところに連隊の慰霊碑があることが分かった。
ひめゆりの塔から僅か300〜400メートルくらいの距離である。
さて、実際にこのエリアに行ってみると沖縄戦の最期は、この逃げ場のない狭い地域に日本軍と住民が追い込まれていったことを実感する。
北海道から考えると信じられないほどの細い道をカーナビと地図を頼りに歩兵第22連隊の慰霊碑を探すが何度も迷い、住民に訊いたりしてやっと見つけた。
慰霊碑の裏にはたしかに吉田勝の名前があった。ちょっと感動する。子供たちと合掌した。
すぐ近くに塹壕のような洞窟がある。これがこの地域特有の自然洞窟のガマというものらしい。『ひめゆりの塔が建っている沖縄陸軍病院第三外科壕跡も、そうしたガマのうちの一つである。(wikipedia)』ということである。
ガマの周辺には不発弾がたくさん並べてあった。意味するところは分からない。
しかし、連隊本部のあったタヂリガマはこのガマではない。ここから少し離れた場所にあるらしいのだ。
慰霊碑にさえ行けば何とか探せると踏んでいたのがだ、ここにはまったく手がかりらしきものはない。
諦めかけたのだが、実は私の従妹にいわゆる”歴女”がいて、「沖縄で戦死したおじいちゃんのお兄さんの足跡を訪ねて・・云々」と昔話していたのを思い出す。
ダメ元で携帯から電話したところ、なんと第22聯隊のこともすっかり調査済み、タヂリガマにも10年前に訪問済みというではないか!。
携帯で道順を聞きながらサトウキビ畑のあぜ道を行くと、従妹の案内通りこんもりと茂った神社の鎮守の森のような場所があった。この森の中にタヂリガマがあるというのだ。
私有地ということなので、サトウキビ畑で農作業している方に許可を取って入らせていただいた。
少し興奮気味に草を分け入って進んでいくと、タヂリガマがあった!。
下の写真では分かりにくいが、入り口は大人が腰をかがめてやっと通れるくらいである。中を少し覗いたが奥は意外と広い。
しかし、連隊本部があったにしては信じられないほど狭い。長年放置されて土に埋まってはいるだろうが・・。
70年前、大叔父たちは今私がいるこの洞窟で、アメリカ軍の砲弾が雨のように降る中、何十日も応戦し耐えたのだ。
敵の砲弾だけではない。飢えや暑さや虫やハブだっているだろうし、病気だって・・・。
なにより、その絶望的な状況の中、どうやって精神を保ったのか・・。現代に生きる私には想像すらできない。
しばし、ガマの前で黙祷する。
帰りにサトウキビ畑の老人と少し話した。沖縄訛りというのだろうか。聞き取りにくいがなんとも言えない味がある。
北海道から来たと告げると、収穫中のサトウキビの茎を家族の人数分ナタで切って渡してくれた。
ずっしりと重い茎は舐めてすぐに味が分かるわけではなかったが、割いて長いこと噛んでいるうちにほのかな甘みが口の中を満たした。
札幌に帰ってきてからしばらくして、母方の実家のあった余市に行く用事があった。
吉田勝さんの墓は祖父や祖母の墓から少し離れた所にある。
その墓に参るのは子供の頃以来である。長年の無沙汰を詫び、そして、祖父の墓には吉田勝さんの記憶を子供たちに伝えたことを報告した。
これを書いているのは6月24日だが、前日は沖縄戦の終戦の日であった。
安全保障法制の問題のせいか、例年より沖縄戦終戦日の報道が大きかった気がする。
今回、タヂリガマに行けて本当によかったと思う。
日露戦争以降、『伊予の肉弾連隊』と畏怖された精鋭部隊であった。愛媛県人が主力をなし、全兵力は最盛期で約3000名。
沖縄戦では、首里城北方の守備を担当し、沖縄戦の大激戦となった嘉数の戦い、シュガーローフの戦いに増援部隊として参加した。
那覇市北部の守備陣地において、沖縄県民の盾となって奮戦し、20倍以上の戦力差があるアメリカ軍と対戦して、50日間以上もの間一歩も退かぬ善戦を見せた。
この嘉数高地の戦いにおいて、アメリカ軍は日本軍守備隊の健闘を「歩兵戦闘の極み」と賞した。嘉数の戦いによりアメリカ陸軍は1個師団の後退を余儀なくされている。
4月12日には日本軍最後の攻勢の主力として第62師団に編入され、日本軍一斉反撃の先頭に立ったが米軍の砲撃の前に攻勢は挫折した。
その後歩兵第22連隊は、喜屋武半島に撤退し、抗戦を続け、真壁タヂリガマの壕は 6月15日まで22連隊本部として使用されていた。
1945年(昭和20年)6月24日真栄里において、連隊長の吉田勝中佐は連隊旗を奉焼し、その後米軍によって洞窟陣地に爆薬が投げ込まれ全員が戦死した。翌日沖縄本島守備の日本軍玉砕が発表される。(以上、Wikipedia等より抜粋)
少し前になるが休日を利用して家族で沖縄に行った。
観光がメインだが、子供達を連れてひめゆりの塔や、できれば糸満市真壁のタヂリガマを探し当てたいと思った。
上の記事の連隊長吉田勝中佐は私の大叔父にあたる。母方の祖父(故人)の兄である。
こう書くと何か自慢めいた話しが始まるのかと思う方もいるかもしれないがそうではない。
私の祖父や母方の親戚たちは、戦争の話しはしたがらなかった。
現在49歳の私の子供時代、日本社会は今よりずっと戦争(敗戦)の記憶が生々しかった気がする。自分の縁者が戦争で名を上げた、などということを無邪気に語る雰囲気では到底なかった。
私もそのマインドを引き継いでいる。
その私の子供時代の話である。祖父は兄である吉田勝さんのことをとても尊敬していた。遺骨の入っていない墓の前で手を合わせ「この人は沖縄で戦死したおじいちゃんのお兄さんだ」とだけ子供だった私に教えてくれた。
祖父は戦争時代、満州に軍医として従軍した。前線の野戦病院で敵の銃弾で右肩を撃ちぬかれ(一緒に風呂に入った時に銃創の跡がたしかにあった)、治療のため帰国し、広島の陸軍病院に勤務しているところに原爆が落ちた。爆心地から500mの距離である。
よくは分からないが、自身もまた戦争には言い尽くせない思いがあったのだと思う。
