2005年10月30日

オッコ・カム

先週からオッコ・カム週間であった。
小樽でのほくでんファミリーコンサート、そして札幌での定期演奏会
と続けてカムの指揮でシベリウスを演奏した。

小樽のほくでんではシベリウスの2番交響曲、カレリア、
フィンランディア、アンダンテ・フェスティーボ。
定期は同じくシベリウスのポヒョラの娘、交響曲第7番と4番。

ほくでんファミリーの練習日は1日、本番1回、定期は3日間で本番は2回。
計7日間、カムの指揮でシベリウスをぎっしりやった事になる。
今週の札響はまさにカムとシベリウス漬けであった。
カム制作のシベリウス味の漬け物か佃煮が出来そうな勢いであった。

今を去ること四半世紀前、中学生だった頃にシベリウスのレコードを
始めて買ったのがオッコ・カム指揮、ベルリン・フィルの
シベリウス2番交響曲だった。
私のシベリウスとの出会いもそのレコードによってもたらされた。
そのレコードはそれこそ擦り切れるくらい聴きこんだ。
フィンランド国立歌劇場管のコンマスを辞し、カラヤンコンクールで優勝し、
指揮者としてデビューを果たしたあの頃カムは若干25才だったのだ。

それから私はすっかりシベリウスのオーケストラ作品にハマって、
レコードを買い集めた。
色彩感豊かなカラヤンもいい。
精緻を極めたベルグルンドも捨てがたい。
ヘビー級でロマン溢れるバルビローリにも痺れる。
世に名高いシベリウス振りは数あれど、
やはり刷り込み効果なのだろうか、最初に聞いたカムの、素朴な中にも
内なる凄味を感じる演奏には魅了され続けた。

そんな訳で、今回の定期はラインナップが分かった時からとても楽しみに
していた。オーケストラ奏者という仕事を選んでこういう役得に
与る時にこそを醍醐味を感じる。

長年温められてきた私の中のカム像は、『痩せ型で長身、寡黙で少し神経質、
髭を貯えた彫りの深い顔だちから哲学者風のキャラ』を想像していた。
だが実際に札響に姿を現したカムは、『太鼓腹で恰幅よく、終止にこやかで
オヤジギャグを飛ばしまくり、陽気で気さくなペンションのオヤジ風キャラ』
であった。

・・・、まあ、いい。多少イメージとは違ったが、本物のオッコ・カムには
違いあるまい。

オッコ・カムは子育てのために仕事をあまり入れないとか、趣味のサーフィン
などをするために仕事をあまり入れないとか、あまりオケとの練習をしないという
前評判を聞いていたので、今回はひょっとして適当に流されちゃうの?という
心配も無きにしも非ずだったが、とんでもない話しで、それはそれは濃密で
長い練習が毎日展開された。
決められた練習時間の最後の1分まで残さず毎日キッチリ練習があり、
正直相当疲れた。皆が疲れるほどカムは元気を増し、ギャグを連発していた。

オッコ・カムが来るとのことで、張り切って本番の2週間位前から譜面を持ち帰り、
家でCDと共演までして一人さらいまくった揚げ句、一連の練習で
多少飽きが来て、肝心の本番で僅かに意識が遠ざかる瞬間がある程だった(笑)。
これではまるで遠足を楽しみにするあまり眠れない小学生と一緒ではないか!
「カムの指揮で、しかも本番で睡魔に襲われるなーーー!」と、
一人ボケ&ツッコミを入れたくなるありさまであった。

疲れた原因はそれだけではなかった。
カムは、それはそれは溢れでる音楽は素晴らしく、楽曲への理解は他の追随を
許さない揺るぎないもので説得力に満ちあふれ、人間的な魅力も相当な
もので誰からも好かれるオーラをまとっていた・・・。
しかし、指揮が分かりにくい・・・。
い、今って何拍目?? みたない瞬間がかなり頻繁にある。

