2011年06月24日
「ゴルゴ13」たれ。
みんさんfacebookやってますか? 私は半年くらい前からやってるんですが、あれは自分の友達の少なさを実感させてくれるツールです。リアルで知らない人を登録してもしょうがないしねー。 みんな200人とか300人とか友達いるけど、本当に友達なの? そんなに友達多いの????、 本当のこと教えて! 教えて! アルムのもみの木よ!
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=============ここから本文=================
さて、誤字も気にせず、文章が破綻していても気にせず、とにかく欧州公演の顛末をブログにしたためると宣言したのですが、
ここんとこ忙しすぎですわ!
演奏旅行も多いし、そもそも本番回数が多いし、T関さんがややこしい曲持ってきてさらわなきゃならなかったり、
行政書士の勉強もしないといけないし、カヌーも乗らなきゃ行けないし、D200につけるズームレンズを選ばないといけないし、
金魚に餌もやらないといけないし、夜になったらウィスキーとかビールを飲むのに忙しいし、
あ〜〜忙しい忙しい!
というわけで、みなさんいかがお過ごしでしたか?
いえね、欧州公演の前振り部分はだいたい終わったのですが、本番がらみを記事にするにあたって私はハタとその基本姿勢について悩み始めたのです。
私のブログは本音と建て前を融合させた、いわば『本音と建て前のコラボ』(爆)とも呼ぶべき素晴らしいブログな訳ですが(笑)、ここで私は悩むのです。
果たしてこのスタンスのまま欧州公演のブログ化に突き進んでもいいのだろうか・・・・
ひょっとして世間の皆様は、もっとこう、ノダメ的というか熱血アマオケ的ド根性風味というか、例えば・・、
「楽員がひとつになったことの喜び!」 とか
「音楽は国境を越えて」 とか
「本場欧州に殴り込みや!」 とか
「欧州に行けて勉強になりました!」とか
「緊張で頭が真っ白になりました!」とか
「欧州の舞台で演奏できて本当に幸せでした!」とか
「演奏が終わったときは感動で涙が止まりませんでした!」とか
「緊張したけど上手に弾けました! 自信がつきました!」とか
「さあ、諸君! 僕らの実力の全てをここで出し切ろうじゃないか!、 おおーー!」とか
このような「いかにも的」なエピソードを読みたいのではないだろうか・・
というか、そういうエピソードを書かなければ期待はずれのKY野郎になってしまうのではないだろうか・・
などと不安がよぎるのです。
やっぱりオーケストラといえば一般的にはそういうイメージですよね。
今回の欧州公演を取り上げていただいたマスコミも一部こういう論調でした。今回に限らずこういう論調はとても多いです。
それはマスコミとしてたぶん正しい姿勢なんでしょう。 一般の期待にも応えているのかもしれません。
そうして取り上げていただくお陰で注目されて成果もアピールできて本当にありがたいことです。
でもね、現実のプロのクールな現場とはだいぶかけ離れているのも事実。
勉強になるとか幸せをある程度感じるとかあるにはあるけどそれは目的ではなく、
プロとは・・・
与えられたミッションを冷静に確実にこなす・・。
消防隊員も警官も医者も自衛官も落語家もアナウンサーも俳優も野球選手も、
プロと呼ばれる人たちは皆、仕事のたびに感情的になったり過度に緊張したりすることを戒めているはずです。
仕事のたびに、いや、仕事が重要になるほど冷静さが要求されます。
「やったるぜ! おおーーーー!」とか言わないと思います。
いちいち泣いたり笑ったりしないと思います。
練習が早く終わったら喜んで帰ると思います。(笑)
究極のプロとは・・・
そう、ゴルゴ13です。
「やったるぜ! おおーーー!」とか言ってるゴルゴを想像できるでしょうか。
仕事を成し遂げて 「うおーーーーーー!」と感動して泣いているゴルゴを想像できるでしょうか。
「ふ、緊張するぜ・・・」 と言って引き金に掛けた指が震えているようなゴルゴを信頼してスイス銀行に大金を振り込むでしょうか。
「本場の殺し屋さんたちと一緒にお仕事できて勉強になりました!」とか言ってるやたら謙虚なゴルゴなんてゴルゴじゃねーー!
というわけで、
私は思うのです。
プロのオケの楽員含めプロの演奏家として正しい姿勢。というか普通の一般的な姿勢、それは、
「本場だろうが場末のキャバレーだろうがどこだろうが、気負わず臆せず手を抜かず、いつも弾いているのと同じように弾く」
これに尽きます。
これは簡単なようで実際にやってみると実は難しく、これが出来ればたいしたものです。
プロは皆こういうのを目指して日々コツコツ鍛錬しています(たぶん)、少なくとも私はそうです。
ただ、本当にゴルゴみたいに冷静すぎる姿勢で演奏していたら本気を疑われることもあるでしょうし(笑)、
興行的に過度にオーバーアクションで汗をしたたらせて大暴れするパフォーマンスもあるでしょう・・。そういうのも嫌いじゃないですけどね・・・。
例えば誰かって?
例えばね〜〜
あ、いけね。もうこんな時間だ・・・
そろそろ寝ないと!
まあ、このブログをコツコツと訪問してくれている人はきっと私と感性が似通っているんでしょうから、
これからも『建前を本音のコラボ』的な姿勢で良いのかな・・・ あはは。
とうわけで、
ほんじゃらな! (。・_・。)ノ
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演奏旅行も多いし、そもそも本番回数が多いし、T関さんがややこしい曲持ってきてさらわなきゃならなかったり、
行政書士の勉強もしないといけないし、カヌーも乗らなきゃ行けないし、D200につけるズームレンズを選ばないといけないし、
金魚に餌もやらないといけないし、夜になったらウィスキーとかビールを飲むのに忙しいし、
あ〜〜忙しい忙しい!
というわけで、みなさんいかがお過ごしでしたか?
いえね、欧州公演の前振り部分はだいたい終わったのですが、本番がらみを記事にするにあたって私はハタとその基本姿勢について悩み始めたのです。
私のブログは本音と建て前を融合させた、いわば『本音と建て前のコラボ』(爆)とも呼ぶべき素晴らしいブログな訳ですが(笑)、ここで私は悩むのです。
果たしてこのスタンスのまま欧州公演のブログ化に突き進んでもいいのだろうか・・・・
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「楽員がひとつになったことの喜び!」 とか
「音楽は国境を越えて」 とか
「本場欧州に殴り込みや!」 とか
「欧州に行けて勉強になりました!」とか
「緊張で頭が真っ白になりました!」とか
「欧州の舞台で演奏できて本当に幸せでした!」とか
「演奏が終わったときは感動で涙が止まりませんでした!」とか
「緊張したけど上手に弾けました! 自信がつきました!」とか
「さあ、諸君! 僕らの実力の全てをここで出し切ろうじゃないか!、 おおーー!」とか
このような「いかにも的」なエピソードを読みたいのではないだろうか・・
というか、そういうエピソードを書かなければ期待はずれのKY野郎になってしまうのではないだろうか・・
などと不安がよぎるのです。
やっぱりオーケストラといえば一般的にはそういうイメージですよね。
今回の欧州公演を取り上げていただいたマスコミも一部こういう論調でした。今回に限らずこういう論調はとても多いです。
それはマスコミとしてたぶん正しい姿勢なんでしょう。 一般の期待にも応えているのかもしれません。
そうして取り上げていただくお陰で注目されて成果もアピールできて本当にありがたいことです。
でもね、現実のプロのクールな現場とはだいぶかけ離れているのも事実。
勉強になるとか幸せをある程度感じるとかあるにはあるけどそれは目的ではなく、
プロとは・・・
与えられたミッションを冷静に確実にこなす・・。
消防隊員も警官も医者も自衛官も落語家もアナウンサーも俳優も野球選手も、
プロと呼ばれる人たちは皆、仕事のたびに感情的になったり過度に緊張したりすることを戒めているはずです。
仕事のたびに、いや、仕事が重要になるほど冷静さが要求されます。
「やったるぜ! おおーーーー!」とか言わないと思います。
いちいち泣いたり笑ったりしないと思います。
練習が早く終わったら喜んで帰ると思います。(笑)
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そう、ゴルゴ13です。
「やったるぜ! おおーーー!」とか言ってるゴルゴを想像できるでしょうか。
仕事を成し遂げて 「うおーーーーーー!」と感動して泣いているゴルゴを想像できるでしょうか。
「ふ、緊張するぜ・・・」 と言って引き金に掛けた指が震えているようなゴルゴを信頼してスイス銀行に大金を振り込むでしょうか。
「本場の殺し屋さんたちと一緒にお仕事できて勉強になりました!」とか言ってるやたら謙虚なゴルゴなんてゴルゴじゃねーー!
というわけで、
私は思うのです。
プロのオケの楽員含めプロの演奏家として正しい姿勢。というか普通の一般的な姿勢、それは、
「本場だろうが場末のキャバレーだろうがどこだろうが、気負わず臆せず手を抜かず、いつも弾いているのと同じように弾く」
これに尽きます。
これは簡単なようで実際にやってみると実は難しく、これが出来ればたいしたものです。
プロは皆こういうのを目指して日々コツコツ鍛錬しています(たぶん)、少なくとも私はそうです。
ただ、本当にゴルゴみたいに冷静すぎる姿勢で演奏していたら本気を疑われることもあるでしょうし(笑)、
興行的に過度にオーバーアクションで汗をしたたらせて大暴れするパフォーマンスもあるでしょう・・。そういうのも嫌いじゃないですけどね・・・。
例えば誰かって?
例えばね〜〜
あ、いけね。もうこんな時間だ・・・
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とうわけで、
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2011年06月15日
札響欧州公演【3】
今週は高関さんで稚内、中頓別方面ビータです。今日は練習日でした。明日から「クローズアップ北海道」のTV取材が入るようです。
さて、今回は”日本の中の北国”北緯43度の札幌は、はたして本当に”北国”か?というお話です。
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え〜〜、使い古された言葉ではございますが、昔から『ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー』と申しますな。
どうも何かのキャッチコピーのようですが・・・、ビール作りか何かの・・・。
同じ緯度の3都市を並べてビールつくりが盛んだ、などの意味があるとか無いとか。
わたくし、どうもものぐさでございまして、その辺の詳しい事情についてはとんと知らず、調べもせず・・
いやはや、はは、ははは。
というわけで、
私は今回の欧州公演の最初の訪問地である南ドイツ、バイエルンの州都ミュンヘンについては札幌と同緯度なのかと長年思っていました。
ミュンヘンの空港に降り立ったのは5月19日(くらい)。札幌はまだ桜が散り始め、やっと木々の新芽が出始めた時期だというのに、
ミュンヘンはまるで北海道の夏。暑い!。木々も鬱蒼と茂っておりました。
で、iPhoneの磁石を見るとなんと北緯48度以上あるではありませんか! 札幌は43度です。48度といったら稚内を通り越して樺太までいってしまいます。(たぶん行きます。)
なんで樺太なのにこんなに暑い?(欧州は暖流が通ってるとかそういうことは知ってます)。
札幌はスプリングコートを羽織ってちょうど良い気候でしたが、念のためと思って持っていった半袖がいきなり役立ちました。
ちなみに、旅行中iPhone君がとても活躍してくれました。結局1日1480円払って毎日現地のボーダフォンに繋ぎっぱなしでした。地図がナビ代わりになってくれるし、日本のニュース・サイトや新聞は読めるし、メールもできるし・・。
で、私は海外に行くといつもほぼ例外なく思うのですが、はっきり行ってどこに行っても”暑い”です。
イタリアもドイツもオーストリアもフランスもチェコも、東南アジア諸国はもちろんのこと、中国も韓国もアメリカも(アラスカは知らないけど)。
いままで涼しいと感じたのはスコットランドのエジンバラとアイルランドくらいのものです。
なので、暑さに弱い私は海外に行くと、いつも大汗をかいてふうふう言いながら暑さで半分怒りながら観光することになります。
なんで外国っていうのは暑いんだよ〜!
