昭和40年代後半、オイルショック、印パ戦争、長嶋引退、レインボーマン、
日本列島改造論、昭和枯れすすき大ヒット、
そんな時代の私が育ち今も住む札幌市旭ヶ丘のお話し。
旭ヶ丘のこじんまりとした商店街に、「旭文堂」という小さな本屋があった。
本屋ではあるが、本の他に、文房具、プラモデル、
ちょっとしたおもちゃもなんかも置いてあった。
恰幅の良い眠たそうな目のオバサンが店番をしていた。
店はオバサンの住居と繋がっており、
オバサンは店と住居の間の中玄関でいつも長電話をしていた。
木枠のガラスドアを開けると、ドアチャイムが狭い店内に響き渡る。
するとオバサンは「ちょっと待って、お客さん」と少し億劫そうに
電話の向こうの相手に話す。
受話器を置いて気だるく私に言う。「ハイ、僕、な〜に?」
当時小学校低学年の私は、オバサンの電話を中断してしまった申し訳なさと、
小学生からは巨大に見えるオバサンの無表情な迫力に押され萎縮する。
しばし沈黙・・・・。
するとオバサンは、あっと言う間に痺れを切らせ、
「買うの? ・・買わないの?」
と、これまた迫力の応対。
ますます萎縮して私はシドロモドロに「い・・いえ、あの、いいです」
とか何とか言って、目的を果たせずに早々に店を後にする。
だから、プラモデルなんかが欲しいときは、
店の外からガラス戸越しに、欲しいプラモデルを見定め、
派手なチャイムと共に店に入るなり、
「これ下さい!」とオバサンの電話を邪魔しないように、
目的のプラモを指して言うのだ。
それが旭文堂での作法。
小学3年生の頃、当時新発売のシャープペンシルがクラスで流行った。
旭文堂に恐る恐る買いに行った。
500円のシャープペンシルが色違いで2種類置いてあった。
私は店に入るなり、小学生らしい健気さを精一杯演じ、
「シャーッペン ありますか?!」と半分裏返った声で言った。
オバサンは、「あるよ。青と赤があるけど・・。むろん青がいいね」
と仰せになった・・。
この「むろん青がいいね」という有無を言わせぬナイスな対応は、
30年経った今でも私の心の琴線を震わせ続けている。
小学校高学年になった頃だろうか。
私の母が「ミセス」か何かを買いに旭文堂を訪れた時の話しだ。
オバサンは私の母に、
「息子さん、いつも買い物に来て偉いわね〜」と仰しゃったそうだ。
実は優しいオバサンだった。(らしい)
その後旭文堂は店をたたみ、しばらく空き家になっていたが、
現在その建物は紙包みスパゲッティーが美味しい
イタリア料理で有名な”カルタパコ”になっている。
”カルタパコ”のお話しはまたいつか。