シベリウスの4番や7番はけしてメジャーな曲ではなく、
また、シベリウスは耳ざわりが良いので聴いている限りあまり感じない
のだが、実は難解な部分も多い歴とした20世紀の現代音楽。
今回はやっとカムの指揮に慣れた頃に終わってしまったが、
是非とも度々客演して欲しい指揮者だ。
回を重ねるごとにシベリウスの神髄を垣間見る事も増えるのではないだろうか。
元々、札響の主要レパートリーにシベリウスを加えるべきと
私は激しく思っているところでもある。

そして今回は、中学生の時に買った件のレコードを持って
カムの楽屋を訪れサインをねだった。
共演のソリストや指揮者にサインを求める事はほとんどしないのだが、
今回は特別である。
「中学生の時に買ったあなたのレコードでシベリウスを知り、
今回の演奏会を楽しみにしていた」と言うと、とても喜んでレコードに
サインしてくれた。

今回の演奏会で札響を気に入ってくれていたらいいのだが・・。

下の画像はカムにサインしてもらったレコード。

カム  

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2005年10月20日

メシ伴の作法

映画「タイタニック」にこんなシーンがあった。

沈没寸前のタイタニックの甲板にて
右往左往する乗客たち
乗組員に甲板での演奏を促される楽士3人
楽士3(チェロ)「ここで弾くのか?」
楽士2(ヴィオラ)「誰も聴いてないぞ」
楽士1(ヴァイオリン)「いいさ、どうせいつも誰も聴いてない。
それよりも、君たちと演奏できて幸せだった。幸運にも助かったら
また一緒に演奏しよう」

この楽士たちは普段は客船の食堂でBGMや舞踏の伴奏などを演奏していた。
だから「どうせいつも誰も聴いてない」という台詞があったのだ。
私には何気ない台詞に思えたのだが、映画館でこの映画を見た時、
驚いた事にこの台詞の箇所で映画館の観客から笑いが起った。

最初、その笑いの意味が分からなかった。いや、今でもはっきりとは分からない。
楽士の卑屈な台詞が失笑を買ったのか、
誰も聴いてないのに演奏するという状況に可笑しみを感じたのか、
どちらにせよ、演奏を生業としている私の感覚と一般観客のそれとの間には、
大きな溝があったようだ。

そして最近こんな事があった。

ある日の夕方、私の自宅に電話があった。
電話の主「もしもし、荒木さんのお宅ですか?、わたくし○○市役所の某と
申しますが、演奏の依頼でお電話しました」

こうした依頼電話やメールの場合、演奏時間、場所、観客の対象などを
お聞きして、演奏会の内容を決める。そしてスケジュールや出演料を調整し、
折り合いが付いた後に正式に演奏会をお引き受けする手順となる。
確認する内容には、その演奏はBGMか否か、というものも含まれる。
これは演奏会を引き受ける上で実は重要な要素だ。

例えばホテルの宴会場でパーティーの歓談中、
会場はざわめき、食器を運ぶ音や高笑いなどが聞える中で、
ベートーヴェンのチェロソナタを熱演したところで意味はないし、
場違いもはなはだしい。
それに、そんな状況でソナタ熱演は精神的にも不可能だ。
パーティーのBGMは豪華さを演出するための言わば飾り物で、
そういう場での演奏は演奏家にとってある意味屈辱的な面もあり、
はっきり言って”金のため”あるいは”顧客サービス”なのである。
BGMの仕事は一切受けないという人もいるが、私はこれも演奏家の
仕事の一つと割り切って条件さえ合えば受ける事にしている。
その代わり、ギャラはしっかりいただく。
当たり障りのないやり慣れたポピュラーな名曲を流し、
プロとして出演料分の仕事はしっかりとやらせていただくが、それ以上はしない。
BGMの仕事が、飯の伴奏、”メシ伴”と呼ばれ、
業界で一段低く扱われる由縁である。

逆に、生の演奏を是非聴きたいとか、
子供たちなどに本物の演奏に触れる機会を与えたいとか、
本格的な室内楽の演奏会を催したいとか、
取り分け私の演奏やサロンコンサートなどをご所望の向きには、
例え出演料が安くてもお引き受けして目一杯の仕事をしたいものだ。
それがプロフェッショナルの理と理解している。
もしゴルゴ13に同じことを訊いても、
もしブラック・ジャックに同じことを訊いても、
彼らはそう答えるのではないだろうか・・。