( ゚д゚)・・・ハッ!!! ・・・・・ ということは、やっぱり札幌っていうのは世界の中で寒いんでないかい?
ちなみにミュンヘンの次の訪問地のロンドンもやはり木々が鬱蒼と茂っておりました。
暑い寒いの感覚は日によって違うしイマイチあてになりませんが、木々の茂り具合は動かぬ証拠。
やっぱり札幌ってゆーのは寒いんだわ。
いえね、私の様にたまにしか海外に行かない一般ピーポーの札幌人というか北海道人にはプライドとコンプレックスの入り混じった妙な感覚があるんです。
たかだか北緯43度程度で北方圏だの寒冷地だの言ってんじゃないよ! という反抗心モードと、
いや〜、北緯43度だからね、冬はしばれるんだわ。内地から来たらなまら寒いっしょ、というお調子者モード。
このツー・モードが意識に共存しているわけですが、どっちにしろ”より北にあってより寒いほうが偉い” のです。何故か・・。
で、田舎者だと思われたくないから、「いや〜、ヨーロッパとか中国の方がぜんぜん寒いっしょ」とつい謙遜してしまうのです(あくまで”謙遜”なんです)。
『北方圏フォーラム』などと称して、あろうことか”北国の中の北国”、フィンランドやノルウェーのご一行様をお迎えして”北”について対等な立場で語ってしまう事に、厚かましさというか恥ずかしさを感じてしまうのです。少なくとも私はそうでした。
これを読んでいるそこの北海道人のあなたもそうでない?
しかし、私は今回の旅行で目が覚めました。今まで抱いていた屈折した羞恥心こそが大いなる勘違いでした。
そして今私は声を大にして言います。
もう田舎者だと思われてもお調子者だと思われてもかまいません。
これを読んでいる札幌在住のみんなも実は薄々気が付いていたでしょ。さあ、私と声を揃えて言いましょう!
シュプレヒコール! (`□´)/オー!! 札幌は世界の中で寒いぞーーーー! (`□´)/オー!!
シュプレヒコール! (`□´)/オー!!札幌は北国で雪国で寒冷地だぞ! そして北方圏だぞ! (`□´)/オー!!
ふぅ・・、ついに言ったぜ・・。
というわけで、
札響の一行は今回の旅行でまずミュンヘン空港に降り立ち、翌日は時差休暇です。
ちなみに、今回の13日間の旅行で休暇はこのミュンヘンでの時差休暇と、最終日のデュッセルドルフでの2日間。
空港からバスでミュンヘン市街のホテルに19時頃に到着し、後は自由行動です。
19時といってもサマータイムだし緯度も高いのでまだまだ夕方です。
楽員数名で、世界最古のビアホール、あのヒトラーもそこで演説したという名高いホフブロイハウスに行くことにしました。
さて、なかなか本題に入れませんが、夜もふけたので今日はここまで。
したっけな!(。・_・。)ノ
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え〜〜、使い古された言葉ではございますが、昔から『ミュンヘン、札幌、ミルウォーキー』と申しますな。
どうも何かのキャッチコピーのようですが・・・、ビール作りか何かの・・・。
同じ緯度の3都市を並べてビールつくりが盛んだ、などの意味があるとか無いとか。
わたくし、どうもものぐさでございまして、その辺の詳しい事情についてはとんと知らず、調べもせず・・
いやはや、はは、ははは。
というわけで、
私は今回の欧州公演の最初の訪問地である南ドイツ、バイエルンの州都ミュンヘンについては札幌と同緯度なのかと長年思っていました。
ミュンヘンの空港に降り立ったのは5月19日(くらい)。札幌はまだ桜が散り始め、やっと木々の新芽が出始めた時期だというのに、
ミュンヘンはまるで北海道の夏。暑い!。木々も鬱蒼と茂っておりました。
で、iPhoneの磁石を見るとなんと北緯48度以上あるではありませんか! 札幌は43度です。48度といったら稚内を通り越して樺太までいってしまいます。(たぶん行きます。)
なんで樺太なのにこんなに暑い?(欧州は暖流が通ってるとかそういうことは知ってます)。
札幌はスプリングコートを羽織ってちょうど良い気候でしたが、念のためと思って持っていった半袖がいきなり役立ちました。
ちなみに、旅行中iPhone君がとても活躍してくれました。結局1日1480円払って毎日現地のボーダフォンに繋ぎっぱなしでした。地図がナビ代わりになってくれるし、日本のニュース・サイトや新聞は読めるし、メールもできるし・・。
で、私は海外に行くといつもほぼ例外なく思うのですが、はっきり行ってどこに行っても”暑い”です。
イタリアもドイツもオーストリアもフランスもチェコも、東南アジア諸国はもちろんのこと、中国も韓国もアメリカも(アラスカは知らないけど)。
いままで涼しいと感じたのはスコットランドのエジンバラとアイルランドくらいのものです。
なので、暑さに弱い私は海外に行くと、いつも大汗をかいてふうふう言いながら暑さで半分怒りながら観光することになります。
なんで外国っていうのは暑いんだよ〜!
( ゚д゚)・・・ハッ!!! ・・・・・ ということは、やっぱり札幌っていうのは世界の中で寒いんでないかい?
ちなみにミュンヘンの次の訪問地のロンドンもやはり木々が鬱蒼と茂っておりました。
暑い寒いの感覚は日によって違うしイマイチあてになりませんが、木々の茂り具合は動かぬ証拠。
やっぱり札幌ってゆーのは寒いんだわ。
いえね、私の様にたまにしか海外に行かない一般ピーポーの札幌人というか北海道人にはプライドとコンプレックスの入り混じった妙な感覚があるんです。
たかだか北緯43度程度で北方圏だの寒冷地だの言ってんじゃないよ! という反抗心モードと、
いや〜、北緯43度だからね、冬はしばれるんだわ。内地から来たらなまら寒いっしょ、というお調子者モード。
このツー・モードが意識に共存しているわけですが、どっちにしろ”より北にあってより寒いほうが偉い” のです。何故か・・。
で、田舎者だと思われたくないから、「いや〜、ヨーロッパとか中国の方がぜんぜん寒いっしょ」とつい謙遜してしまうのです(あくまで”謙遜”なんです)。
『北方圏フォーラム』などと称して、あろうことか”北国の中の北国”、フィンランドやノルウェーのご一行様をお迎えして”北”について対等な立場で語ってしまう事に、厚かましさというか恥ずかしさを感じてしまうのです。少なくとも私はそうでした。
これを読んでいるそこの北海道人のあなたもそうでない?
しかし、私は今回の旅行で目が覚めました。今まで抱いていた屈折した羞恥心こそが大いなる勘違いでした。
そして今私は声を大にして言います。
もう田舎者だと思われてもお調子者だと思われてもかまいません。
これを読んでいる札幌在住のみんなも実は薄々気が付いていたでしょ。さあ、私と声を揃えて言いましょう!
シュプレヒコール! (`□´)/オー!! 札幌は世界の中で寒いぞーーーー! (`□´)/オー!!
シュプレヒコール! (`□´)/オー!!札幌は北国で雪国で寒冷地だぞ! そして北方圏だぞ! (`□´)/オー!!
ふぅ・・、ついに言ったぜ・・。
というわけで、
札響の一行は今回の旅行でまずミュンヘン空港に降り立ち、翌日は時差休暇です。
ちなみに、今回の13日間の旅行で休暇はこのミュンヘンでの時差休暇と、最終日のデュッセルドルフでの2日間。
空港からバスでミュンヘン市街のホテルに19時頃に到着し、後は自由行動です。
19時といってもサマータイムだし緯度も高いのでまだまだ夕方です。
楽員数名で、世界最古のビアホール、あのヒトラーもそこで演説したという名高いホフブロイハウスに行くことにしました。
さて、なかなか本題に入れませんが、夜もふけたので今日はここまで。
したっけな!(。・_・。)ノ
2011年06月09日
「〜〜とバッサリ」は”寒い表現”とバッサリ。
今日は札響欧州公演はお休みです。別のネタです。
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=============ここから本文=================
1年くらい前から急に目に付きだした言い回し。
「〜〜とバッサリ」
雑誌やネットのコラムなどで頻繁に目にします。
最初の頃は痛快な言い回しで好感が持てました。私もブログなどで使ってみようと思いました。
しかしここまでくると食傷気味、というか陳腐で寒い表現に転落? みたいな?
そういえば、語尾上げは最近聞かなくなりましたな〜。
で、どのくらいウンザリするほど使われているかというと、googleで『とバッサリ』で検索するとよく分かります。
赤川次郎、原発問題で「ビートたけしはこんな程度か」とバッサリ
嵐の二宮、佐々木希は「友人の1人」とバッサリ
マーク・ウォールバーグ、かつての主演作を「駄作」とバッサリ
ハリポタ盗用疑惑、米裁判所が「似てない」とバッサリ
ノムさんロッテ日本一「認めない」とバッサリ
解散するのはKAT−TUN!魅力がないとバッサリ
リアム・ギャラガー、マイケル像を「バカっぽい」とバッサリ
・
・
・
以下たくさんありすぎて省略。
世の中、バッサリバッサリと切りたい放題!とバッサリ! ヽ(´▽`)ノ
しょーもない芸能ネタのたいして長くもないコラムに2回も3回もこの表現を出してくる人を見ると、ライターっていうのは本当にピンキリだなと思うよ、とバッサリ。
私に言わせれば「〜〜とバッサリ」とさえ書けば、いかにもバッサリ言ったほうが正しいような錯覚に読者が陥ると思うなよ、とバッサリ。
そして、「〜〜とバッサリ」っていうのは一種の”ハッタリ表現” でしょ、とバッサリ。使いすぎると効かなくなるよとバッサリ。
というか、そんなのバッサリでも何でもないよ、っていうショボイ発言にまでバッサリって書くからダメなんだよ。
じゃあどういう時に使うかって?
例えばこうですよ・・。
時は幕末。熊本藩脱藩の志士左門豊作は京の街にいた。
幕府の捕り手から逃れ、ようやく鄙びた船宿で体を休めることができたものの、手傷は豊作が思ったより深かった。
「もはやこれまで・・・」 豊作は呟いた。
豊作の瞼に郷里に残してきた幼い弟や妹たちのあどけない顔が浮かんだ。
武士とはいえ代々下役の左門家の暮らしは凄惨といえるほど貧しく、一家は狭く痩せた畑を耕しようやく糊口をしのいできた。
「飢えた民百姓を救うには腐りきった幕府を倒すしかない・・」 その一念で京に上ったものの、もはや左門の命は尽きようとしていた。
「弟よ、妹よ・・・、すまぬ・・」 左門は分厚い眼鏡の奥から流れ出る涙を禁じることができなかった。
「左門様、新撰組のお改めでございます」 襖の向こうから女主人の切迫した声が聞こえた。
その刹那、女主人の短い悲鳴とともに襖を蹴破り数人の新撰組隊士が部屋に乱れ入った。
左門は左手で父が遺した備前宗治を引き寄せた。
袈裟懸けに切りつけてくる先頭の隊士の切先を左門はかろうじて柄で受けた。
左門は言いようのない怒りに震えた。この者たちに志はあるのか・・、ただ悪戯に剣を振り回し己の我欲を貪る輩・・。
「許せぬ・・」左門は傷の痛みを堪え宗治をゆっくりと引き抜いた。
やがて襖の背後から襲い掛かる二番手の隊士に向かい、左門は瞬時に八双の構えをとった。そして、
「おぬしら! 国を滅ぼすのが分からぬか!」 とバッサリ!
まあ、「とバッサリ」を使いたければ最低でもこのくらいの準備は必要でしょう(笑)。
ふう。時代小説ごっこは疲れたわい・・。
あ、もう1時だ。今日こそは早寝しようと思ったのに・・。
ほんじゃらな! あばよ! (。・_・。)ノ
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1年くらい前から急に目に付きだした言い回し。
「〜〜とバッサリ」
雑誌やネットのコラムなどで頻繁に目にします。
最初の頃は痛快な言い回しで好感が持てました。私もブログなどで使ってみようと思いました。
しかしここまでくると食傷気味、というか陳腐で寒い表現に転落? みたいな?