祖父や祖父とともに広島にいた祖母、当時赤ん坊や幼児だった私の母と姉妹たちは奇跡的に原爆の難から助かったが、祖父や祖母が原爆が落ちた時のことを語ることはほとんどなかった。
その祖父が亡くなって20年以上になる。
恥ずかしい話だが吉田勝さんのことも忘れかけていた。
沖縄旅行の話しが持ち上がり、そういえば・・・、と思い出したのである。
祖父が亡くなった後、叔母などの話しで吉田勝さんがどこかの連隊の隊長として沖縄戦の相当末期まで戦っていたことは知っていた。
今回、その情報を頼りにネットで調べてみたところ、沖縄南部の真壁(まかべ)というところに連隊の慰霊碑があることが分かった。
ひめゆりの塔から僅か300〜400メートルくらいの距離である。
さて、実際にこのエリアに行ってみると沖縄戦の最期は、この逃げ場のない狭い地域に日本軍と住民が追い込まれていったことを実感する。
北海道から考えると信じられないほどの細い道をカーナビと地図を頼りに歩兵第22連隊の慰霊碑を探すが何度も迷い、住民に訊いたりしてやっと見つけた。
慰霊碑の裏にはたしかに吉田勝の名前があった。ちょっと感動する。子供たちと合掌した。
すぐ近くに塹壕のような洞窟がある。これがこの地域特有の自然洞窟のガマというものらしい。『ひめゆりの塔が建っている沖縄陸軍病院第三外科壕跡も、そうしたガマのうちの一つである。(wikipedia)』ということである。
ガマの周辺には不発弾がたくさん並べてあった。意味するところは分からない。
しかし、連隊本部のあったタヂリガマはこのガマではない。ここから少し離れた場所にあるらしいのだ。
慰霊碑にさえ行けば何とか探せると踏んでいたのがだ、ここにはまったく手がかりらしきものはない。
諦めかけたのだが、実は私の従妹にいわゆる”歴女”がいて、「沖縄で戦死したおじいちゃんのお兄さんの足跡を訪ねて・・云々」と昔話していたのを思い出す。
ダメ元で携帯から電話したところ、なんと第22聯隊のこともすっかり調査済み、タヂリガマにも10年前に訪問済みというではないか!。
携帯で道順を聞きながらサトウキビ畑のあぜ道を行くと、従妹の案内通りこんもりと茂った神社の鎮守の森のような場所があった。この森の中にタヂリガマがあるというのだ。
私有地ということなので、サトウキビ畑で農作業している方に許可を取って入らせていただいた。
少し興奮気味に草を分け入って進んでいくと、タヂリガマがあった!。
下の写真では分かりにくいが、入り口は大人が腰をかがめてやっと通れるくらいである。中を少し覗いたが奥は意外と広い。
しかし、連隊本部があったにしては信じられないほど狭い。長年放置されて土に埋まってはいるだろうが・・。
70年前、大叔父たちは今私がいるこの洞窟で、アメリカ軍の砲弾が雨のように降る中、何十日も応戦し耐えたのだ。
敵の砲弾だけではない。飢えや暑さや虫やハブだっているだろうし、病気だって・・・。
なにより、その絶望的な状況の中、どうやって精神を保ったのか・・。現代に生きる私には想像すらできない。
しばし、ガマの前で黙祷する。
帰りにサトウキビ畑の老人と少し話した。沖縄訛りというのだろうか。聞き取りにくいがなんとも言えない味がある。
北海道から来たと告げると、収穫中のサトウキビの茎を家族の人数分ナタで切って渡してくれた。
ずっしりと重い茎は舐めてすぐに味が分かるわけではなかったが、割いて長いこと噛んでいるうちにほのかな甘みが口の中を満たした。
札幌に帰ってきてからしばらくして、母方の実家のあった余市に行く用事があった。
吉田勝さんの墓は祖父や祖母の墓から少し離れた所にある。
その墓に参るのは子供の頃以来である。長年の無沙汰を詫び、そして、祖父の墓には吉田勝さんの記憶を子供たちに伝えたことを報告した。
これを書いているのは6月24日だが、前日は沖縄戦の終戦の日であった。
安全保障法制の問題のせいか、例年より沖縄戦終戦日の報道が大きかった気がする。
今回、タヂリガマに行けて本当によかったと思う。
Posted by arakihitoshi at 23:27
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2014年08月17日
「マッサン」が来るぞ!
お盆に余市町に墓参りに行ってきました。
私は両親揃って余市出身なので今でも墓参りも含めて年に何度かは余市に行くのです。
余市といえば宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地だったり、ニッカウヰスキーがあったり、
果物やワインの産地だったり何かと有名なお土地柄です(たぶん)。
そしてまた新たにビッグな話題が加わろうとしています!!デンドンデンドンッ!(ティンパニーで)
そう、来年のNHK朝ドラ「マッサン」の舞台になるというではありませんか!シャーン(ドラで)
このようにまさに鳴り物入りで降って湧いた話に地元はさぞ盛り上がっているのだろうと思いきや、
意外と静か・・・・
私はてっきり蘭島のトンネルを超えた途端に気温が2〜3度上がる勢いかと思っていたのですが。
『「マッサン」ゆかりの地 余市町へようこそ』と書いた幟が商店街や駅前に立ってはいるのですが、ハッキリ言って”地味”です。
一応立てたぞ、みたいな感じというか・・・。
知り合い(親戚ではない)に聞いたところ地元での反応は割りと冷静だとか・・。
そして期待より不安が大きいとも・・・
観光客が大挙して押し寄せて街の様子が一変してしまわないか不安というのもあるけども、それより不安なのが余市がドラマの中でどう描かれるかだとか。
うーむ、確かに今放送している「花子とアン」に出てくる甲府の”おとお”や”おかあ”の様子を見ると不安になるのも無理はないかな・・(笑)。
いくら貧乏でも顔くらいは洗わないかな?、井戸水はタダなんだからさ。と思うのは私だけではないはず。
いやいや!、「花子とアン」は面白いですよ!。大好きで毎朝見てます。
吉高由里子もすごく好きだし!
