先週からオッコ・カム週間であった。
小樽でのほくでんファミリーコンサート、そして札幌での定期演奏会
と続けてカムの指揮でシベリウスを演奏した。
小樽のほくでんではシベリウスの2番交響曲、カレリア、
フィンランディア、アンダンテ・フェスティーボ。
定期は同じくシベリウスのポヒョラの娘、交響曲第7番と4番。
ほくでんファミリーの練習日は1日、本番1回、定期は3日間で本番は2回。
計7日間、カムの指揮でシベリウスをぎっしりやった事になる。
今週の札響はまさにカムとシベリウス漬けであった。
カム制作のシベリウス味の漬け物か佃煮が出来そうな勢いであった。
今を去ること四半世紀前、中学生だった頃にシベリウスのレコードを
始めて買ったのがオッコ・カム指揮、ベルリン・フィルの
シベリウス2番交響曲だった。
私のシベリウスとの出会いもそのレコードによってもたらされた。
そのレコードはそれこそ擦り切れるくらい聴きこんだ。
フィンランド国立歌劇場管のコンマスを辞し、カラヤンコンクールで優勝し、
指揮者としてデビューを果たしたあの頃カムは若干25才だったのだ。
それから私はすっかりシベリウスのオーケストラ作品にハマって、
レコードを買い集めた。
色彩感豊かなカラヤンもいい。
精緻を極めたベルグルンドも捨てがたい。
ヘビー級でロマン溢れるバルビローリにも痺れる。
世に名高いシベリウス振りは数あれど、
やはり刷り込み効果なのだろうか、最初に聞いたカムの、素朴な中にも
内なる凄味を感じる演奏には魅了され続けた。
そんな訳で、今回の定期はラインナップが分かった時からとても楽しみに
していた。オーケストラ奏者という仕事を選んでこういう役得に
与る時にこそを醍醐味を感じる。
長年温められてきた私の中のカム像は、『痩せ型で長身、寡黙で少し神経質、
髭を貯えた彫りの深い顔だちから哲学者風のキャラ』を想像していた。
だが実際に札響に姿を現したカムは、『太鼓腹で恰幅よく、終止にこやかで
オヤジギャグを飛ばしまくり、陽気で気さくなペンションのオヤジ風キャラ』
であった。
・・・、まあ、いい。多少イメージとは違ったが、本物のオッコ・カムには
違いあるまい。
オッコ・カムは子育てのために仕事をあまり入れないとか、趣味のサーフィン
などをするために仕事をあまり入れないとか、あまりオケとの練習をしないという
前評判を聞いていたので、今回はひょっとして適当に流されちゃうの?という
心配も無きにしも非ずだったが、とんでもない話しで、それはそれは濃密で
長い練習が毎日展開された。
決められた練習時間の最後の1分まで残さず毎日キッチリ練習があり、
正直相当疲れた。皆が疲れるほどカムは元気を増し、ギャグを連発していた。
オッコ・カムが来るとのことで、張り切って本番の2週間位前から譜面を持ち帰り、
家でCDと共演までして一人さらいまくった揚げ句、一連の練習で
多少飽きが来て、肝心の本番で僅かに意識が遠ざかる瞬間がある程だった(笑)。
これではまるで遠足を楽しみにするあまり眠れない小学生と一緒ではないか!
「カムの指揮で、しかも本番で睡魔に襲われるなーーー!」と、
一人ボケ&ツッコミを入れたくなるありさまであった。
疲れた原因はそれだけではなかった。
カムは、それはそれは溢れでる音楽は素晴らしく、楽曲への理解は他の追随を
許さない揺るぎないもので説得力に満ちあふれ、人間的な魅力も相当な
もので誰からも好かれるオーラをまとっていた・・・。
しかし、指揮が分かりにくい・・・。
い、今って何拍目?? みたない瞬間がかなり頻繁にある。
シベリウスの4番や7番はけしてメジャーな曲ではなく、
また、シベリウスは耳ざわりが良いので聴いている限りあまり感じない
のだが、実は難解な部分も多い歴とした20世紀の現代音楽。
今回はやっとカムの指揮に慣れた頃に終わってしまったが、
是非とも度々客演して欲しい指揮者だ。
回を重ねるごとにシベリウスの神髄を垣間見る事も増えるのではないだろうか。
元々、札響の主要レパートリーにシベリウスを加えるべきと
私は激しく思っているところでもある。
そして今回は、中学生の時に買った件のレコードを持って
カムの楽屋を訪れサインをねだった。
共演のソリストや指揮者にサインを求める事はほとんどしないのだが、
今回は特別である。
「中学生の時に買ったあなたのレコードでシベリウスを知り、
今回の演奏会を楽しみにしていた」と言うと、とても喜んでレコードに
サインしてくれた。
今回の演奏会で札響を気に入ってくれていたらいいのだが・・。
下の画像はカムにサインしてもらったレコード。