そういえば、語尾上げは最近聞かなくなりましたな〜。
で、どのくらいウンザリするほど使われているかというと、googleで『とバッサリ』で検索するとよく分かります。
赤川次郎、原発問題で「ビートたけしはこんな程度か」とバッサリ
嵐の二宮、佐々木希は「友人の1人」とバッサリ
マーク・ウォールバーグ、かつての主演作を「駄作」とバッサリ
ハリポタ盗用疑惑、米裁判所が「似てない」とバッサリ
ノムさんロッテ日本一「認めない」とバッサリ
解散するのはKAT−TUN!魅力がないとバッサリ
リアム・ギャラガー、マイケル像を「バカっぽい」とバッサリ
・
・
・
以下たくさんありすぎて省略。
世の中、バッサリバッサリと切りたい放題!とバッサリ! ヽ(´▽`)ノ
しょーもない芸能ネタのたいして長くもないコラムに2回も3回もこの表現を出してくる人を見ると、ライターっていうのは本当にピンキリだなと思うよ、とバッサリ。
私に言わせれば「〜〜とバッサリ」とさえ書けば、いかにもバッサリ言ったほうが正しいような錯覚に読者が陥ると思うなよ、とバッサリ。
そして、「〜〜とバッサリ」っていうのは一種の”ハッタリ表現” でしょ、とバッサリ。使いすぎると効かなくなるよとバッサリ。
というか、そんなのバッサリでも何でもないよ、っていうショボイ発言にまでバッサリって書くからダメなんだよ。
じゃあどういう時に使うかって?
例えばこうですよ・・。
時は幕末。熊本藩脱藩の志士左門豊作は京の街にいた。
幕府の捕り手から逃れ、ようやく鄙びた船宿で体を休めることができたものの、手傷は豊作が思ったより深かった。
「もはやこれまで・・・」 豊作は呟いた。
豊作の瞼に郷里に残してきた幼い弟や妹たちのあどけない顔が浮かんだ。
武士とはいえ代々下役の左門家の暮らしは凄惨といえるほど貧しく、一家は狭く痩せた畑を耕しようやく糊口をしのいできた。
「飢えた民百姓を救うには腐りきった幕府を倒すしかない・・」 その一念で京に上ったものの、もはや左門の命は尽きようとしていた。
「弟よ、妹よ・・・、すまぬ・・」 左門は分厚い眼鏡の奥から流れ出る涙を禁じることができなかった。
「左門様、新撰組のお改めでございます」 襖の向こうから女主人の切迫した声が聞こえた。
その刹那、女主人の短い悲鳴とともに襖を蹴破り数人の新撰組隊士が部屋に乱れ入った。
左門は左手で父が遺した備前宗治を引き寄せた。
袈裟懸けに切りつけてくる先頭の隊士の切先を左門はかろうじて柄で受けた。
左門は言いようのない怒りに震えた。この者たちに志はあるのか・・、ただ悪戯に剣を振り回し己の我欲を貪る輩・・。
「許せぬ・・」左門は傷の痛みを堪え宗治をゆっくりと引き抜いた。
やがて襖の背後から襲い掛かる二番手の隊士に向かい、左門は瞬時に八双の構えをとった。そして、
「おぬしら! 国を滅ぼすのが分からぬか!」 とバッサリ!
まあ、「とバッサリ」を使いたければ最低でもこのくらいの準備は必要でしょう(笑)。
ふう。時代小説ごっこは疲れたわい・・。
あ、もう1時だ。今日こそは早寝しようと思ったのに・・。
ほんじゃらな! あばよ! (。・_・。)ノ
2011年06月08日
札響欧州公演【2】
前回からシリーズで札響欧州公演をネタにしてます。しばらく続く予定です。見てね!(o^-')b
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今日から6月定期の練習です。
今回の定期はローマ三部作とショスタコのPコン1です。
定期の練習の一日目っていうのはけっこう疲れるんですよね。
それにしても何でだか分からないけど今日はいつもより疲れたな・・。で、家に帰ってからレッスンも2本やったからもうぐったりです。
あ!、これは文句じゃないですよ。愚痴でもないです!
む、無論ですとも。仕事があるのはありがたいことです。
で、ローマ三部作。
レスピーギ作曲の「ローマの松」、「ローマの噴水」、「ローマの祭り」の三曲を総称してこう呼ぶわけですな。
敢えて例えると、夏目漱石の「三四郎」、「それから」、「門」の三作を三部作と呼ぶようなものです。
言わずもがなですが、インディーショーンズ三部作に例えることもできます。
さて、ローマ三部作の特に「ローマの松」という曲名には実のところ私は中学生の頃から違和感を感じていました。
松と言えばどうしても思うのが、正月の門松のような和のテイストです。
松並木とか本州の浜にある松とか、将軍が植えたとかいう偉そうな松とか、それらはどう考えても和であり日本の風景そのもの。
それが映画「ローマの休日」で有名なローマの石畳の風景にデーンと存在しているなんとも収まりの悪い感じ。
それが今まで私がレスピーギの「ローマの松」に感じている違和感でした(ちょっと強引ですが)。
しかし、今回の定期では違います。
なんつっても先月実際に”ローマの松”を見てきましたから。
ローマというかイタリアの中部から南部にかけての風景には松が多かったわけですが、それは私が想像していた和のテイストの松ではなく、刈り込まれてバッチリ統制されてコントロールされた感じの洋のテイストの松でした。
日本の庭師の刈り込み方とは全然違う、もう太い幹ごとズバっと刈るというよりそぎ落としちゃうような、で、並木全部がそういう感じでそぎ落とされて、強制的に形を揃えられた松であり松並木でした。
あの松が日本の風景にあったら、さぞ違和感を感じるでしょう。でも石畳の西洋の中の西洋と言っていいローマの風景には異様にマッチしていました。
そして、あの整然と形の整った松並木の風景が、レスピーギの「ローマの松」の中の”アッピア街道の松”で表現されているような、デーン・ドーン、デーン・ドーンと大音量で全員で一糸乱れずに襲ってくるような感じなんだな、と。
さらに突き詰めると、改めて洋の東西の感覚の違いというか、美意識の違いを痛感し、あの統制されたシンメトリックな洋の美意識に比べると、日本は不揃いなものや自然の成り行きの中に美を感じるのだな・・、と思ったわけです。
ローマは今回の旅行では、ロンドン公演の翌日の宿泊地でした。
ロンドンのホテルを朝9時に経って、飛行機を乗り継ぎローマに着いたのは夕方の7時くらいでした。
7時と言っても緯度も高いしサマータイムなのでまだまだ明るいです。
楽員数名でタクシーに乗って食事がてらバチカンの大聖堂を見に来ました。
夕刻の大聖堂のあまりの大きさと美しさと荘厳さに圧倒されました。何百年も前にここを訪れた異教徒は日本人も含め、それはそれは圧倒されまくったことでしょう・・。
で、ふと後ろを振り返ると通りの突き当たりに何やら古城が・・。
翌日知ったのですが、この城はプッチーニの「トスカ」の第三幕の舞台になった城でした。
そう、トスカが投獄されている恋人を助ける条件で警視総監スカルピアにエロいことを要求されて、総監を殺して自分は身投げする城ですね。
そうだと分かっていればもっとちゃんと見るべきだったよ!
さて、突然ですが、明日も練習だし今日はそろそろ寝ます。
ほんじゃらな。(。・_・。)ノ

問題の城。
バチカン大聖堂の通りの突き当たりにあるので「突き当たり城」と呼んでいたが、実はトスカ第三幕で有名なサンタンジェロ城だった。(一応写真だけは撮った)
ローマは観光する時間が無いのでガイドブックすら買わずにローマはノーチェックだったのだ。
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今日から6月定期の練習です。
今回の定期はローマ三部作とショスタコのPコン1です。
定期の練習の一日目っていうのはけっこう疲れるんですよね。
それにしても何でだか分からないけど今日はいつもより疲れたな・・。で、家に帰ってからレッスンも2本やったからもうぐったりです。
あ!、これは文句じゃないですよ。愚痴でもないです!
む、無論ですとも。仕事があるのはありがたいことです。
で、ローマ三部作。
レスピーギ作曲の「ローマの松」、「ローマの噴水」、「ローマの祭り」の三曲を総称してこう呼ぶわけですな。
敢えて例えると、夏目漱石の「三四郎」、「それから」、「門」の三作を三部作と呼ぶようなものです。
言わずもがなですが、インディーショーンズ三部作に例えることもできます。
さて、ローマ三部作の特に「ローマの松」という曲名には実のところ私は中学生の頃から違和感を感じていました。
松と言えばどうしても思うのが、正月の門松のような和のテイストです。
松並木とか本州の浜にある松とか、将軍が植えたとかいう偉そうな松とか、それらはどう考えても和であり日本の風景そのもの。
それが映画「ローマの休日」で有名なローマの石畳の風景にデーンと存在しているなんとも収まりの悪い感じ。
それが今まで私がレスピーギの「ローマの松」に感じている違和感でした(ちょっと強引ですが)。
しかし、今回の定期では違います。
なんつっても先月実際に”ローマの松”を見てきましたから。
ローマというかイタリアの中部から南部にかけての風景には松が多かったわけですが、それは私が想像していた和のテイストの松ではなく、刈り込まれてバッチリ統制されてコントロールされた感じの洋のテイストの松でした。
日本の庭師の刈り込み方とは全然違う、もう太い幹ごとズバっと刈るというよりそぎ落としちゃうような、で、並木全部がそういう感じでそぎ落とされて、強制的に形を揃えられた松であり松並木でした。
あの松が日本の風景にあったら、さぞ違和感を感じるでしょう。でも石畳の西洋の中の西洋と言っていいローマの風景には異様にマッチしていました。
そして、あの整然と形の整った松並木の風景が、レスピーギの「ローマの松」の中の”アッピア街道の松”で表現されているような、デーン・ドーン、デーン・ドーンと大音量で全員で一糸乱れずに襲ってくるような感じなんだな、と。
さらに突き詰めると、改めて洋の東西の感覚の違いというか、美意識の違いを痛感し、あの統制されたシンメトリックな洋の美意識に比べると、日本は不揃いなものや自然の成り行きの中に美を感じるのだな・・、と思ったわけです。
ローマは今回の旅行では、ロンドン公演の翌日の宿泊地でした。
ロンドンのホテルを朝9時に経って、飛行機を乗り継ぎローマに着いたのは夕方の7時くらいでした。
7時と言っても緯度も高いしサマータイムなのでまだまだ明るいです。
楽員数名でタクシーに乗って食事がてらバチカンの大聖堂を見に来ました。
夕刻の大聖堂のあまりの大きさと美しさと荘厳さに圧倒されました。何百年も前にここを訪れた異教徒は日本人も含め、それはそれは圧倒されまくったことでしょう・・。
で、ふと後ろを振り返ると通りの突き当たりに何やら古城が・・。
翌日知ったのですが、この城はプッチーニの「トスカ」の第三幕の舞台になった城でした。
そう、トスカが投獄されている恋人を助ける条件で警視総監スカルピアにエロいことを要求されて、総監を殺して自分は身投げする城ですね。
そうだと分かっていればもっとちゃんと見るべきだったよ!
さて、突然ですが、明日も練習だし今日はそろそろ寝ます。
ほんじゃらな。(。・_・。)ノ

問題の城。
バチカン大聖堂の通りの突き当たりにあるので「突き当たり城」と呼んでいたが、実はトスカ第三幕で有名なサンタンジェロ城だった。(一応写真だけは撮った)
ローマは観光する時間が無いのでガイドブックすら買わずにローマはノーチェックだったのだ。
2011年06月07日
札響欧州公演【1】
今回からシリーズで札響欧州公演をネタにします。しばらく続く予定です。見てね!(o^-')b
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私はやっと気がつきました。
長い文章を一気に更新しようとするから時間もかかるし億劫になるのです。
特に今回のテーマは札響50周年の壮大で荘厳、ミラクルにしてワンダホーなアニバーサリー的大事業。
ちょっとやそっとでは書ききれない・・、と思うともうそれだけで怯んでしまっていました。
なので、もうそういうのは止めましたヽ(´▽`)ノ。
そう、お気楽極楽に更新すればいいんだ!