特に映画「カイジ2 人生奪回ゲーム」でのメイド姿には超萌えたな。
しかし、吉高由里子と言えば隈取りみたいなアイライン。そして虚ろな目をした不良少女役の似合うサブカル系B級映画のプリンセスみたいな印象でしたが・・、朝ドラのお嬢様風の役って驚いきました。
話がそれました。
余市に戻ります。
で、甲府であの状態だと戦前の余市なんてどうってしまうんでしょう。
海藻を繋ぎあわせたようなボロをまとった北海ド民たちが海と崖の隙間に穴を掘ってへばり付くみたいに暮らしてたらどうしようとか、
そんなところにマッサンがリタ夫人を連れて来て、神が降臨した思った北海ド民たちがウッホウッホ言いながら拝み出したらどうしようとか、
たしかに不安と言えば不安です・・・
泉ピン子がお母さん役というのも「おしん」を彷彿として不安を煽ります。
私の母の子供の頃の記憶で、リタ夫人の住んでいる洋風の館がそれはそれは立派でわざわざ見に行ったそうなので、まあ土着民との生活レベルに多少の格差があったのでしょうが、「ウッホウッホ」はなかったはず。
地味に見える幟が期待と不安の混じった複雑な心情を物語っているのかもしれません(と、まとめてみる)。
この期に乗じて室内楽演奏会の2〜3本も売り込もうと思ってたのですが。
私の一番の不安は長年飲み続けている「竹鶴」や「余市」が品薄になることです。
でもドラマは楽しみたいと思います。せっかく余市なんだし、西田尚美出るし。
ドラマ効果で余市がいい感じで潤ってくれればいいなと思います。
ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
あ、久々の更新で頼むのもナンだけど、ポチっといてちょ。
私は両親揃って余市出身なので今でも墓参りも含めて年に何度かは余市に行くのです。
余市といえば宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地だったり、ニッカウヰスキーがあったり、
果物やワインの産地だったり何かと有名なお土地柄です(たぶん)。
そしてまた新たにビッグな話題が加わろうとしています!!デンドンデンドンッ!(ティンパニーで)
そう、来年のNHK朝ドラ「マッサン」の舞台になるというではありませんか!シャーン(ドラで)
このようにまさに鳴り物入りで降って湧いた話に地元はさぞ盛り上がっているのだろうと思いきや、
意外と静か・・・・
私はてっきり蘭島のトンネルを超えた途端に気温が2〜3度上がる勢いかと思っていたのですが。
『「マッサン」ゆかりの地 余市町へようこそ』と書いた幟が商店街や駅前に立ってはいるのですが、ハッキリ言って”地味”です。
一応立てたぞ、みたいな感じというか・・・。
知り合い(親戚ではない)に聞いたところ地元での反応は割りと冷静だとか・・。
そして期待より不安が大きいとも・・・
観光客が大挙して押し寄せて街の様子が一変してしまわないか不安というのもあるけども、それより不安なのが余市がドラマの中でどう描かれるかだとか。
うーむ、確かに今放送している「花子とアン」に出てくる甲府の”おとお”や”おかあ”の様子を見ると不安になるのも無理はないかな・・(笑)。
いくら貧乏でも顔くらいは洗わないかな?、井戸水はタダなんだからさ。と思うのは私だけではないはず。
いやいや!、「花子とアン」は面白いですよ!。大好きで毎朝見てます。
吉高由里子もすごく好きだし!