ある日の電話に話しは戻るが、
”メシ伴”ではなく”演奏会”とのお話しでお引き受けした仕事だったが、
演奏会が近くなり、更に具体的な打合わせの段階で、
立食パーティーでの演奏だということが分かった。
こういうのが一番困るのだ。
私はピアニストには既に”演奏会”との事で伴奏を依頼し、
プログラムも”演奏会”に相応しいものを準備していた。
何より演奏会とメシ伴ではこちらの心構えが違うのだ。
まあ当日行ってみたらBGMだった、という事もあるから、
それよりはマシだったが・・・・。

こんな時私は迷うのだ。
「ゴルァ!!(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し」と怒って”偉い演奏家様”を
演出した方が、かえってありがたがられてしまう場合も世間ではあるようだが、
私には性格的にも到底そんな真似は出来ないし、
せいぜい嫌味を言うくらいが関の山で、それすら次の仕事を失う覚悟が
必要なのだ。

もしも私が、
『3才の頃より父の手ほどきを受け、
5才でMHKジュニアコンクールで優勝。
14才で毎目新聞主催目本音楽コンクールを最年少で優勝。
帝都高速度交通営団芸術大学院を首席で卒業後渡欧。
おフランス国立キボンヌ音楽大学を首席で卒業。
同大学にてマジレススマソヴィッチに師事。
バリ、ベルリソなど欧州主要都市でリサイタルを開催し各紙で絶賛を浴びる。
帰国後、MHK交響楽団、売読日本交響楽団などと共演。
現在、札幌交響楽団スーパーエグゼクティブ金銀パール首席チェロ奏者。』
という経歴の持ち主だったら、あるいは(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し
も可能なのだろうか・・。いや、そもそもメシ伴は頼まれないのか?

この辺が、定価の無い、いわば”時価”の仕事の難しいところだ。  
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2005年10月13日

スターウォーズ V.S. 海洋堂

今日は昼間の予定がキャンセルになり思いがけず時間が出来た。
これ幸いと一人で北海道近代美術館で開催中の「アートオブスターウォーズ展」と、
札幌芸術の森美術館で開催中の「造形集団 海洋堂 の軌跡」を梯子した。

BBSでも話題になっているが、由緒正しき美術館でのサブカル展には
当然ながら賛否両論あるようだ。
しかしながら独立行政法人国立博物館法というのが3〜4年前に施行されて、
自治体の持っている美術館なんかも確かそういう経営の成り立ちに
なったような気が・・。いや、記憶違いか・・。
こんな曖昧な記憶で書いていいのか・・・。いいや。どうせ個人のブログだ。
いちいち調べてなんかいられないのである。
でまあ、少なくとも世の中の流れというヤツはそういう方向に向かっている。
是非は別として、要するに自分の金は自分で稼がないと立ち行かない
仕組みになってきたということであろう。

そんな流れの中、キンビも遊びの空間とか実験工房みたいな芸術とは
かなり遠いと思われる催しをたまにしている。
考えてみれば、今さらスターウォーズで驚くことはないのである。

さて、スターウォーズ展であるが、入り口から入ると最初にガラスケースに
入ったスターデストロイヤーの模型があった。
順路はエピソード4から始まり上映順に並んでいる。
封切り当時のポスターなどのノベルティー物があったりして、
次にR2-D2があった。R2-D2の意外と粗末な作りに感心。
わたしは予めネットなどで、実際の撮影に使われたR2-D2やダースベーダー誕生の
手術台などがあると聞いていたので、なんとなく「ああ、これが多分
撮影で使われたの?・・かな?」と思いながら見たのだが、
解説が全く書かれていないのはいかがなものでしょうか? ホントの美術品
じゃないんだから。

コーナーごとにテレビモニターが置いてあって、メイキングDVDの
展示品に関る箇所が繰り返し流れているが、それから推察するに、
たぶんチューバッカは本物?、このセットも本物??、よくわからん・・。
メイキングDVDも話しの途中でいきなり切れて、青い画面に
「キャプチャー6」とか出て繰り返すんじゃなくて、動画ソフトとかで
綺麗に編集しませんか? ひょとして著作権の問題とかで編集できないのかな?