そうなんだよ。誤字があったっていいじゃないか!
話が前後したって多少辻褄が合わなくたっていいんだ!
面白いギャグも思いつかなければ書かなければいんだよ〜
話が途中でも、「今日は眠いからここまでにするよ、パトラッシュ・・」と言って、次回に続けてしまえばいいんだ!。
そうだ〜〜、そうなんだ〜〜〜、 あ〜〜〜はっはっはっは・・・
それでは今日は眠いので寝ます、みなさんさようなら。 (-_-)ノ^
というのはウソです。(`▽´)
さすがにこれで終わったら何のために書き始めたから分からないからね!。
で、今回の札響50周年の荘厳にして・・(以下略)、な欧州公演。
Twitterをご覧いただいた方はすでにご存知かとは思いますが、非常にキツかったけど、結果的には実り多い旅でした。
でも旅の中身に入る前に、旅に行く前の話を少し書きます。
折りしも今の日本は大不景気だし、地震が起きる前から経済は冷え切っていましたよね。
「欧州公演なんて行って札響大丈夫なの?」とずいぶん沢山の方からご心配していただきました(^_^)。
まあ、札響は2001年の英国公演の翌年に経営破綻した前科もありますし、そういう声が上がって当然といえば当然。
しかし、2001年の頃と違って今は公益法人法が改正されて札響のような法人は赤字を出し続けると認可を取り消されるという、どうやっても赤字経営が出来ないシステムになりました。
また、これも昔と違って財務諸表がオフィシャル・サイトで情報公開されているので、財務のかなりのところまでは一般公開されています。一般職員や外部が知らないところで赤字が膨らんでいて手遅れになってから分かる、ということが一応はないシステムです。
これは札響でも仙台フィルでも東京のオケでもそうです。自治体から補助を貰っているオケはもちろん、多くのオケが財務を情報公開しています。
なので、「あのオケは経営が苦しいに違いない」とか「ラクに違いない」とか思いを巡らすより先に、オフィシャル・サイトを見るのが早いです。
そして札響はどうなのか?
苦しい経営ではあるけれども、欧州公演が原因で再び破綻!ということはなさそうです。
そしてもうひとつ、「50周年でなんで欧州なの? 例えば道内を演奏して周ったほうが趣旨に合うのでは?」というご意見も多く聞きました。
私は札響の経営者ではないので、これは当然ながら札響の公式見解でもなんでもなくて、私、荒木個人の考えなのですが、
私は日本のオケ、特に札響のような一定の歴史を踏んだ地方オケにとって、海外公演というのは生き残るための必須科目だと思っています。
理念的なことを言えば、こういう不景気で地震も起きてしまったような時期だからこそ、夢と希望を生むオーケストラ本来の事業をきちっとしなければいけないと言えるでしょうし、
もっと地に足が着いたことを言うと、北海道の多くのクライアントは札響が東京や海外で認められていると評価してこそ公演を買ってくれるのではないでしょうか。
北海道の中だけで演奏していては、あっという間に首都圏のオケや外来オケにマーケットを奪われてしまうでしょう。少なくとも私はそう思います。
なので、札響的には多少無理してでも何とか欧州で公演を成功させて、地元の人たちに「北海道の宝」くらいに言って貰えるように頑張らなくては生き残れないと思います。
さて、そんなバックボーンを踏まえた上で、私は欧州公演の準備が進むのを見守っていたわけですが、
今回行ったドイツ、イギリス、イタリアのかなで、旅行の準備にあたった事務局は、イタリアとの交渉で本当に苦労していました。
とにかく何でも決まるのが遅い国のようです。
某在京オケの過去の欧州公演では、イタリアに関しては楽員を乗せた行きの飛行機の中でやっと公演が正式に決まったとか・・・・(笑)。
さ、話の途中ですが今日はそろそろ寝ます。つづきはまた明日!・・か明後日(たぶん)
アリベデルチ〜〜!(o^-')b
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私はやっと気がつきました。
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ちょっとやそっとでは書ききれない・・、と思うともうそれだけで怯んでしまっていました。
なので、もうそういうのは止めましたヽ(´▽`)ノ。
そう、お気楽極楽に更新すればいいんだ!
そうなんだよ。誤字があったっていいじゃないか!
話が前後したって多少辻褄が合わなくたっていいんだ!
面白いギャグも思いつかなければ書かなければいんだよ〜
話が途中でも、「今日は眠いからここまでにするよ、パトラッシュ・・」と言って、次回に続けてしまえばいいんだ!。
そうだ〜〜、そうなんだ〜〜〜、 あ〜〜〜はっはっはっは・・・
それでは今日は眠いので寝ます、みなさんさようなら。 (-_-)ノ^
というのはウソです。(`▽´)
さすがにこれで終わったら何のために書き始めたから分からないからね!。
で、今回の札響50周年の荘厳にして・・(以下略)、な欧州公演。
Twitterをご覧いただいた方はすでにご存知かとは思いますが、非常にキツかったけど、結果的には実り多い旅でした。
でも旅の中身に入る前に、旅に行く前の話を少し書きます。
折りしも今の日本は大不景気だし、地震が起きる前から経済は冷え切っていましたよね。
「欧州公演なんて行って札響大丈夫なの?」とずいぶん沢山の方からご心配していただきました(^_^)。
まあ、札響は2001年の英国公演の翌年に経営破綻した前科もありますし、そういう声が上がって当然といえば当然。
しかし、2001年の頃と違って今は公益法人法が改正されて札響のような法人は赤字を出し続けると認可を取り消されるという、どうやっても赤字経営が出来ないシステムになりました。
また、これも昔と違って財務諸表がオフィシャル・サイトで情報公開されているので、財務のかなりのところまでは一般公開されています。一般職員や外部が知らないところで赤字が膨らんでいて手遅れになってから分かる、ということが一応はないシステムです。
これは札響でも仙台フィルでも東京のオケでもそうです。自治体から補助を貰っているオケはもちろん、多くのオケが財務を情報公開しています。
なので、「あのオケは経営が苦しいに違いない」とか「ラクに違いない」とか思いを巡らすより先に、オフィシャル・サイトを見るのが早いです。
そして札響はどうなのか?
苦しい経営ではあるけれども、欧州公演が原因で再び破綻!ということはなさそうです。
そしてもうひとつ、「50周年でなんで欧州なの? 例えば道内を演奏して周ったほうが趣旨に合うのでは?」というご意見も多く聞きました。
私は札響の経営者ではないので、これは当然ながら札響の公式見解でもなんでもなくて、私、荒木個人の考えなのですが、
私は日本のオケ、特に札響のような一定の歴史を踏んだ地方オケにとって、海外公演というのは生き残るための必須科目だと思っています。
理念的なことを言えば、こういう不景気で地震も起きてしまったような時期だからこそ、夢と希望を生むオーケストラ本来の事業をきちっとしなければいけないと言えるでしょうし、
もっと地に足が着いたことを言うと、北海道の多くのクライアントは札響が東京や海外で認められていると評価してこそ公演を買ってくれるのではないでしょうか。
北海道の中だけで演奏していては、あっという間に首都圏のオケや外来オケにマーケットを奪われてしまうでしょう。少なくとも私はそう思います。
なので、札響的には多少無理してでも何とか欧州で公演を成功させて、地元の人たちに「北海道の宝」くらいに言って貰えるように頑張らなくては生き残れないと思います。
さて、そんなバックボーンを踏まえた上で、私は欧州公演の準備が進むのを見守っていたわけですが、
今回行ったドイツ、イギリス、イタリアのかなで、旅行の準備にあたった事務局は、イタリアとの交渉で本当に苦労していました。
とにかく何でも決まるのが遅い国のようです。
某在京オケの過去の欧州公演では、イタリアに関しては楽員を乗せた行きの飛行機の中でやっと公演が正式に決まったとか・・・・(笑)。
さ、話の途中ですが今日はそろそろ寝ます。つづきはまた明日!・・か明後日(たぶん)
アリベデルチ〜〜!(o^-')b
2011年05月08日
ちょい悪男の群像
欧州公演に持って行くカメラをデジ一にするか、コンデジにするか迷ってます。デジ一(nikonD200)は重いので軽いズームレンズとも思うのですが生憎持っていません。いっそのこと短焦点一本で勝負するとか・・。男はズバッと短焦点、ってことで。
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=============ここから本文=================
先日、買い物に行ったついでにデパートの背広(スーツという言い方嫌い)売り場を何気なく覗いたんですが、最近は黒ばっかりですね。
いえね、ずっと気になってたんですが、細身の黒背広にノーネクタイでワイシャツの第二ボタンまで開けて着る感じのスタイル。
『ちょい悪』風っていうんでしょうか・・・、
『デキる男は仕事もプライベートも黒スーツでバッチリ!』風 というんでしょうか・・、
なんて言うかよく分かりませんけど、でもね、はっきり言って、
一般人がやったら絶対おかしいって。あれ。
悪いことは言わない。一般人はやめれ!。
カンヌ映画祭の授賞パーティーに出席してる真田広之じゃないんだから。
まあ、あれをさらっと着こなしてカッコいいのは、真田か、矢沢栄吉か、次元大介か、Gメン’75の丹波哲郎くらいでしょう。

(写真はイメージです)
でも最近はちょい悪風男が集団であの格好してますよね。
建物のなかでもサングラスしたりして、ヘンだってば!。「マトリックス」じゃないんだから。
10年後に写真見たら死ぬほど恥ずかしいと思うよ。きっと・・。
”ちょい悪”ってフレーズも雑誌なんかでよく見たり聞いたりするから今使ってるんですけど、そもそも”ちょい悪”ってなに?
この昨今のはみ出し禁止の優等生社会で”ちょい”だろうと”悪”なんてあり得ないと思うのですが・・・。
細身の黒背広をぎこちなく着た私と同世代のおじさんが、飲み屋で若者とかに、
「俺も昔はずいぶんとやんちゃをやったもんだぜ・・」 とかって言うんだろうか・・。想像するだに寒い。私は絶対にやりたくない。
そんな光景を見たら「だから悪って?」 と小一時間ほどそのおじさんを問い詰めたくなるだろう。
例えばなに?
夜中に信号無視したとか?
煙草のポイ捨てをしてしまったとか?
泊まったホテルのタオルを盗んじゃったとか?
2ちゃんねるに憎たらしいやつの悪口書いたとか?
駐車場で隣に止まってる車に擦っちゃったけど、そのまま逃げたとか?
期限切れの定期券を改造してキセルをしたとか?
学生時代に山に入って自生してる大麻っぽい草を摘んできて自宅の押入れで陰干しにして吸ったとか?
その時に東急ハンズの実験コーナーでフラスコとゴムチューブ買って製作した水パイプを使用したとか?
二股かけてたことが彼女にバレて、泣かれて怒られて、やがて重苦しい沈黙の中で3時間ほど正座して過ごしたとか?
まあ”ちょい悪”って言ってもせいぜいそんなところでしょ。
小さい! 小さすぎる!