特に映画「カイジ2 人生奪回ゲーム」でのメイド姿には超萌えたな。
しかし、吉高由里子と言えば隈取りみたいなアイライン。そして虚ろな目をした不良少女役の似合うサブカル系B級映画のプリンセスみたいな印象でしたが・・、朝ドラのお嬢様風の役って驚いきました。
話がそれました。
余市に戻ります。
で、甲府であの状態だと戦前の余市なんてどうってしまうんでしょう。
海藻を繋ぎあわせたようなボロをまとった北海ド民たちが海と崖の隙間に穴を掘ってへばり付くみたいに暮らしてたらどうしようとか、
そんなところにマッサンがリタ夫人を連れて来て、神が降臨した思った北海ド民たちがウッホウッホ言いながら拝み出したらどうしようとか、
たしかに不安と言えば不安です・・・
泉ピン子がお母さん役というのも「おしん」を彷彿として不安を煽ります。
私の母の子供の頃の記憶で、リタ夫人の住んでいる洋風の館がそれはそれは立派でわざわざ見に行ったそうなので、まあ土着民との生活レベルに多少の格差があったのでしょうが、「ウッホウッホ」はなかったはず。
地味に見える幟が期待と不安の混じった複雑な心情を物語っているのかもしれません(と、まとめてみる)。
この期に乗じて室内楽演奏会の2〜3本も売り込もうと思ってたのですが。
私の一番の不安は長年飲み続けている「竹鶴」や「余市」が品薄になることです。
でもドラマは楽しみたいと思います。せっかく余市なんだし、西田尚美出るし。
ドラマ効果で余市がいい感じで潤ってくれればいいなと思います。
ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
あ、久々の更新で頼むのもナンだけど、ポチっといてちょ。
2014年05月28日
LPV3-U2でiP4500を無線化(備忘録)
今日は通常のブログではありません。
PCの備忘録です。すんません・・・ m(_ _)m
無線ルーター(BUFFALO AirStation WHR-HP-G)にプリントサーバー有線タイプ(BUFFALO LPV3-U2)を繋ぎ、プリントサーバーにはCANON iP4500プリンターを繋ぎます。
そして、Windows7(64bit)マシン、Windows8(32bit)マシン、iMacにbootcampで入ってるWindows7(64bit)、iMac(OS X バージョン10.9.3)、MacBookAir(OS X バージョン10.9.3)の計4台のPC(Bootcampを合わせると5つ)全てから無線でプリンターを動かします。
こういう状態
Windows7,
Windows8, ))))))「AirStation」==「LPV3-U2」==「Canon iP4500」
iMac(Bootcamp),
MacBookAir,
ネットに情報も少なく普通の方法ではダメでかなり苦労したので備忘録をしたためます。
Windowsの設定は7も8も同じです(設定画面までの行き方が若干異なりますが)。代表してWindows7のを書きます。
Win,MacともまずプリンターのIPアドレスを確認する必要があります。
Windowsマシンで確認してください(方法はググってください)
Windowsの設定(Windows7)
1.既にインストールしてあったらLPV3マネージャーをアンインストール(付属のLPV3マネージャーは使いません)
2.<スタート>→<デバイスとプリンター>→<デバイスの削除>で設定してあるプリンターを削除
3.同じウィンドウで<プリンターの追加>→<ローカルプリンターを追加>
4.<新しいポートの作成>→<Standard TCP/IP Port>を選択。<次へ>をクリッック
5.設定画面で下の画像の様に設定。
・ポート名には確認したプリンターのIPアドレスを入力
・プロトコルはLPR(L)を選択
・キュー名には「lp」と入力
6.「OK」を押しあとは指示に従い「テスト印刷」ができれば完了
Macの設定(OS X 10.9.3)
1.<システム環境設定>→<プリンターとスキャナ>
2.「ー」で設定済みのプリンターを削除
3.「+」で「プリンタまたはスキャナを追加」
4.IPタブをクリックし下の画像の様に入力
・アドレスにはWindowsで確認したプリンターのIPアドレスを入力
・プロトコルはLPDを選択
・キューには「lp」と入力
・ドライバーで「Canon iP4500 series」を選択
5.印刷できれば完了
ただし双方向通信ができません。
プリンターのインク情報など確認したいので私はメイン機のiMacだけは有線で接続しています。
以上です。
PCの備忘録です。すんません・・・ m(_ _)m
無線ルーター(BUFFALO AirStation WHR-HP-G)にプリントサーバー有線タイプ(BUFFALO LPV3-U2)を繋ぎ、プリントサーバーにはCANON iP4500プリンターを繋ぎます。
そして、Windows7(64bit)マシン、Windows8(32bit)マシン、iMacにbootcampで入ってるWindows7(64bit)、iMac(OS X バージョン10.9.3)、MacBookAir(OS X バージョン10.9.3)の計4台のPC(Bootcampを合わせると5つ)全てから無線でプリンターを動かします。
こういう状態
Windows7,
Windows8, ))))))「AirStation」==「LPV3-U2」==「Canon iP4500」
iMac(Bootcamp),
MacBookAir,
ネットに情報も少なく普通の方法ではダメでかなり苦労したので備忘録をしたためます。
Windowsの設定は7も8も同じです(設定画面までの行き方が若干異なりますが)。代表してWindows7のを書きます。
Win,MacともまずプリンターのIPアドレスを確認する必要があります。
Windowsマシンで確認してください(方法はググってください)
Windowsの設定(Windows7)
1.既にインストールしてあったらLPV3マネージャーをアンインストール(付属のLPV3マネージャーは使いません)
2.<スタート>→<デバイスとプリンター>→<デバイスの削除>で設定してあるプリンターを削除
3.同じウィンドウで<プリンターの追加>→<ローカルプリンターを追加>
4.<新しいポートの作成>→<Standard TCP/IP Port>を選択。<次へ>をクリッック
5.設定画面で下の画像の様に設定。
・ポート名には確認したプリンターのIPアドレスを入力
・プロトコルはLPR(L)を選択
・キュー名には「lp」と入力
6.「OK」を押しあとは指示に従い「テスト印刷」ができれば完了
Macの設定(OS X 10.9.3)
1.<システム環境設定>→<プリンターとスキャナ>
2.「ー」で設定済みのプリンターを削除
3.「+」で「プリンタまたはスキャナを追加」
4.IPタブをクリックし下の画像の様に入力
・アドレスにはWindowsで確認したプリンターのIPアドレスを入力
・プロトコルはLPDを選択
・キューには「lp」と入力
・ドライバーで「Canon iP4500 series」を選択
5.印刷できれば完了
ただし双方向通信ができません。
プリンターのインク情報など確認したいので私はメイン機のiMacだけは有線で接続しています。
以上です。
2014年05月22日
『講演会コンサート』の販売促進
今日は『講演会コンサート』販売の情報です。
学校関係、自治体関係、ホール関係などの主催事業担当者様に耳寄りな情報でございます。
予算はあるけど適当なコンテンツがない、そんなときはぜひお気軽にお問い合わせください。
また音楽好きの担当者様、さらっと普通にコンサートを企画できればよいのにコンサートでは稟議が通らないなどいろいろな事情がありますよね?