展示品も貴重だし全体的に悪くはないのだが、
解説が皆無なので狐につままれた気がしないでもなかった。
撮影に使われたならどのエピソードか、実際に展示されてる物が
撮影されたのか?、CGの原形になったのか? 
人形には人が入るのか?別の方法で動かしたのか?
そういった解説がないので有り難みも半信半疑であった。
展示方法にイマイチ工夫が感じられず、借りてきた物をただ並べました感は
払拭できなかった。
主催はキンビじゃないからキンビに文句を言っても仕方ないのだろうが。
見終った後に心からコーパーコーパーしたかったな。

次ぎは芸術の森美術館の海洋堂展に向かった。
スターウォーズ展には正直少しがっかりしたので、あまり期待しない
事にして行ったのだが、こちらは面白かった。
ちなみにこちらの展示館は芸森の自主事業である。
海洋堂の歴史とサブカルの歴史と日本の出来事を年表にしたパネルが
良かった。
気が遠くなる数のフィギュアがあったが、造形師別や年代ごとに分類され
ていて、海洋堂の全貌がよく分かった。
等身大綾波レイがいる部屋で上映される大阪SFコンベションの映像も
サブカルっぽくて良かった。
電車男のオープニングのパロディーの方が今では有名な、
DAICON4オープニングアニメがエンドレスでかかって雰囲気を盛り上げていた。
昔のプラモデル屋の情景なんかも懐かしかった。
食玩にかなりスポットが当たっていた気がしたが、わたしの好きな
ヒーロー物のフィギュアも沢山あって嬉しかった。中でもキカイダー
とハカイダーの戦闘シーンのフィギュアが素晴らしかった。
キカイダーはあのちょっと寄り目っぽいところが好きだ。

何かと注目を集める美少女フィギュアは意外と少なく、エロなフィギュア
は置いてなかった。この辺で品位を保ったと言えるだろう。
美少女フィギュアもゆっくり見たかったが、芸術の森では激しく顔バレ
しており、「札響の人がエッチな人形じーっと見てたわよ・・ひそひそ」
となったら恥ずかしいので、さりげなく見る程度に留めた。

そんな訳で、『キンビ・スタウオ V.S. 芸森・海洋堂』は
わたしの中では芸森に激しく軍配が上がりました。

芸森のグッズ販売コーナー(量は少なかったですが)で、
黒澤明〜蘇る巨匠の現場〜用心棒/椿三十郎編という食玩を買いました。
BBSでHikoさんが言ってたのはこれか・・。と思いながら
中を開けると、寝そべっている桑畑三十郎が当りました。
「桑畑・・、桑畑三十郎!。・・いや、もうすぐ四十郎だな」か。
いつのまにか年齢抜かしちゃったよ!


海洋堂  
Posted by arakihitoshi at 00:08Comments(0) │ │雑感 

2005年10月11日

韓激流

楽しかった韓国公演も終わり、
代わりに終わりなき日常が戻ってきたわけであるが、
海外公演はオーケストラにとって、終わりなき日常業務をしのぐための、
一つの強烈なエポックとして存在し、
モチベーションを維持、高上させるカンフル剤だと、
そんな事をひとりブツブツ考えてるのであった。

さて、韓国の後は福岡と東京で公演しながら札幌に帰ってきた。
休みが一日あった後、士別と滝川のコンサートの練習があり、
昨日は滝川、一昨日は士別であった。
それにしても、いくら海外公演がオケのカンフル剤とはいえ、
定期から続いたあの演奏旅行の後の休みがたった一日とは、
札響も人使いが荒い(笑)。ま、忙しいのはありがたい事ではあるが。