悪と言ってもしょせんこの程度の一般人が、不良っぽさをアピールするから格好悪いのです。
カラ威張りしてるみたいで逆に弱さを強調してしまうのです。
”ちょい悪”とか言いながら流行に乗ってみんなで同じ格好してるから、余計にヘナチョコ振りを倍増させてしまうのです。
黒澤映画の「用心棒」で、三船敏郎演じる桑畑四十朗こと用心棒が、宿場町のチンピラたちに囲まれて、
「まったくお前たちは可愛らしいな、虫も殺せねえ顔してスゴんでるところが何とも可愛らしいってんだ!」という名セリフがありますが、
集団で黒背広着てスゴんでる”ちょい悪くん”たちはまさにそんな感じ。
三船敏郎に来てもらって「先生! どうぞ!」 とお願いして、
「まったくお前たちは可愛らしいな、虫も殺せねぇ・・・・・」 と言ってやっていただきたいですね。(自分じゃ言えないから)
でも真面目な話、そもそも本当に悪い人間は悪そうな格好なんてしないと思いますよ。きっといい人の振りをしているはずです。
というわけで、
背広売り場で佇むことものの1〜2分。
「よろしかったらご試着なさってください」 という店員に 「あ、いえ・・、」と口ごもり、黒背広を見ていたというだけで恥ずかしくなり、早々に売り場を離れました。
仕事柄、演奏会でも着れて便利なので黒背広を愛用していたのですが、10年くらい前までは探すのに苦労したんです。
売り場で「黒いのはありませんか?」と訊くと
「え? 真っ黒ですか? 礼服とかになっちゃいますね〜」と店員に怪訝な顔をされたものです。
早く流行が終わらないかな〜。
ま、流行が終わったら今度は”流行遅れ”の期間がしばらく続くんでしょうけどね。
自分が一般人であることを充分自覚している私としては、当分黒背広は着れないな・・・
ほんじゃらな!
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先日、買い物に行ったついでにデパートの背広(スーツという言い方嫌い)売り場を何気なく覗いたんですが、最近は黒ばっかりですね。
いえね、ずっと気になってたんですが、細身の黒背広にノーネクタイでワイシャツの第二ボタンまで開けて着る感じのスタイル。
『ちょい悪』風っていうんでしょうか・・・、
『デキる男は仕事もプライベートも黒スーツでバッチリ!』風 というんでしょうか・・、
なんて言うかよく分かりませんけど、でもね、はっきり言って、
一般人がやったら絶対おかしいって。あれ。
悪いことは言わない。一般人はやめれ!。
カンヌ映画祭の授賞パーティーに出席してる真田広之じゃないんだから。
まあ、あれをさらっと着こなしてカッコいいのは、真田か、矢沢栄吉か、次元大介か、Gメン’75の丹波哲郎くらいでしょう。

(写真はイメージです)
でも最近はちょい悪風男が集団であの格好してますよね。
建物のなかでもサングラスしたりして、ヘンだってば!。「マトリックス」じゃないんだから。
10年後に写真見たら死ぬほど恥ずかしいと思うよ。きっと・・。
”ちょい悪”ってフレーズも雑誌なんかでよく見たり聞いたりするから今使ってるんですけど、そもそも”ちょい悪”ってなに?
この昨今のはみ出し禁止の優等生社会で”ちょい”だろうと”悪”なんてあり得ないと思うのですが・・・。
細身の黒背広をぎこちなく着た私と同世代のおじさんが、飲み屋で若者とかに、
「俺も昔はずいぶんとやんちゃをやったもんだぜ・・」 とかって言うんだろうか・・。想像するだに寒い。私は絶対にやりたくない。
そんな光景を見たら「だから悪って?」 と小一時間ほどそのおじさんを問い詰めたくなるだろう。
例えばなに?
夜中に信号無視したとか?
煙草のポイ捨てをしてしまったとか?
泊まったホテルのタオルを盗んじゃったとか?
2ちゃんねるに憎たらしいやつの悪口書いたとか?
駐車場で隣に止まってる車に擦っちゃったけど、そのまま逃げたとか?
期限切れの定期券を改造してキセルをしたとか?
学生時代に山に入って自生してる大麻っぽい草を摘んできて自宅の押入れで陰干しにして吸ったとか?
その時に東急ハンズの実験コーナーでフラスコとゴムチューブ買って製作した水パイプを使用したとか?
二股かけてたことが彼女にバレて、泣かれて怒られて、やがて重苦しい沈黙の中で3時間ほど正座して過ごしたとか?
まあ”ちょい悪”って言ってもせいぜいそんなところでしょ。
小さい! 小さすぎる!
悪と言ってもしょせんこの程度の一般人が、不良っぽさをアピールするから格好悪いのです。
カラ威張りしてるみたいで逆に弱さを強調してしまうのです。
”ちょい悪”とか言いながら流行に乗ってみんなで同じ格好してるから、余計にヘナチョコ振りを倍増させてしまうのです。
黒澤映画の「用心棒」で、三船敏郎演じる桑畑四十朗こと用心棒が、宿場町のチンピラたちに囲まれて、
「まったくお前たちは可愛らしいな、虫も殺せねえ顔してスゴんでるところが何とも可愛らしいってんだ!」という名セリフがありますが、
集団で黒背広着てスゴんでる”ちょい悪くん”たちはまさにそんな感じ。
三船敏郎に来てもらって「先生! どうぞ!」 とお願いして、
「まったくお前たちは可愛らしいな、虫も殺せねぇ・・・・・」 と言ってやっていただきたいですね。(自分じゃ言えないから)
でも真面目な話、そもそも本当に悪い人間は悪そうな格好なんてしないと思いますよ。きっといい人の振りをしているはずです。
というわけで、
背広売り場で佇むことものの1〜2分。
「よろしかったらご試着なさってください」 という店員に 「あ、いえ・・、」と口ごもり、黒背広を見ていたというだけで恥ずかしくなり、早々に売り場を離れました。
仕事柄、演奏会でも着れて便利なので黒背広を愛用していたのですが、10年くらい前までは探すのに苦労したんです。
売り場で「黒いのはありませんか?」と訊くと
「え? 真っ黒ですか? 礼服とかになっちゃいますね〜」と店員に怪訝な顔をされたものです。
早く流行が終わらないかな〜。
ま、流行が終わったら今度は”流行遅れ”の期間がしばらく続くんでしょうけどね。
自分が一般人であることを充分自覚している私としては、当分黒背広は着れないな・・・
ほんじゃらな!
2011年05月06日
Let'sNote W2 エラー ブルースクリーン 無線LAN (備忘録)
あと1週間ほどで札響の欧州公演に出発します。まだまだ先と思っていたのですが、あっという間にきました。
なにはともあれ、無事に出発できそうで感謝しています。
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今日は趣味のパソコン・ネタです。(興味のない方ごめんなさい)
私はデスクトップPCとノートPCを使っているのですが、
近頃、ノートPCの調子が悪くて、突然シャット・ダウンしたり知らないうちに再起動してたりするようになったのです。
シャット・ダウン&再起動(リブート)の頻度は日を追うごとに激しくなり、ついにはまともに作業できなくなりました。
使っているのはPnasonic製のLet's Note cf-w2 です。
新しくはありませんが、このPCは物として品格があり、最近の安物チャイナ製5万円パソコンよりずっと愛着を持って使えます。
XPで使っている分には早さも十分です。まだまだ使うつもりでした。
で、よく見ると、リブートの際に一瞬英語のエラー・メッセージが書いてある青い画面に切り替わります。
この画面は、何度か見たことがあります。
PC歴の長い人は、これが出るとハード・ディスクなどPC本体の物理的な故障を真っ先に疑うと思います。
私もそうでした。

ちなみに、WindowsXP環境下ではこの画面をブルー・スクリーン、別名「死のスクリーン」と呼ぶそうです(爆)
「あ〜、これはもうダメかもな・・・」と思い、PCが正気に戻っている隙を見てデータをDVDに保存。
しかし、今まで多くのPCの臨終に立ち会ってきましたが、今回はPCの物理的な故障とは何か趣が違います。
HDDからの異音もないし、PCも熱くなっていません。動作が異様に重くなるとか、そういう様子もありません。
「死のスクリーン」が出てはいますが、どうもソフト関係でエラーを起こしている気がしなくもありません。
で、とりあえずウィルス・チェックして異常がないので、結局リカバリーしました。
でもダメ。
やはりしばらくするとPCはブルースクリーンと共にリブートします。
で、2回目のリカバリー挑戦 (^_^;)
今度はもっと最悪で、Windowsのセットアップが始まったと同時にリブートして、それをエンドレスで繰り返すようになってしまいました。
頭を冷やしてネットでいろいろ調べてみると、この時期(7年くらい前)のLet's Noteの特定の機種で同じような症状が出ている書き込みをいくつか発見。
そして、HDD交換などの処方に混じって、「無線lanのドライバーを更新したら治った」という記事を見つけました。
「まさかそんな・・。 リカバリーしても治らないのに?」 とその記事のコメントに書いてありましたが、私もまったく同感でした。
でもダメもとでやってみることにしました。しかし、Windowsをセットアップしようとするだけでリブートしてしまうので、ドライバーの更新までたどり着けません。
で、いろいろ考えて、まずはバイオスで無線lanを「無効」にしてからWindowsのセットアップに行ってみると・・・
な!なんと! Windowsのセットアップが無事に出来た。
超オドロキ! なんで??
製造から約7年したらみんな一斉にエラーが出るドライバーなの?? 時限式?
なんだかよく分からないけど、とにかく無線lanがリブートの原因なのは分かりました。
喜んでメーカーHPから最新ドライバーをダウン・ロードしてWindowsのデバイスマネージャからドライバーを更新!
と思ったらデバイスマネージャに無線lanが表示されない・・・・。
そりゃ〜、そうだよね。デバイスで無効にしてるんだから ヽ(´▽`)ノ。
ん? でも待てよ・・。 じゃあどうやってドライバー更新するんだよ??
げー。また壁にぶち当たった!
考えること1日。
次の日に「サポート・センターに電話してみる」という最も基本的な解決方法を思いつく(笑)。
サポート・センターに電話ってなんだか億劫というか、昔のサポート・センターってすごく当てにならなかったから、その頃の記憶が強烈で、ついつい選択肢から排除してしまうんですよねー。
そして電話してみました。
かくかくしかじか・・、lanドライバーが原因で、でもどうやって更新したものか・・、というところまでを説明。
すると電話の向こうの相談員(男性)は、
「お客様・・、もう一歩のところでございます」 と・・(爆)
まあ、なんだか褒められてるんだかよく分からないけど、とにかくもう一歩なんだな、と。(笑)
で、Windowsをセーフモードで起動させればバイオスで無線lanを有効にしてても更新できることを教わりました。
そして早速やってみる。 おお! 出来た!