そんな時はぜひ『講演会コンサート』をお考えください。
講演会ともコンサートともつかない(どちらとも言える)催しは私のもっとも得意とする分野です(笑)。TPOに合わせて講演会ともコンサートとも呼べるので諸々の事情に大変便利ですね。
さて、市内の中学校でPTAを対象にこんな演奏会コンサートをしてきました。
クラシック音楽にまつわるお話をしながらチェロの演奏もします。
それだけ聞くと「なんだ・・、普通のサロンコンサートじゃん」と思われるかもしれませんが、下の画像のようにkeynoteで私が丹精込めて作ったプレゼン風のフローや資料を投影しながら話を進めます。そこがミソです!。ご覧の様に画像を見る限り講演会なのかコンサートなのか全く判断がつきません。
ちなみに、この日の講演会としてのレジュメは、
・擦弦楽器の歴史
・クラシック音楽、興味はあるけど最初になにを聴いたらいいの?
・これされ守れば大丈夫!、コンサート会場のマナー10
・頭の良くなるクラシックって?
・絶対音感は本当に必要?
・音楽教育業界のウソ・ホント
・オーケストラの台所事情とエル・システマ
音楽教育関係については20年余に及ぶチェロの指導実績、行政や業界関係に関しては行政書士チェロ奏者からの視点を余すところなくお伝えします。
とてもブログでは書けない赤裸々な内容が盛りだくさんです。興味をそそりますね?。
さらに擦弦楽器の歴史を紐解くコーナーでは、馬頭琴や二胡の演奏も披露します。
どうです?
面白そうでしょ?
これも画像を見る限りでは何の奏者なのか全く判断がつきませんね・・・、
あ!、もちろん私の本職はあくまでチェロ奏者ですから!
チェロの演奏もしますね。当然です。むろんです。
ちなみにこの日の曲目はこんな感じだったように記憶しています。
サロンコンサートでは耳障りの良い曲をきっちりやります。
・エルガー / 愛の挨拶
・シューマン / トロイメライ
・ピアソラ / リベルタンゴ
・ジョップリン / ジ・エンターテナー
・チャップリン / エターナリー
・久石譲 / 「おくりびと」のテーマ
・サン=サーンス/ 白鳥
・ラフマニノフ / ヴォカリーズ
・ドヴォルザーク / 森の静けさ
もともとは講演会のご依頼だったのですが、PTAの役員の方と打ち合わせをするうちにこのような形になりました。
終演後のアンケートでも大変なご好評をいただいております。
万が一、アンケートで聴衆満足度が80%未満の場合はギャラは全額返金の業界初・満足保証付きです!(笑)。
担当者各位におかれましては、ぜひともご検討賜りたくよろしくお願いいたします。
お問い合わせはこちら araki@spa.att.ne.jp
みんな、知り合いとかに宣伝してね。
んで、下のも押しといねて。 ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
学校関係、自治体関係、ホール関係などの主催事業担当者様に耳寄りな情報でございます。
予算はあるけど適当なコンテンツがない、そんなときはぜひお気軽にお問い合わせください。
また音楽好きの担当者様、さらっと普通にコンサートを企画できればよいのにコンサートでは稟議が通らないなどいろいろな事情がありますよね?
そんな時はぜひ『講演会コンサート』をお考えください。
講演会ともコンサートともつかない(どちらとも言える)催しは私のもっとも得意とする分野です(笑)。TPOに合わせて講演会ともコンサートとも呼べるので諸々の事情に大変便利ですね。
さて、市内の中学校でPTAを対象にこんな演奏会コンサートをしてきました。
クラシック音楽にまつわるお話をしながらチェロの演奏もします。
それだけ聞くと「なんだ・・、普通のサロンコンサートじゃん」と思われるかもしれませんが、下の画像のようにkeynoteで私が丹精込めて作ったプレゼン風のフローや資料を投影しながら話を進めます。そこがミソです!。ご覧の様に画像を見る限り講演会なのかコンサートなのか全く判断がつきません。
ちなみに、この日の講演会としてのレジュメは、
・擦弦楽器の歴史
・クラシック音楽、興味はあるけど最初になにを聴いたらいいの?
・これされ守れば大丈夫!、コンサート会場のマナー10
・頭の良くなるクラシックって?
・絶対音感は本当に必要?
・音楽教育業界のウソ・ホント
・オーケストラの台所事情とエル・システマ
音楽教育関係については20年余に及ぶチェロの指導実績、行政や業界関係に関しては行政書士チェロ奏者からの視点を余すところなくお伝えします。
とてもブログでは書けない赤裸々な内容が盛りだくさんです。興味をそそりますね?。
さらに擦弦楽器の歴史を紐解くコーナーでは、馬頭琴や二胡の演奏も披露します。
どうです?
面白そうでしょ?
これも画像を見る限りでは何の奏者なのか全く判断がつきませんね・・・、
あ!、もちろん私の本職はあくまでチェロ奏者ですから!
チェロの演奏もしますね。当然です。むろんです。
ちなみにこの日の曲目はこんな感じだったように記憶しています。
サロンコンサートでは耳障りの良い曲をきっちりやります。
・エルガー / 愛の挨拶
・シューマン / トロイメライ
・ピアソラ / リベルタンゴ
・ジョップリン / ジ・エンターテナー
・チャップリン / エターナリー
・久石譲 / 「おくりびと」のテーマ
・サン=サーンス/ 白鳥
・ラフマニノフ / ヴォカリーズ
・ドヴォルザーク / 森の静けさ
もともとは講演会のご依頼だったのですが、PTAの役員の方と打ち合わせをするうちにこのような形になりました。
終演後のアンケートでも大変なご好評をいただいております。
万が一、アンケートで聴衆満足度が80%未満の場合はギャラは全額返金の業界初・満足保証付きです!(笑)。
担当者各位におかれましては、ぜひともご検討賜りたくよろしくお願いいたします。
お問い合わせはこちら araki@spa.att.ne.jp
みんな、知り合いとかに宣伝してね。
んで、下のも押しといねて。 ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
2014年05月18日
iMac買ったけどね・・【part2】
前回「iMac買ったけどね・・」はここ。
そんなわけで、造り付けの机に穴をあけるのはやっぱり嫌だし、ヤフオクでそこそこ高額なものを売るのも億劫・・・
で、iMacの脚を切ることに決定!