帰国後の札響ではハングル物が大流行している。
連絡事項の掲示板には札響の公演を伝えるハングル語の新聞が掲示され、
韓国の飴やお菓子が練習場に常備され、
クドヴィッチのコーヒーコーナーのメニューに高麗人参茶が追加され、
公演先のお茶コーナーにはハングル語で名前が書かれた紙コップが並ぶ。
ハングル文字は一文字でも存在すると、
その場の雰囲気を圧倒的に”韓”の世界に引き込んでしまう
強烈な個性の文字であると改めて認識。

ハングルで名前の書かれた紙コップが並ぶ舞台裏↓
ハングル文字






前にもちらりと書いた事があったが、
東京にいた頃、2年間練馬区石神井のワンルームマンションに住んだことがあった。
20代後半の頃である。
引っ越してしばらくして、そのマンションの特異性に気が付いた。
なんと、日本人はわたし一人だったのだ。

1フロアーに4部屋づつの4階建マンションで、わたしは4階に住んでいた。
1階と2階は主に中国人エリア。
3階と4階は主に韓国人エリア。
彼らのほとんどは留学生でわたしと同世代だった。
夕方になると皆自炊するので、マンション全体が”アジア”っぽい臭いに包まれた。

バブル絶頂の当時、首都圏のマンションは住む人を選んだ。
「ペット可、ピアノ可、外国人可」というマンションはそうはなかったのだ。
それでそのマンションには韓国人と中国人とチェロ奏者一人が集まったのだろう。

隣の部屋のキム君とは同じ昭和40年生まれでずいぶん親しくなった。
向こうも日本人の友達が欲しかったのだと思う。
お互いの部屋を行き来するうちに他の韓国人たちとも親しくなった。

獨協大学にいた頃、韓国語を少しだけ勉強して、
ハングルの読み書きと挨拶くらいは覚えていた。
当時の日本では今と違ってハングル語は超カルト言語。
キム君たちはわたしがハングル文字をたどたどしくも読み書きするのを見て、
驚きを通り越して少し無気味がっていた。

仲間意識の強い韓国留学生たちは毎夜誰かの部屋に集い、
時々、晩メシにわたしを招待してくれたこともあった。
わたしが加わった時の公用語はもちろん日本語だったが、
韓国語も少し覚えた。
少なくとも”飲み会”で不自由しないスラングな語学力が当時はついていたと思う。
わたしの主要カラオケレパートリーである、韓国語版マジンガーZもその頃覚えた。

そんな生活も楽しい事ばかりではなく、
キム君の昔の彼女が韓国から男達を連れて責めてきて大騒ぎになったり、
留学生のひとりのハンさんと結婚して韓国に来なさいと皆に詰め寄られたり、
いろいろあったのだが、それはまた別の機会に。

札響に突如訪れた韓流で、「わが青春のハングル」が蘇り、
ちょっとセピアな気持ちになったのであった。  
Posted by arakihitoshi at 23:13Comments(0) │ │音楽 

2005年10月03日

アンニョンハセヨ!札響in韓国 第六日目(最終回)

夕べはブログを書いている途中で東京フィルの友人から
ホテルの部屋に電話がありました。
東京フィルもオペラの韓国公演のためソウルに来たのです。
10月1日の夜だけ札響と同じホテルになったのでした。
久しぶりにの再会で部屋飲みも盛り上がり寝たのは2時頃でした。

今日は8時半にホテルを出発。
仁川空港から11時発の飛行機で福岡に12時半頃着きました。
下の写真は韓国での5泊の内4泊したソウルのタワーホテルです。
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2時頃福岡の東急インホテルに着きました。
ホテルの近くの櫛田神社を見ました。
1,200年以上の歴史のある神社で趣がありました。
その後、有名な福岡の屋台を訊ね那珂川に行き、ラーメンとおでんを
食べました。

明日は福岡公演です。
ホールはホテルの向いにあります。3時頃まで時間があるので
朝起きれたら太宰府にでも行こうかな・・。
いや、ホテルで寝てるのも魅惑だな。

NHKアーカイブスで1982年放送のNHK特集
「私は日本のスパイだった 〜秘密諜報員ベラスコ〜」
今見終ったんですけど、面白かったです。
今日から始まった「ハルとナツ」も面白かったです。
この子役たちはいかにもNHKのドラマって感じで可愛いですね。
ホテルにいるとついテレビばっかり見ちまいます。