なるほどね〜〜〜。
セーフモードは思いつきませんでした。
で、私のcf-w2は見事に復活を果たしました。めでたしめでたし。
ちなみに、原因はこのPCの無線lanがナントカいう電波(メモしなかったので失念)をキャッチした途端にエラーを起こすんだそうです。
(私は某スマートフォンが出している電波を疑っているのですが、定かではありません(笑))
そして後日談なのですが、
それならば、同じ症状でジャンクとして出品されているLet'sNoteがヤフオクとかにあるはず・・・
と思い調べてみたら、3000円とか5000円とかでやっぱりありました。
ためしに状態の綺麗なやつを1台買ってみて同じ方法で処置してみたら、見事に治りました(笑)。 5000円でw2を1台ゲット。
同じ症状で廃棄されたり、修理と称してHDDを交換されたりしているLet'sNoteがたくさんあると思います。もったいないことです。
初期のLet'sNoteはとても名機だと思います。まだまだ使いたいと思います。
いや〜、久しぶりにパソコンと楽しく戯れた1週間でしたヽ(´▽`)ノ。
それではみなさん、ご機嫌よう。
【まとめ】
Let'sNoteのW2,Y2 などがブルー画面が現れてリブートする。
(1)バイオス画面(panasonic表示時にF2キー)で無線LANを「無効」にする。
(2)(1)でリブートが改善された場合には無線LANドライバーが原因である可能性が高いのでドライバーを更新する。
(3)http://faq.askpc.panasonic.co.jp/faq/1038/app/servlet/qadoc?001897 でドライバーDL。
(4)バイオスでLANを有効にし、セーフモード(起動時にF8キー)でWindows起動。
(5)デバイスマネージャでDLしたファイルを選択してドライバー更新。
(5)この時点で一旦再起動して通常画面で他の関連アプリケーションを更新すると良い(以下は(3)のPDF説明書参照)
なにはともあれ、無事に出発できそうで感謝しています。
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今日は趣味のパソコン・ネタです。(興味のない方ごめんなさい)
私はデスクトップPCとノートPCを使っているのですが、
近頃、ノートPCの調子が悪くて、突然シャット・ダウンしたり知らないうちに再起動してたりするようになったのです。
シャット・ダウン&再起動(リブート)の頻度は日を追うごとに激しくなり、ついにはまともに作業できなくなりました。
使っているのはPnasonic製のLet's Note cf-w2 です。
新しくはありませんが、このPCは物として品格があり、最近の安物チャイナ製5万円パソコンよりずっと愛着を持って使えます。
XPで使っている分には早さも十分です。まだまだ使うつもりでした。
で、よく見ると、リブートの際に一瞬英語のエラー・メッセージが書いてある青い画面に切り替わります。
この画面は、何度か見たことがあります。
PC歴の長い人は、これが出るとハード・ディスクなどPC本体の物理的な故障を真っ先に疑うと思います。
私もそうでした。

ちなみに、WindowsXP環境下ではこの画面をブルー・スクリーン、別名「死のスクリーン」と呼ぶそうです(爆)
「あ〜、これはもうダメかもな・・・」と思い、PCが正気に戻っている隙を見てデータをDVDに保存。
しかし、今まで多くのPCの臨終に立ち会ってきましたが、今回はPCの物理的な故障とは何か趣が違います。
HDDからの異音もないし、PCも熱くなっていません。動作が異様に重くなるとか、そういう様子もありません。
「死のスクリーン」が出てはいますが、どうもソフト関係でエラーを起こしている気がしなくもありません。
で、とりあえずウィルス・チェックして異常がないので、結局リカバリーしました。
でもダメ。
やはりしばらくするとPCはブルースクリーンと共にリブートします。
で、2回目のリカバリー挑戦 (^_^;)
今度はもっと最悪で、Windowsのセットアップが始まったと同時にリブートして、それをエンドレスで繰り返すようになってしまいました。
頭を冷やしてネットでいろいろ調べてみると、この時期(7年くらい前)のLet's Noteの特定の機種で同じような症状が出ている書き込みをいくつか発見。
そして、HDD交換などの処方に混じって、「無線lanのドライバーを更新したら治った」という記事を見つけました。
「まさかそんな・・。 リカバリーしても治らないのに?」 とその記事のコメントに書いてありましたが、私もまったく同感でした。
でもダメもとでやってみることにしました。しかし、Windowsをセットアップしようとするだけでリブートしてしまうので、ドライバーの更新までたどり着けません。
で、いろいろ考えて、まずはバイオスで無線lanを「無効」にしてからWindowsのセットアップに行ってみると・・・
な!なんと! Windowsのセットアップが無事に出来た。
超オドロキ! なんで??
製造から約7年したらみんな一斉にエラーが出るドライバーなの?? 時限式?
なんだかよく分からないけど、とにかく無線lanがリブートの原因なのは分かりました。
喜んでメーカーHPから最新ドライバーをダウン・ロードしてWindowsのデバイスマネージャからドライバーを更新!
と思ったらデバイスマネージャに無線lanが表示されない・・・・。
そりゃ〜、そうだよね。デバイスで無効にしてるんだから ヽ(´▽`)ノ。
ん? でも待てよ・・。 じゃあどうやってドライバー更新するんだよ??
げー。また壁にぶち当たった!
考えること1日。
次の日に「サポート・センターに電話してみる」という最も基本的な解決方法を思いつく(笑)。
サポート・センターに電話ってなんだか億劫というか、昔のサポート・センターってすごく当てにならなかったから、その頃の記憶が強烈で、ついつい選択肢から排除してしまうんですよねー。
そして電話してみました。
かくかくしかじか・・、lanドライバーが原因で、でもどうやって更新したものか・・、というところまでを説明。
すると電話の向こうの相談員(男性)は、
「お客様・・、もう一歩のところでございます」 と・・(爆)
まあ、なんだか褒められてるんだかよく分からないけど、とにかくもう一歩なんだな、と。(笑)
で、Windowsをセーフモードで起動させればバイオスで無線lanを有効にしてても更新できることを教わりました。
そして早速やってみる。 おお! 出来た!
なるほどね〜〜〜。
セーフモードは思いつきませんでした。
で、私のcf-w2は見事に復活を果たしました。めでたしめでたし。
ちなみに、原因はこのPCの無線lanがナントカいう電波(メモしなかったので失念)をキャッチした途端にエラーを起こすんだそうです。
(私は某スマートフォンが出している電波を疑っているのですが、定かではありません(笑))
そして後日談なのですが、
それならば、同じ症状でジャンクとして出品されているLet'sNoteがヤフオクとかにあるはず・・・
と思い調べてみたら、3000円とか5000円とかでやっぱりありました。
ためしに状態の綺麗なやつを1台買ってみて同じ方法で処置してみたら、見事に治りました(笑)。 5000円でw2を1台ゲット。
同じ症状で廃棄されたり、修理と称してHDDを交換されたりしているLet'sNoteがたくさんあると思います。もったいないことです。
初期のLet'sNoteはとても名機だと思います。まだまだ使いたいと思います。
いや〜、久しぶりにパソコンと楽しく戯れた1週間でしたヽ(´▽`)ノ。
それではみなさん、ご機嫌よう。
【まとめ】
Let'sNoteのW2,Y2 などがブルー画面が現れてリブートする。
(1)バイオス画面(panasonic表示時にF2キー)で無線LANを「無効」にする。
(2)(1)でリブートが改善された場合には無線LANドライバーが原因である可能性が高いのでドライバーを更新する。
(3)http://faq.askpc.panasonic.co.jp/faq/1038/app/servlet/qadoc?001897 でドライバーDL。
(4)バイオスでLANを有効にし、セーフモード(起動時にF8キー)でWindows起動。
(5)デバイスマネージャでDLしたファイルを選択してドライバー更新。
(5)この時点で一旦再起動して通常画面で他の関連アプリケーションを更新すると良い(以下は(3)のPDF説明書参照)
2011年04月13日
モノローグ
みなさんお久しぶりです。
前の更新が・・、2月22日か〜。なんだか遠い昔のような気がします。危うくログインのパスワードを忘れるところでした。
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さて、震災後初めてブログを書きます。
あまりにいろいろな事が起きて、それは天災であり、中には天災とばかりも呼べないものもあり、
復興とは裏腹に、こうしている間にも事態が悪化していることもあり、
日常とはこんなにもあっけなく断絶してしまうんだな・・・、と意識の奥の方でぼんやりと呟いていたり、
日本の将来への不安と希望が交錯し、それは同時に自分の将来にも直結しているのだなという現実味を帯びた実感があり、
TVで見る映像と自分の身の回りの変化のない景色との乖離感に、何とも言えない身の置き場のなさを感じたり、
もっと身近な事を言えば、仙台フィルや山響など東北のオケはもちろん、首都圏や全国のオケに波及して来るであろう非常に厳しい状況、
それもこれも含めて、何も書けませんでした。
音楽家というのは政治的な事を言ってはいけない、というのが私の信条です。(唯一言っていいのは、自分に関係する文化予算が削減される局面でそれに反対する時だけ)
私はとても音楽家らしく見えませんが、一応演奏を生業にしているので音楽家のカテゴリーに入る人間です。
そして私は本来政治に興味が無い人間ではなく、政治的な内容で書きたいことはたくさんあるのですが、今までHPを運営し、ブログを書き続けて15年くらい経ちますが、政治的な事を書かないという自らの掟を破ったことは一度もありません(たぶん無いような気がします)。
新聞記事やTVの(政治的な)ニュースに安易に突っ込みを入れる事も、ネットを含む公の場所では厳に慎んでいるつもりです。
では、なぜ音楽家は政治を語ってはいけないと思うのか、
理想的なことから先に言うと、
音楽は全ての思想信条の人の癒しのためにあります。
ベートーヴェンやモーツァルトの音楽に政治的な色を付けることは芸術に対する冒涜です。
例えば、民主党寄りのオーケストラとか、自民党寄りのオーケストラ、なんていうものが存在してはいけないのです。
「○○党寄りのオーケストラが演奏したベートーヴェンなんて聴きたくないよ」などという感想が出るような情況を生んでは絶対にダメです。
(個人の音楽家とオーケストラは違うという考えもあるでしょうが、私はオーケストラを法人としての音楽家ととらえています。なので敢えて区別せずに語ります)
音楽家とはそういう俗事から超然と存在する特権を与えられた存在なのだと私は思っています。
逆に言うと、そういうルールの下で存在を許されている存在でもあると思います。
一部を除く一般的な(私のような)音楽家は貧乏で社会的な力もありませんが、その一点のみにおいては特権階級なのだというプライドは捨てるべきではありません。
そして現実的な事をいうと、
仮にどこかの政党寄りのオーケストラなんていうものがあって、さあ政権交代があったので助成金はカットです。などという事があっては困るのです。
そして現代日本のオーケストラにあっては、大企業含め多くの寄付金を募って運営しています。
さらに言うと、私はオーケストラの団員であると同時に公益財団の職員でもあります。
当然そこには”配慮”というものが必要になってくるでしょう。
これは汚いとか卑怯とかいう次元の話しではなく、
例えば、バッハが教会支配に反対し、政教分離を叫んで音楽ができたか?
ベートーヴェンやモーツァルトが、貴族政治打破のシュプレヒコールを叫んでウィーンの街頭をビラを撒きながらデモ行進して、それでも作曲活動を続けられたか?
ショスタコーヴィッチが共産党の一党独裁体制を公然と批判して命があったか?(ショスタコーヴィッチに関しては例外的な見方もできますが)
ということです。(ちょっと極端な例でしたが)
では、どうやって個人としての自分と音楽家としての公人の自分との調整を図るか?、というと、
それは、「政治は語らない」 に尽きると思います。
さて、そういうバックボーンを踏まえた上で、
今この時期に、政治にも触れずに、行政にも選挙にも原発についても一切自分の意見は言わずに何かモノが書けるか?
政治とはまったく無関係に今回の災害について書けるか、あるいは地震など無かったかのように相変わらずルパン三世やカメラについて熱く語れるか? という問題。
これは(私にとっては)非常〜〜〜に難しいです。
とはいうものの、こんなオタクっぽい内容のブログの、しかも2ヶ月間近くも更新していないのに、毎日100〜200のアクセスがあり、ブログ・ランキングも10位代にとどまっているというのは、
本当〜に物好きですね、おまえら。 本当にありがたいです。
なので今日は昨今の心境について語ってみました(照)。
それでは、あばよ!