なんかやってみたい気もするし・・。
Macユーザーの中にはMacに愛着を持つあまり家族や友人の様に擬人化してしまう人たちもいますが(笑)、私は違うのです!
WindowsとはちがいMacにはたしかに愛着が湧きますが所詮は道具。ボロボロになっても死ぬまで私の手足となって尽くすのが仕事です。
そこはきっちりとケジメをつけなくてはいけません。
それに、もともとはディスプレイの位置が高過ぎるiMacちゃんがいけないのです。
映画「ツレがうつになりまして」より
iMacのディスプレイを見上げる堺雅人と宮崎あおい。彼らはこの体勢で首が痛くならないんだろうか・・。
1.iMac養生の儀。
ディスプレイに傷が付かないように丁寧に本体を養生。
2.電動ノコ入れの儀。
意外と固かったです。マーキングに沿って慎重に電動ノコを進めます。
3.とりあえず完成
これでモニタを直置した高さでiMacを机に自立させられます。
・・・喜んだのもつかの間・・。まだ微妙に、いや、けっこう高いんですよね〜。
脚を切っても机からディスプレイの画面までまだ9cmもある。画面の下のほうはいいんだけどMacってメニューバー(Dockではない)が上部あるから画面の上の方を頻繁に見ないといけないし、そもそもディスプレイ自体大きいので辛いのです。
これに取り外せない脚が付いてるんだから、やっぱりいくらなんでも高すぎるよ。
さて、どうしたもんか・・。
いろいろ考えた挙句、iMac用の机セットを自作してサイドテーブルの位置に置くことに・・。
4.iMacを乗せる棚を製作中。
5.iMacの脚を繋ぐの儀
棚の上に置くために切った脚を繋ぎます(^_^;)
6.棚と机の天板をニスで着色して完成。
造作机の天板とiMac用机の天板のツラを合わせます。
机とiMacを乗せる棚の差は13cmです。これでやっと首を上げずにディスプレイ全体を見ることができます。
足を繋ぐための糊しろ部分が2cmなので、デフォルトの高さより15cmも低くしてやっと私にとってちょうどよい高さになりました。
7.机の横にiMac用の机を置いて完成。
とりあえずPC環境は快適。
しかし・・、脚を切る意味がなかったね。
ごめんね。iMacちゃん。
しかし、私は書斎にいるときはPCに向かって作業している時間が圧倒的に多いので、急ごしらえのPC机が本机に、造り付けの大きな机がサイドテーブル状態に・・。
次に買い換えるときは迷わず15インチのノートにします。
それではみなさんごきげんよう。
あ、よかったら下のも押しておいてね。ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
そんなわけで、造り付けの机に穴をあけるのはやっぱり嫌だし、ヤフオクでそこそこ高額なものを売るのも億劫・・・
で、iMacの脚を切ることに決定!
なんかやってみたい気もするし・・。
Macユーザーの中にはMacに愛着を持つあまり家族や友人の様に擬人化してしまう人たちもいますが(笑)、私は違うのです!
WindowsとはちがいMacにはたしかに愛着が湧きますが所詮は道具。ボロボロになっても死ぬまで私の手足となって尽くすのが仕事です。
そこはきっちりとケジメをつけなくてはいけません。
それに、もともとはディスプレイの位置が高過ぎるiMacちゃんがいけないのです。
映画「ツレがうつになりまして」より
iMacのディスプレイを見上げる堺雅人と宮崎あおい。彼らはこの体勢で首が痛くならないんだろうか・・。
1.iMac養生の儀。
ディスプレイに傷が付かないように丁寧に本体を養生。
2.電動ノコ入れの儀。
意外と固かったです。マーキングに沿って慎重に電動ノコを進めます。
3.とりあえず完成
これでモニタを直置した高さでiMacを机に自立させられます。
・・・喜んだのもつかの間・・。まだ微妙に、いや、けっこう高いんですよね〜。
脚を切っても机からディスプレイの画面までまだ9cmもある。画面の下のほうはいいんだけどMacってメニューバー(Dockではない)が上部あるから画面の上の方を頻繁に見ないといけないし、そもそもディスプレイ自体大きいので辛いのです。
これに取り外せない脚が付いてるんだから、やっぱりいくらなんでも高すぎるよ。
さて、どうしたもんか・・。
いろいろ考えた挙句、iMac用の机セットを自作してサイドテーブルの位置に置くことに・・。
4.iMacを乗せる棚を製作中。
5.iMacの脚を繋ぐの儀
棚の上に置くために切った脚を繋ぎます(^_^;)
6.棚と机の天板をニスで着色して完成。
造作机の天板とiMac用机の天板のツラを合わせます。
机とiMacを乗せる棚の差は13cmです。これでやっと首を上げずにディスプレイ全体を見ることができます。
足を繋ぐための糊しろ部分が2cmなので、デフォルトの高さより15cmも低くしてやっと私にとってちょうどよい高さになりました。
7.机の横にiMac用の机を置いて完成。
とりあえずPC環境は快適。
しかし・・、脚を切る意味がなかったね。
ごめんね。iMacちゃん。
しかし、私は書斎にいるときはPCに向かって作業している時間が圧倒的に多いので、急ごしらえのPC机が本机に、造り付けの大きな机がサイドテーブル状態に・・。
次に買い換えるときは迷わず15インチのノートにします。
それではみなさんごきげんよう。
あ、よかったら下のも押しておいてね。ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
2014年05月15日
S村河内氏の功罪
こないだ久しぶりにコミュニティーFMで喋ってきました。
テーマは「S村河内守」(笑)。
事件はSTAP細胞の彼女にすっかり話題を持って行かれたしそれすら既に過ぎ去ろうとしている今、遅きに失した感がありますけど・・。
ラジオで話すためにせっかくいろいろ調べたのでとにかく今回は喋ってきたことを書きます。
不謹慎と言われるかもしれないけど、当初私はあの事件は実に楽しくウオッチしてました。
まるで「こち亀」の両さんが悪のりした時みたいな「現代日本のベートーヴェン」。
本当に笑わせてもらいました。
ま、結果的に公演が中止になったりして我が社も被害を被ったので笑い事では済まなくなりましたが・・。
でも本音はわたし、芸術的な視点だけで考えると「S村河内氏は実はそれほど悪くないのではないか?」と今でも思っています。
ネットを見て回るとS村河内は大衆を騙したので悪い、という意見が大半というかほぼ100%なのですが、でもどうなんしょうか?