それでは、6日間ご覧頂ありがとうございました。
(。・_・。)ノ  
Posted by arakihitoshi at 00:41Comments(0) │ │演奏旅行 

2005年10月01日

アンニョンハセヨ!札響in韓国 第五日目

안녕하세요! (。・_・。)ノ

今日は大田からソウルへの移動日です。
地元旅行会社が企画した百済が新羅に攻め滅ぼされた古戦場を
訊ねるツアーも企画されていましたが、
わたしも含め一部楽員は特別業務に従事しました。
病院での慰問演奏に行ったグループもあります。
わたしのグループ6名は大田中心街からバスで20分ほどの所に
あるジョンリル中学校で教育プログラムをしました。
中学校の作りは日本と同じ。中学校の周りは田園風景です。遠くに
高速道路が見えます。
あいにくの雨で湿気が高いです。あと暑いです。

札響の西村専務、宮沢事務局長らと共に校長先生へのご挨拶を終え
体育館でのリハーサルをしました。
下の写真は校長室で挨拶してるところ。
左から事務局の岸本さん、高橋聖純君、荒木聖子、多賀万純、土井奏、
多賀登、荒木均、クドヴィッチ"
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生徒の歓迎ハンドベル演奏があるとの事で、プログラムを若干変更
しました。
今回は曲目も多く持っていき、万が一、ワークショップを要望され
てもある程度応えられるように万全の準備をしていきました。
体育館は恐ろしく蒸し暑かったのですが、生徒たちはネクタイにベスト、
長袖で真剣に聴いてくれました。
ここ以外でも韓国の人たちは、厚着でも何故か涼しそうにしてます。
モーツァルトのアイネクライネ、フルート四重奏、クラリネット五重奏、
あとはとなりのトトロやアンダーソンなのどの色物を組み合わせたプロです。
トトロや千と千尋は皆知っていて一番ウケました。
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校長先生や通訳に当っていただいた先生もとても親切で、私たち
の1時間半のコンサートを心から歓迎して喜んで下さったのが
ビシバシ伝わってきました。
生徒数は300人程です。
生徒たちは本当に礼儀正しく素朴で正直で、暑い中最後まで真剣に
演奏を聴いてくれました。ウケるところはウケて、わたしの
なんちゃってハングル語にも引かずに、なんていい子たちなんでしょ。
茶髪やミニスカもいいのかもしれないけど、こういう純朴なのがいいな。
おじさんは。

さて、お土産をもらって中学校を後にし、大田からは楽員全員で
バスでソウルに向かいます。
2時間ほどでソウルに到着。4時以降はフリータイムです。
4人ほどで連れ立って、市内中心部の仁寺洞(インサドン)に
行きました。
仁寺洞は通りの名前で、竹下通りの大人版という感じです。
とても賑やかでお洒落でいい所でした。
お土産を買いました。自分用には韓国でみんな使ってる鉄製の
箸とスプーン、韓国式作務衣は部屋着にしようと思います。
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その後、少し路地に入った店で豆腐チゲ定食と海鮮チゲなどを
食べました。
この国は本当にどの店に入っても何を食べても美味しいです。
食事が毎回楽しみで仕方ありません。
お店の店員は言うに及ばず、道を教えてくれる人、地下鉄で乗り
合せた人、どの人もみんな礼儀正しくしっとりとして親切で
女の人は物腰柔らかく、素晴らしいです。
下の写真は仁寺洞の路地で、若者たちがしきりに写真を撮っていた謎の壁。
ドラマの撮影にでも使われたのだろうか・・。
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正直言って、韓国に来る前までは、反日感情もあるだろうし、
少なからずイヤな思いもするかもしれないと思っていたのですが、
イヤな思いどころか、5日間で「ん?」と思った事すらありま
せんでした。
日本では靖国問題や教科書問題に抗議してデモ行進する姿ばかり
が報じられているように思いました。
今回のような短い旅行ではなく、もっと深く付き合えば、核心に
触れれば、それはどうか分かりませんが、少なくとも「また是非
近いうちに来たい」というのが今回の感想です。