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あまりにいろいろな事が起きて、それは天災であり、中には天災とばかりも呼べないものもあり、
復興とは裏腹に、こうしている間にも事態が悪化していることもあり、
日常とはこんなにもあっけなく断絶してしまうんだな・・・、と意識の奥の方でぼんやりと呟いていたり、
日本の将来への不安と希望が交錯し、それは同時に自分の将来にも直結しているのだなという現実味を帯びた実感があり、
TVで見る映像と自分の身の回りの変化のない景色との乖離感に、何とも言えない身の置き場のなさを感じたり、
もっと身近な事を言えば、仙台フィルや山響など東北のオケはもちろん、首都圏や全国のオケに波及して来るであろう非常に厳しい状況、
それもこれも含めて、何も書けませんでした。
音楽家というのは政治的な事を言ってはいけない、というのが私の信条です。(唯一言っていいのは、自分に関係する文化予算が削減される局面でそれに反対する時だけ)
私はとても音楽家らしく見えませんが、一応演奏を生業にしているので音楽家のカテゴリーに入る人間です。
そして私は本来政治に興味が無い人間ではなく、政治的な内容で書きたいことはたくさんあるのですが、今までHPを運営し、ブログを書き続けて15年くらい経ちますが、政治的な事を書かないという自らの掟を破ったことは一度もありません(たぶん無いような気がします)。
新聞記事やTVの(政治的な)ニュースに安易に突っ込みを入れる事も、ネットを含む公の場所では厳に慎んでいるつもりです。
では、なぜ音楽家は政治を語ってはいけないと思うのか、
理想的なことから先に言うと、
音楽は全ての思想信条の人の癒しのためにあります。
ベートーヴェンやモーツァルトの音楽に政治的な色を付けることは芸術に対する冒涜です。
例えば、民主党寄りのオーケストラとか、自民党寄りのオーケストラ、なんていうものが存在してはいけないのです。
「○○党寄りのオーケストラが演奏したベートーヴェンなんて聴きたくないよ」などという感想が出るような情況を生んでは絶対にダメです。
(個人の音楽家とオーケストラは違うという考えもあるでしょうが、私はオーケストラを法人としての音楽家ととらえています。なので敢えて区別せずに語ります)
音楽家とはそういう俗事から超然と存在する特権を与えられた存在なのだと私は思っています。
逆に言うと、そういうルールの下で存在を許されている存在でもあると思います。
一部を除く一般的な(私のような)音楽家は貧乏で社会的な力もありませんが、その一点のみにおいては特権階級なのだというプライドは捨てるべきではありません。
そして現実的な事をいうと、
仮にどこかの政党寄りのオーケストラなんていうものがあって、さあ政権交代があったので助成金はカットです。などという事があっては困るのです。
そして現代日本のオーケストラにあっては、大企業含め多くの寄付金を募って運営しています。
さらに言うと、私はオーケストラの団員であると同時に公益財団の職員でもあります。
当然そこには”配慮”というものが必要になってくるでしょう。
これは汚いとか卑怯とかいう次元の話しではなく、
例えば、バッハが教会支配に反対し、政教分離を叫んで音楽ができたか?
ベートーヴェンやモーツァルトが、貴族政治打破のシュプレヒコールを叫んでウィーンの街頭をビラを撒きながらデモ行進して、それでも作曲活動を続けられたか?
ショスタコーヴィッチが共産党の一党独裁体制を公然と批判して命があったか?(ショスタコーヴィッチに関しては例外的な見方もできますが)
ということです。(ちょっと極端な例でしたが)
では、どうやって個人としての自分と音楽家としての公人の自分との調整を図るか?、というと、
それは、「政治は語らない」 に尽きると思います。
さて、そういうバックボーンを踏まえた上で、
今この時期に、政治にも触れずに、行政にも選挙にも原発についても一切自分の意見は言わずに何かモノが書けるか?
政治とはまったく無関係に今回の災害について書けるか、あるいは地震など無かったかのように相変わらずルパン三世やカメラについて熱く語れるか? という問題。
これは(私にとっては)非常〜〜〜に難しいです。
とはいうものの、こんなオタクっぽい内容のブログの、しかも2ヶ月間近くも更新していないのに、毎日100〜200のアクセスがあり、ブログ・ランキングも10位代にとどまっているというのは、
なので今日は昨今の心境について語ってみました(照)。
それでは、あばよ!
2011年02月22日
国境は別れの顔
3月1日19:00 サントリーホール で札響東京公演があります。(詳しくは札響公式サイトで)
東京方面のお友だちは来てね(o^-')b
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今日はルパン三世について書きます。
1971年〜72年に放送されたTV第一シリーズの時は私はまだ小学1〜2年生だったので何も覚えていません。
このシリーズは再放送で小学校高学年の時に知りました。
いわゆる”旧ルパン”と呼ばれるルパンが青背広を着たこのシリーズが、『大人向けアニメ』として当初作られたことはあまりにも有名です。
大隅正秋の懲りまくった大人向け演出が裏目に出て視聴率がとれずに、4話目からは高畑勲と宮崎駿という、後のジブリのお二人が変名で制作を引き継いだのもあまりにも有名です。
この辺りに関して素人の私が述べることは何もありません。
旧ルパンに関しては彼ら超優秀なスタッフによって制作されているので、今見ても本当に面白い完成度の高い作品がきら星のごとくひしめいています。
クールでハードボイルドで、そして少しエッチな、大人の魅力満載なルパンです。
何も言うことはありません。
しかし、1年で打ち切りになってしまうとは・・。この素晴らしい作品が登場するには時代が早すぎたというしかありません。
そして、本格的にルパン三世がブレイクするのは1977年〜80年のTV第二シリーズでしょう。
赤背広を着たいわゆる”新ルパン”です。
超人気アニメとなった新ルパンは155話も続いた訳ですが、視聴率に苦しんだ第一シリーズの反動からか、この新ルパンはいたって子供向けに作られていたように思います。
特に、シリーズ後半は荒唐無稽なコメディータッチの作品が目立ちました。
ルパンの泥棒の手口も、”頭を使って獲物を仕留める”、”銭形との丁々発止のやりとり”、などは影を潜め、ルパンがドラえもんの未来の道具のような物を使う安易な手法が目立ちました。
毎週、少しは期待してTVを見てはがっかりしたものです。
そんな中、ひときは異彩を放つ名作もありました。
145話の「死の翼アルバトロス」と最終話「わが愛しきルパン」の二作。
これはもう別格。宮崎駿が脚本・演出を担当して破格の予算とセル画をつぎ込んで制作されてるので、他の作品とは比べようもありません。
多くの人が語り尽くしているので、いまさら素人の私が言うことは何もありません。
1979年制作の「カリオストロの城」含め、宮崎駿演出のこれら三作はその後何十回観たかわかりません。
そういえば、初めてサンサーンスの交響曲第3番「オルガン」を聴いた時に、
「あれ!?、これ『アルバトロス』の曲じゃん!」と思ったものです(笑)。
で、それ以外で異彩を放つ名作として私が挙げたいのが、第58話の「国境は別れの顔」です。
この作品は次元が主役の巻です。そして、とてもロマンチックなお話しです。
簡単にストーリーを説明すると、
「オーロラの雫」と呼ばれるダイヤを盗みに、ルパンと次元はソ連に潜入します。
そこで、バレエのプリマドンナ(モニカという名前)が舞台で着けているそのダイヤを舞台の天井に忍び込んで盗みます。(この盗み方はドラえもん的で気に入らない)
しかし、ソ連の官憲に追われて、次元は肩を撃たれます。ルパンは「必ず助けに来る」と言い残し逃げ去ります。
命からがら官憲から逃れた次元は、ある美女にかくまわれて目を覚まします。肩の傷は丁寧に手当されていました。
その美女はあのバレエのプリマを演じていたモニカでした。
モニカは西側に亡命したいことを次元に告白し、自分を連れて逃げてくれるように懇願します。
そして二人の逃避行が始まります。
夫婦と偽って旅をする二人。列車から飛び降りたり、雪山で遭難しかかったりしながら、何とかチェコスロバキアとオーストリアの国境までたどり着きます。
しかし、国境警備隊に見つかり、次元はサイドカーを操り命がけでモニカだけを国境からオーストリアに逃がします。
警備隊に捕まった次元はその場で銃殺されることになりました。
「資本主義社会のダニを一匹銃殺にする」というレトロな号令より一瞬早く、ルパンと五右衛門が気球で次元を救い出します。
そして後日、西側の遊園地でモニカと再会する次元。
観覧車の中でモニカと次元が向き合います。
「次元・・、ありがとう」
「ん? 礼を言われる覚えはねーよ」
「だって、私のために”オーロラの雫”を運んでくれたんですもの」
銃を構えるモニカに次元は一瞬驚いた風を見せます。
モニカの命じるままに肩の包帯を取ると、そこにはダイヤが隠されていました。
「最初から俺を運び屋に?」
とまあ、そんな感じの話です。
話の中には
「裏切らない女がいたらお目にかかりたいぜ」とか、
「女と心中したと聞いたら、ルパンが何と言うかな・・」とか、
「ふっ、デートの約束なんて俺にはとても似合わねぇ・・」など、
次元のダンディズムとニヒリズムがムンムン・ムラムラと立ちのぼるセリフが満載です。
孤独と諦めの中にこそ男の美学があるのでしょう・・・。うんうん。
「いや、次元さん、きっと裏切らない女性だっていますよ!」なんて言おうものなら、
「ふっ、坊や、そう思うのは勝手だが、女の裏切りが男を大人にするんだぜ。覚えておきな」とか言うでしょう。
万が一、機嫌が悪いときにでもあたろうものなら、0.3秒の早撃ちでマグナムをお見舞いされると思います。
今の日本の男に欠けているのは、女にけして媚びない、聞き分けのない野郎にはマグナムをぶち込んでやるぜ、という勢いのクールな男臭だと思います。
私も見習いたいと思います。
で、この作品、ソ連とか亡命とかチェロスロバキアとか、今は亡きインターナショナルな浪漫がてんこ盛りなのですが、音楽がとても素敵です。
白鳥の湖の情景に始まり、
二人の逃避行では、白鳥の湖の中の”グラン・アダージョ”や”チャルダッシュ”などが使われています。
また、スッペの「詩人と農夫」や、選曲者はよほどのバレエ通なのか、次元とモニカか遊園地で再会するシーンでは、ドラティーの「卒業舞踏会」なんていうマイナーな曲がさりげなく使われていたりします。
こうしたクラシックの特にバレエの名曲が随所に、非常に効果的に使われていて作品に品格を与えているのです。
泥棒の道具がドラえもん的だったり、銭形がバカっぽく描かれていたり、気に入らない箇所もあるのですが、補ってあまりある魅力がこの作品にはあります。
DVDになっているかは微妙ですが、見つけたら是非観てください。
そして、現代の私たちに不足しているダンディズムとは何かを研究しましょう。

ロシア人の”イワノフ夫妻”に扮した次元とモニカ(ルパン第58話「国境は別れの顔」より)
それではお前ら、あばよ!