S村河内氏は全聾で被爆二世で、そういう人が苦労して書いたからこそ彼の曲は皆に感動を与えた。と多くの人は主張します。
「嘘だったなら感想なんてしなかった!。感動を返せ!」ということなのかもしれません。
確かに全聾で被爆二世というのが嘘で、ナントカ金を不正受給していたとしたらそれは法的には悪い。
しかし、それで曲の芸術的な価値が損なわれるわけではありません。
本来芸術の価値というものは絶対的なものです。まずそこをハッキリさせましょう。
障害者が書こうが健常者が書こうが曲の芸術的な価値に何ら変わりはありません。オリンピックとパラリンピックの記録が違うのとは違います。
交響曲「HIROSHIMA」で多くの人が立ち上がって泣くほど感動したのなら少なからず芸術的な価値があったのではないでしょうか?。「感動を返せ!」なんて言わないで自分の感動にもっと自信を持ちましょう、と言いたいわけです。(ちなみに私はYouTubeで断片的にしか聴いていないので分かりませんが・・)
極端な話しをすると、
仮に(あり得ないだろうけど)21世紀の研究が進んで、ベートーヴェンは実は耳が聴こえていたことが分かった!としましょう。
彼には虚言癖があって単に老人になって耳が遠くなっただけなのに「聴こえなくなった!」と騒いでいただけだった、とします。
彼の遺したたくさんの補聴器は彼が補聴器マニアで蒐集していただけだったとします。(たとえ話ですからね、怒らないように!(笑))
それで「運命」や「田園」や「第九」の価値が下がりますか?
「ベートーヴェンに騙された!」と怒りますか?、という話しです。
それは「運命」や「田園」の価値が絶対的であるからです。芸術とは本来そういうものです。
交響曲「HIROSHIMA」含め彼の曲は、S村河内氏やレコード会社が芸術的価値とは違ういわば”商業的”価値を確信犯的に付加して売ろうとしていたことは疑いようがありません。
それによってCDは爆発的に売れ、その後にゴースト・ライター氏が名乗り出たことで商業的な価値は消え失せました。
しかり繰り返しになりますが、楽曲が商業的な価値を損なったからといって芸術的な価値まで失ったわけではありません。(あればの話しですが)
モーツァルトのレクイエムの作曲の経緯は有名ですね。
依頼主のヴァルゼック伯爵が自分で写譜して自らの作曲であると偽って発表したというのが定説です。
ヴァルゼック伯爵の行為はおバカという他ありませんが、彼がいなかったらあの名曲は世に生まれなかった訳ですから、われわれは伯爵に感謝しなくてはいけません。
この手の話しはクラシック音楽の歴史において枚挙に暇が無いほどありますよね。
近いところではカッチーニのアヴェ・マリアやアルビノーニのアダージョ。クライスラーの前奏曲とアレグロやバッハのト調のメヌエットなどが贋作として有名ですし、ハイドンのチェロ協奏曲第2番も20世紀に手稿譜が見つかるまでは贋作と疑われていました。(このあたりは全知全能のインターネットで調べてラジオでは訳知り顔で話す箇所です(笑)。
しかしこれらの曲は誰が作ろうが名曲であることには変わりありません。
贋作であろうがなかろうが関係なく皆に演奏されて聴かれてきました。
S村河内氏がゴースト氏に宛てた作曲の指示書がネットに出回っていましたが、
「何分何秒〜何秒はペンデレツキ風に、何秒〜何秒は大音量で盛り上げて、ここは○○音階で・・」などとかなり緻密です。
素人といえど相当なクラオタなんだろうな・・・・、と推察できる内容です。
あの指示書がなければ普段はバリバリの前衛音楽作曲家のゴースト氏が万人ウケする「HIROSHIMA」を作曲しなかったことは明らかで、
それならばS村河内氏は少なくともヴァルゼック伯爵よりよほど楽曲の誕生に貢献したと言えます。
むしろ、私が驚いたのはゴースト氏のカミングアウト行為です。
ゴースト・ライターなんて前出のクラシック音楽の歴史は言うに及ばず、現代の○○界や○○業界でも当たり前のコンコンチキでいわゆる公然の秘密的に行われている行為なんじゃないですか?。
私の友人にもゴーストライターなんてたくさんいますよ(笑)。
そのゴーストさんたちがみんなカミングアウトしだしたら世の中大変なことになりませんか??
なので一旦引き受けたゴースト行為は口が裂けても公に言わないのが鉄の掟です。
S村河内氏のゴーストさんは彼を知っている人は皆口を揃えて「真面目でいい人」と言います。
”正直で働き者の(笑)ゴースト・ライター”に鉄の掟を破らせた本当の理由がきっとあったのかもしれません。(・・・よほどの理由じゃないと許されないと思いますが。←ここ重要)
なにはともあれ、我が社で公演が中止になってしまった「HIROSHIMA」、興味が持続しているうちにぜひ演奏してみたいです。
今日はここまで。
あ、下の押しといてね! ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
(※今回の記事には反発もあると思いますが、ネットで不毛な議論をする気はないので反対意見のコメントはスルーします。あしからず)
テーマは「S村河内守」(笑)。
事件はSTAP細胞の彼女にすっかり話題を持って行かれたしそれすら既に過ぎ去ろうとしている今、遅きに失した感がありますけど・・。
ラジオで話すためにせっかくいろいろ調べたのでとにかく今回は喋ってきたことを書きます。
不謹慎と言われるかもしれないけど、当初私はあの事件は実に楽しくウオッチしてました。
まるで「こち亀」の両さんが悪のりした時みたいな「現代日本のベートーヴェン」。
本当に笑わせてもらいました。
ま、結果的に公演が中止になったりして我が社も被害を被ったので笑い事では済まなくなりましたが・・。
でも本音はわたし、芸術的な視点だけで考えると「S村河内氏は実はそれほど悪くないのではないか?」と今でも思っています。
ネットを見て回るとS村河内は大衆を騙したので悪い、という意見が大半というかほぼ100%なのですが、でもどうなんしょうか?