昔、東京で2年間住んでいたマンションが、わたし以外全員韓国人と
一部中国人だったという面白い経験をした事があり、住人の韓国人
たちはわたしと同世代で彼らと当時は親しく付き合った事もあり、
韓国にはずっと興味があったのですが、やはり来てみないと
分からない雰囲気はあるものですね。
韓国の街に日本語が氾濫しているのにも驚きました。

そいえば、ソウルのオケの友人と飲んだ楽員数人の話しによると、
日本のオケはどこも端正な演奏をするものだと思っていたが、
札響のような熱っぽい演奏をするオケもあるのだな・・、と
驚きと同時に好感を持ったという嬉しい報告もありました。

明日は去りがたい韓国を去って福岡に移動です。
  
Posted by arakihitoshi at 23:54Comments(3) │ │演奏旅行 

アンニョンハセヨ!札響in韓国 第四日目

안녕하세요! (。・_・。)ノ

食べ物も雰囲気も全て気に入ってます。韓国は。
絶好調はまだまだ続いてます。

さて、昨日のソウル公演は大変な好評だったようです。
終演後に行われたレセプションには楽員は参加しませんでしたが、
札響の理事会の方たち、観光協会の方たちと地元の財界人たちと
交流があったのですが、挨拶に立たれた韓国音楽評論家協会会長の
金亨柱先生始め多くの方にお世辞抜きの絶賛を浴びたとの事です。

韓国はソウルのオーケストラとそれ以外の都市のオーケストラに
大きな開きがあるそうなのですが、「東京と同じで驚いた」と
いうお褒めにも多々預かったとのことでした。
お客さんの入りは1,200人との事で、開館記念でも2,600のホール
に半分だったという事から考えるに、破格の入りだったようです。
今回の最大の目的である北海道のアピールにお役にたてたようで
何より。

さて、今日はソウルから大田に移動、そして大田で演奏会でした。
ソウルを10時に出発。12時に大田着。
ガイドさんや地元の方たちが、「大田はド田舎で何も無い」と
連呼するので、一体どんな田舎なんだ? と思っていたら、
札幌と同じくらいの”都会”です。
どうもソウルの人は他の都市を必要以上に田舎呼ばわりする癖
があるように見受けられるのですが・・・(^_^;)

大田に着いたらレストランでカルビ定食の昼食となりました。
焼肉と冷麺でした。とても美味しかったです。
例によって鉄の箸とスプーンとお椀です。ユジンやチュンサンも
たしかこういう食器で食事してたな、と思います。
これらは買って行こうと思います。
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ホールもキタラより一回りくらい小さい程度の立派なホールでした。
音楽ホールではなく、バレエや演劇を想定して作られたホール
です。なので回り舞台などもあり舞台裏が異様に広くて高いです。
舞台の床も黒いです。
下の写真はロビーにあった札響演奏会の看板。
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下の写真は本番前の楽屋の様子。
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今日の演目は、ロッシーニ/セミラミデ序曲。ラフマニノフ/
ピアノ協奏曲、ブラームス/交響曲第1番、そしてアンコールに
ドボルザークのスラブ舞曲72ー2。
キャパシティー1500人くらいのホールに500人位の入りだった
でしょうか。このあたりの事情ではかなり多い入りだそうです。
キタラで満員の聴衆に慣れているので寂しい数ではありましたが、
それがそれが、曲が終わったときの歓声と拍手とスタンディング
オベーションはそれはそれは凄いものがありました。
韓国の人たちの表現力は凄いです。ソウルでもそうでしたが、
ここはもっと凄かったです。
こういう反応はやはり嬉しいものです。

本番が終わって、今日はホテルの前のセブンイレブンで韓国の
カップ麺とおにぎりなど買って部屋で飲み食いしてます。

明日は朝から大田の中学校に特別業務で行ってきます。
私のグループは7人でアンサンブルなどします。

それではまた明日。  
Posted by arakihitoshi at 00:13Comments(2) │ │演奏旅行 
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