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今日はルパン三世について書きます。
1971年〜72年に放送されたTV第一シリーズの時は私はまだ小学1〜2年生だったので何も覚えていません。
このシリーズは再放送で小学校高学年の時に知りました。
いわゆる”旧ルパン”と呼ばれるルパンが青背広を着たこのシリーズが、『大人向けアニメ』として当初作られたことはあまりにも有名です。
大隅正秋の懲りまくった大人向け演出が裏目に出て視聴率がとれずに、4話目からは高畑勲と宮崎駿という、後のジブリのお二人が変名で制作を引き継いだのもあまりにも有名です。
この辺りに関して素人の私が述べることは何もありません。
旧ルパンに関しては彼ら超優秀なスタッフによって制作されているので、今見ても本当に面白い完成度の高い作品がきら星のごとくひしめいています。
クールでハードボイルドで、そして少しエッチな、大人の魅力満載なルパンです。
何も言うことはありません。
しかし、1年で打ち切りになってしまうとは・・。この素晴らしい作品が登場するには時代が早すぎたというしかありません。
そして、本格的にルパン三世がブレイクするのは1977年〜80年のTV第二シリーズでしょう。
赤背広を着たいわゆる”新ルパン”です。
超人気アニメとなった新ルパンは155話も続いた訳ですが、視聴率に苦しんだ第一シリーズの反動からか、この新ルパンはいたって子供向けに作られていたように思います。
特に、シリーズ後半は荒唐無稽なコメディータッチの作品が目立ちました。
ルパンの泥棒の手口も、”頭を使って獲物を仕留める”、”銭形との丁々発止のやりとり”、などは影を潜め、ルパンがドラえもんの未来の道具のような物を使う安易な手法が目立ちました。
毎週、少しは期待してTVを見てはがっかりしたものです。
そんな中、ひときは異彩を放つ名作もありました。
145話の「死の翼アルバトロス」と最終話「わが愛しきルパン」の二作。
これはもう別格。宮崎駿が脚本・演出を担当して破格の予算とセル画をつぎ込んで制作されてるので、他の作品とは比べようもありません。
多くの人が語り尽くしているので、いまさら素人の私が言うことは何もありません。
1979年制作の「カリオストロの城」含め、宮崎駿演出のこれら三作はその後何十回観たかわかりません。
そういえば、初めてサンサーンスの交響曲第3番「オルガン」を聴いた時に、
「あれ!?、これ『アルバトロス』の曲じゃん!」と思ったものです(笑)。
で、それ以外で異彩を放つ名作として私が挙げたいのが、第58話の「国境は別れの顔」です。
この作品は次元が主役の巻です。そして、とてもロマンチックなお話しです。
簡単にストーリーを説明すると、
「オーロラの雫」と呼ばれるダイヤを盗みに、ルパンと次元はソ連に潜入します。
そこで、バレエのプリマドンナ(モニカという名前)が舞台で着けているそのダイヤを舞台の天井に忍び込んで盗みます。(この盗み方はドラえもん的で気に入らない)
しかし、ソ連の官憲に追われて、次元は肩を撃たれます。ルパンは「必ず助けに来る」と言い残し逃げ去ります。
命からがら官憲から逃れた次元は、ある美女にかくまわれて目を覚まします。肩の傷は丁寧に手当されていました。
その美女はあのバレエのプリマを演じていたモニカでした。
モニカは西側に亡命したいことを次元に告白し、自分を連れて逃げてくれるように懇願します。
そして二人の逃避行が始まります。
夫婦と偽って旅をする二人。列車から飛び降りたり、雪山で遭難しかかったりしながら、何とかチェコスロバキアとオーストリアの国境までたどり着きます。
しかし、国境警備隊に見つかり、次元はサイドカーを操り命がけでモニカだけを国境からオーストリアに逃がします。
警備隊に捕まった次元はその場で銃殺されることになりました。
「資本主義社会のダニを一匹銃殺にする」というレトロな号令より一瞬早く、ルパンと五右衛門が気球で次元を救い出します。
そして後日、西側の遊園地でモニカと再会する次元。
観覧車の中でモニカと次元が向き合います。
「次元・・、ありがとう」
「ん? 礼を言われる覚えはねーよ」
「だって、私のために”オーロラの雫”を運んでくれたんですもの」
銃を構えるモニカに次元は一瞬驚いた風を見せます。
モニカの命じるままに肩の包帯を取ると、そこにはダイヤが隠されていました。
「最初から俺を運び屋に?」
とまあ、そんな感じの話です。
話の中には
「裏切らない女がいたらお目にかかりたいぜ」とか、
「女と心中したと聞いたら、ルパンが何と言うかな・・」とか、
「ふっ、デートの約束なんて俺にはとても似合わねぇ・・」など、
次元のダンディズムとニヒリズムがムンムン・ムラムラと立ちのぼるセリフが満載です。
孤独と諦めの中にこそ男の美学があるのでしょう・・・。うんうん。
「いや、次元さん、きっと裏切らない女性だっていますよ!」なんて言おうものなら、
「ふっ、坊や、そう思うのは勝手だが、女の裏切りが男を大人にするんだぜ。覚えておきな」とか言うでしょう。
万が一、機嫌が悪いときにでもあたろうものなら、0.3秒の早撃ちでマグナムをお見舞いされると思います。
今の日本の男に欠けているのは、女にけして媚びない、聞き分けのない野郎にはマグナムをぶち込んでやるぜ、という勢いのクールな男臭だと思います。
私も見習いたいと思います。
で、この作品、ソ連とか亡命とかチェロスロバキアとか、今は亡きインターナショナルな浪漫がてんこ盛りなのですが、音楽がとても素敵です。
白鳥の湖の情景に始まり、
二人の逃避行では、白鳥の湖の中の”グラン・アダージョ”や”チャルダッシュ”などが使われています。
また、スッペの「詩人と農夫」や、選曲者はよほどのバレエ通なのか、次元とモニカか遊園地で再会するシーンでは、ドラティーの「卒業舞踏会」なんていうマイナーな曲がさりげなく使われていたりします。
こうしたクラシックの特にバレエの名曲が随所に、非常に効果的に使われていて作品に品格を与えているのです。
泥棒の道具がドラえもん的だったり、銭形がバカっぽく描かれていたり、気に入らない箇所もあるのですが、補ってあまりある魅力がこの作品にはあります。
DVDになっているかは微妙ですが、見つけたら是非観てください。
そして、現代の私たちに不足しているダンディズムとは何かを研究しましょう。

ロシア人の”イワノフ夫妻”に扮した次元とモニカ(ルパン第58話「国境は別れの顔」より)
それではお前ら、あばよ!
2011年02月01日
燃え尽きた part6
先週末の定期でプロコの5番やりました。プロコは好き嫌いが分かれる作曲家トップ10に入ります。私が入れました。たった今。そのくらい好みが分かれる作曲家なのですが、私はかなり好きです。同時代ソ連のショスタコとは全く違い、”現実から目を背けてメルヒェンチックで耽美的感”が何とも頭良さげで憧れます。
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さて、多くの知人・友人の方々、ブログをご覧の皆様、そして全国一万人の愛人たちからたくさんの激励をいただきつつ受験した行政書士試験の結果発表がありました。
それにしても、11月14日の試験から1月24日の結果発表まで実に2ヶ月余・・・。 長い、長すぎる。
昨年は174点で不合格でした(180点以上が合格)。
その悔しさをバネに、昨年は本当〜〜〜〜によく勉強しました。
行政書士試験業界屈指のカリキュラムの分量と深度を誇る某通信教材を全てこなし、
模試では常に合格ラインを突破する実力を身につけました。
正直言って、よほどヘマをしなければ落ちないだろうという自信はありました。
もちろん最後まで気を抜かず勉強しましたが・・。
そして今年は・・・
今年、私が取った点数は・・・・・・
その点数とは!
170点・・・・・ (・д・)
ぜんっぜん悔しくないもんね〜〜〜〜
もうね、なんつーか、悔しいとか悲しいとか超むかつく〜、とかそういうのは卒業したの。
まあ、いろんなこと犠牲にして勉強に打ち込んだとか、
リハーサルの合間とか、演奏旅行の移動中とかも問題集解きまくったとか、
いろいろありますよ。そりゃ〜、仮にも士業の試験ですからね・・・、
でもホント、へっちゃらですよ。うん。ひゅ〜〜ひゅ〜〜〜〜〜(←口笛の音)
確かにね、行政書士の試験は近年異様に難しくなってて、しかも年によって難易度にバラツキありすぎだろ!とか、
合格率を固定しろよ、合格率を!。合格の点数固定してどうすんだよ! とか、
まあ、いろいろ不満はありますよ。
でもね、ぜんぜん平気だもんね〜〜〜。
は〜〜〜〜〜、
あ、これため息じゃないですよ。健康のために深呼吸しただけ。
そう、よく資格予備校のカリキュラムとかに、
行政書士試験「初級」、とか「中・上級」とかクラス分けがあって、
最初の頃は、「中・上級」ってなに?(笑)。
特に上級ってどうよ? カリスマ受験生とかプロの受験生とか?w
受験生段階で上級とか言われてもぜんぜん嬉しくないだろ・・、と思ったものですが、
宅建の資格を取り、行政書士試験で2年連続で170点台を記録した(でも落ちた)私はまさに、「上級」の名を冠するに値する受験生・・・・。
うん、確かにぜんぜん嬉しくない。誇らしくもない。どちらかというと情けない感じ? みたいな? じょーたい? 身をもって分かりました。
あ、でもま〜〜〜ったく悔しがってませんから。 ひゅ〜〜ひゅ〜〜〜〜、カッ、カッ(←口笛を吹きながら軽やかにタップを踊っている音)
お〜〜し、こうなったら、受かるまで受けてやろう。
もう腹くくった。
矢でも鉄砲でも持っていらっしゃい!
今年は試験問題が難しかったので、合格率はさぞ低かったろうと思ったのですが、どうやら5%台で突出して低かったわけでもなかった模様。
司法試験が5回までしか受けられなくなったとか、行政書士の職域が広がっているとか、いろんな理由があって行政書士試験が質的に変化しているのは明かだと思います。
実際、行政書士試験の過去問集が行政法以外では模試や実戦でほとんど役に立ちません。
次回は、民法・憲法は司法書士や司法試験の択一の問題集、会社法は公認会計士の問題集、など使い分けて臨もうと思います。
というわけで、全国でも大変珍しい行政書士チェロ奏者の誕生は来年まで延期になりました。
それではみなさんごきげんよう。
ヽ(`Д´)ノ ウァァァァン!!!
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さて、多くの知人・友人の方々、ブログをご覧の皆様、そして全国一万人の愛人たちからたくさんの激励をいただきつつ受験した行政書士試験の結果発表がありました。
それにしても、11月14日の試験から1月24日の結果発表まで実に2ヶ月余・・・。 長い、長すぎる。
昨年は174点で不合格でした(180点以上が合格)。
その悔しさをバネに、昨年は本当〜〜〜〜によく勉強しました。
行政書士試験業界屈指のカリキュラムの分量と深度を誇る某通信教材を全てこなし、
模試では常に合格ラインを突破する実力を身につけました。
正直言って、よほどヘマをしなければ落ちないだろうという自信はありました。
もちろん最後まで気を抜かず勉強しましたが・・。
そして今年は・・・
今年、私が取った点数は・・・・・・
その点数とは!
170点・・・・・ (・д・)
ぜんっぜん悔しくないもんね〜〜〜〜
もうね、なんつーか、悔しいとか悲しいとか超むかつく〜、とかそういうのは卒業したの。
まあ、いろんなこと犠牲にして勉強に打ち込んだとか、
リハーサルの合間とか、演奏旅行の移動中とかも問題集解きまくったとか、
いろいろありますよ。そりゃ〜、仮にも士業の試験ですからね・・・、
でもホント、へっちゃらですよ。うん。ひゅ〜〜ひゅ〜〜〜〜〜(←口笛の音)
確かにね、行政書士の試験は近年異様に難しくなってて、しかも年によって難易度にバラツキありすぎだろ!とか、
合格率を固定しろよ、合格率を!。合格の点数固定してどうすんだよ! とか、
まあ、いろいろ不満はありますよ。
でもね、ぜんぜん平気だもんね〜〜〜。
は〜〜〜〜〜、
あ、これため息じゃないですよ。健康のために深呼吸しただけ。
そう、よく資格予備校のカリキュラムとかに、
行政書士試験「初級」、とか「中・上級」とかクラス分けがあって、
最初の頃は、「中・上級」ってなに?(笑)。
特に上級ってどうよ? カリスマ受験生とかプロの受験生とか?w
受験生段階で上級とか言われてもぜんぜん嬉しくないだろ・・、と思ったものですが、
宅建の資格を取り、行政書士試験で2年連続で170点台を記録した(でも落ちた)私はまさに、「上級」の名を冠するに値する受験生・・・・。
うん、確かにぜんぜん嬉しくない。誇らしくもない。どちらかというと情けない感じ? みたいな? じょーたい? 身をもって分かりました。
あ、でもま〜〜〜ったく悔しがってませんから。 ひゅ〜〜ひゅ〜〜〜〜、カッ、カッ(←口笛を吹きながら軽やかにタップを踊っている音)
お〜〜し、こうなったら、受かるまで受けてやろう。
もう腹くくった。
矢でも鉄砲でも持っていらっしゃい!
今年は試験問題が難しかったので、合格率はさぞ低かったろうと思ったのですが、どうやら5%台で突出して低かったわけでもなかった模様。
司法試験が5回までしか受けられなくなったとか、行政書士の職域が広がっているとか、いろんな理由があって行政書士試験が質的に変化しているのは明かだと思います。
実際、行政書士試験の過去問集が行政法以外では模試や実戦でほとんど役に立ちません。
次回は、民法・憲法は司法書士や司法試験の択一の問題集、会社法は公認会計士の問題集、など使い分けて臨もうと思います。
というわけで、全国でも大変珍しい行政書士チェロ奏者の誕生は来年まで延期になりました。
それではみなさんごきげんよう。
ヽ(`Д´)ノ ウァァァァン!!!