S村河内氏は全聾で被爆二世で、そういう人が苦労して書いたからこそ彼の曲は皆に感動を与えた。と多くの人は主張します。
「嘘だったなら感想なんてしなかった!。感動を返せ!」ということなのかもしれません。
確かに全聾で被爆二世というのが嘘で、ナントカ金を不正受給していたとしたらそれは法的には悪い。
しかし、それで曲の芸術的な価値が損なわれるわけではありません。
本来芸術の価値というものは絶対的なものです。まずそこをハッキリさせましょう。
障害者が書こうが健常者が書こうが曲の芸術的な価値に何ら変わりはありません。オリンピックとパラリンピックの記録が違うのとは違います。
交響曲「HIROSHIMA」で多くの人が立ち上がって泣くほど感動したのなら少なからず芸術的な価値があったのではないでしょうか?。「感動を返せ!」なんて言わないで自分の感動にもっと自信を持ちましょう、と言いたいわけです。(ちなみに私はYouTubeで断片的にしか聴いていないので分かりませんが・・)
極端な話しをすると、
仮に(あり得ないだろうけど)21世紀の研究が進んで、ベートーヴェンは実は耳が聴こえていたことが分かった!としましょう。
彼には虚言癖があって単に老人になって耳が遠くなっただけなのに「聴こえなくなった!」と騒いでいただけだった、とします。
彼の遺したたくさんの補聴器は彼が補聴器マニアで蒐集していただけだったとします。(たとえ話ですからね、怒らないように!(笑))
それで「運命」や「田園」や「第九」の価値が下がりますか?
「ベートーヴェンに騙された!」と怒りますか?、という話しです。
それは「運命」や「田園」の価値が絶対的であるからです。芸術とは本来そういうものです。
交響曲「HIROSHIMA」含め彼の曲は、S村河内氏やレコード会社が芸術的価値とは違ういわば”商業的”価値を確信犯的に付加して売ろうとしていたことは疑いようがありません。
それによってCDは爆発的に売れ、その後にゴースト・ライター氏が名乗り出たことで商業的な価値は消え失せました。
しかり繰り返しになりますが、楽曲が商業的な価値を損なったからといって芸術的な価値まで失ったわけではありません。(あればの話しですが)
モーツァルトのレクイエムの作曲の経緯は有名ですね。
依頼主のヴァルゼック伯爵が自分で写譜して自らの作曲であると偽って発表したというのが定説です。
ヴァルゼック伯爵の行為はおバカという他ありませんが、彼がいなかったらあの名曲は世に生まれなかった訳ですから、われわれは伯爵に感謝しなくてはいけません。
この手の話しはクラシック音楽の歴史において枚挙に暇が無いほどありますよね。
近いところではカッチーニのアヴェ・マリアやアルビノーニのアダージョ。クライスラーの前奏曲とアレグロやバッハのト調のメヌエットなどが贋作として有名ですし、ハイドンのチェロ協奏曲第2番も20世紀に手稿譜が見つかるまでは贋作と疑われていました。(このあたりは全知全能のインターネットで調べてラジオでは訳知り顔で話す箇所です(笑)。
しかしこれらの曲は誰が作ろうが名曲であることには変わりありません。
贋作であろうがなかろうが関係なく皆に演奏されて聴かれてきました。
S村河内氏がゴースト氏に宛てた作曲の指示書がネットに出回っていましたが、
「何分何秒〜何秒はペンデレツキ風に、何秒〜何秒は大音量で盛り上げて、ここは○○音階で・・」などとかなり緻密です。
素人といえど相当なクラオタなんだろうな・・・・、と推察できる内容です。
あの指示書がなければ普段はバリバリの前衛音楽作曲家のゴースト氏が万人ウケする「HIROSHIMA」を作曲しなかったことは明らかで、
それならばS村河内氏は少なくともヴァルゼック伯爵よりよほど楽曲の誕生に貢献したと言えます。
むしろ、私が驚いたのはゴースト氏のカミングアウト行為です。
ゴースト・ライターなんて前出のクラシック音楽の歴史は言うに及ばず、現代の○○界や○○業界でも当たり前のコンコンチキでいわゆる公然の秘密的に行われている行為なんじゃないですか?。
私の友人にもゴーストライターなんてたくさんいますよ(笑)。
そのゴーストさんたちがみんなカミングアウトしだしたら世の中大変なことになりませんか??
なので一旦引き受けたゴースト行為は口が裂けても公に言わないのが鉄の掟です。
S村河内氏のゴーストさんは彼を知っている人は皆口を揃えて「真面目でいい人」と言います。
”正直で働き者の(笑)ゴースト・ライター”に鉄の掟を破らせた本当の理由がきっとあったのかもしれません。(・・・よほどの理由じゃないと許されないと思いますが。←ここ重要)
なにはともあれ、我が社で公演が中止になってしまった「HIROSHIMA」、興味が持続しているうちにぜひ演奏してみたいです。
今日はここまで。
あ、下の押しといてね! ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
(※今回の記事には反発もあると思いますが、ネットで不毛な議論をする気はないので反対意見のコメントはスルーします。あしからず)