2006年05月26日

新世紀エヴァンゲリオンを見る

95年にTV放送された新世紀エヴァンゲイオンを先週やっと見た。
小学校6年生にSFアニメのファースト・インパクト「宇宙戦艦ヤマト」に接し、
中学2年〜3年生の時にセカンド・インパクト「起動戦士ガンダム」に接した。
ヤマトもガンダムもSFアニメに新たな潮流を拓いた事で知られているが、
サード・インパクトたる「新世紀エヴァンゲリオン」が放送されたのは’95年。
私は既に札響の団員だったし当然ながら社会人で三十路の年だった。
30才といえば「俺はもう大人だし、仕事で忙しいからアニメなんか見ないの」
と恥ずかしげもなく言ってしまう年ごろである。
今から思えば若かったな・・。ふっ。

そんな訳で、エヴァゲリ旋風が吹き荒れていた頃、リアルタイムで接する機会を逸した。
ずっと気になっていたのだが、たまたま降り番で休みが重なり、
TV放映全26話と映画2本、コミック9巻を4日間でまとめて見た。
おかげで頭の中は人類補完計画で一杯である。
ヲタクの端くれとしてエヴァゲリを見ていない事にずっと劣等感を感じていたが、
やっと克服できた。

エヴァゲリは言うまでもなく、TV版は未完で打ち切りとなり、
意味不明な最終回で誤魔化し、その後作成された映画もファンが期待する”結末”
とはほど遠いものであった。
TV版の終盤は煮詰まった状態で製作した現場のスタッフの様子がよく分かるし、
エヴァだの使徒だのドグマだの、思わせぶりな宗教や西洋哲学の用語の数々、
何かと言えばいじけ込む主人公、碇シンジの心理描写なども、
当時のオウム真理教や終末思想ブームの空気感の中で接したらリアルだったのだろう。
今見ると少しうっとーしい。

終末思想と言えば、
80年、90年代のSFアニメやマンガは終末戦争後の地球が舞台の物に席捲されていた。
未来少年コナン、アキラ、風の谷のナウシカ等に代表されるだろう。
一方で「うる星やつら」のような日常を描いたものもあった。
「うる星」の中の世界では、メガネは永久に秀才、面堂は永久に大金持ち、
諸星あたるは永久に女のコに電話番号を訊き、ラムは永久にあたるを追いかける。
サザエさんやドラえもんでも描かれている、そんな”終わりのない日常”が、
ひょっとしてもうすぐ終わるんじゃないか?
誰かがリセットボタンを押して、退屈な日常から開放してくれるんじゃないか?
90年代の若者はそんな現実感に乏しい漠然とした希望ともつかぬ興味を持っていた気がする。

カルト宗教にハマった連中や当時のヲタク連中は、
終末戦争なのか何なのか、とにかくハルマゲドンみたいなモノが起った後は、
俺達が主役を取る世の中が来るかもしれない、と思っていたように思う。

バブル直後で世紀末で・・、当時はそんな終末感漂う時代だったのを
エヴァンゲリオンを見ながら思い出した。

そういえば、最近エヴァンゲリオンが少し流行っている。
TV放送10周年でYahooで動画配信されたり、パチンコになったりが原因らしい。
偶然だったがソースが入手しやすく大変助かった。

ちなみに、主人公の碇シンジはチェロを弾く。今まで知らなかった。
バッハの無伴奏や弦楽四重奏でパッヘルベルのカノンを演奏するシーンがある。
劇中もクラシックの曲が印象的に使われている箇所もあり、何かで使えそうだ。  

Posted by arakihitoshi at 23:52Comments(3) │ │雑感 | 音楽

2006年05月23日

ハラショー! トマソン交響曲

今月の定期はレニングラード生れの旧ソビエト連邦の巨匠の一人、
ドミトリー・キタエンコ氏の指揮で、
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の
交響曲第7番「レニングラード」が演奏された。

ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の
中期の傑作として知られる「レニングラード」は、ご存じの方も多いと思うが、
ナチス・ドイツのレニングラード包囲戦のソビエト勝利を描いた曲である。

ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の曲を語る時、
”こうした歴史的背景をセットで考えるのそろそろ止めませんか?”という人たちが
いるのは知っているし、ヴォルコフの「ショスタコーヴィッチの証言」を
めぐる論争などを見ても、歴史的真実が本当のところどうだったのかを検証するのも難しい。

しかしながら、偉大なる指導者同志ヨシフ・スターリン将軍率いる
ソビエト共産党の機関紙「プラウダ」紙上を始めとする当局の圧力が、
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志への
特に交響曲に少なからず影響を与えたであろうことは事実として認めていいと思う。

さて、そうした考え方で行くと、
交響曲第7番「レニングラード」は芸術的な価値はあるものの、共産主義の勝利、
大曲志向の当局の圧力によりその芸術的価値を極限まで水増しして
同じテーマを執拗に繰り返し無理やり大曲に仕上げた、”音楽的トマソン(*)”であると私は思っていた。
例えば同じショスタコ同志の第9番交響曲や弦楽四重奏曲の様な、
隙の無い固太りした名曲とは対極にあるものだと思っていたのである。

今回のキタエンコ氏の第7番交響曲の演奏は、
そうした”トマソン交響曲”という私の印象を否定するに足る演奏会であった。
キタエンコ氏は白熊の様な風貌からは想像が付かない神経質な音楽作り。
例えば弦楽器の後ろの方の人がピチカートを一発飛び出しただけで、
演奏を中断し、30秒間ほど飛び出した奏者を睨みつける。これには参った(笑
はたまた弦楽器の人がピチカートで弓を置きわすれた。
すると目ざとく見つけ、「キミは何で弓を置かない? 皆置いているぞ」
とこれまた睨みつけ攻撃であった・・・(合掌
「あのな〜〜、たまたまやんけ、明日には気がついて置いとるがな」
とキタエンコ相手にはさすがに誰も言えず、肩をすくめる。
そいえば、近くて遠い某国に”律動体操”なるけったいな代物があったな、と思い出す。

ただでさえ、80分の長大交響曲で変拍子の連続、しかもやり慣れない曲だ。
そこに巨匠の睨みつけ攻撃連発なので、神経衰弱のような長い5日間であった(笑。
スヴェトラーノフ&ソビエト国立響やムラヴィンスキー&レニングラード・フィル
に代表される、あのどこかロボットじみた一糸乱れぬUSSRオケ特有の
強制収容所チックな演奏は、こうした練習の賜物だったのだろうか・・。
そう思うと経験してみるのも悪くはなかった。
もう充分分かったのでしばらくはご勘弁願いたいが・・(汗。

以前にもブログやエッセーに何度か書いたが、
指揮者には概ね2種類の人たちがいる。
一つはあくまで楽員と距離を置きオーケストラを威圧するタイプ。
もう一つは、楽員と親しく交わり仲間としてオケをまとめあげるタイプ。
ほとんどの指揮者はその間を時には迷いながら揺れ動いているように見えるが、
今日のキタエンコ氏は迷いなく前者。初日から巨匠オーラを120%炸裂させていた。
ただし、オケと険悪にならないギリギリのラインの見極めは、
さすがソビエト社会を生き抜いた人・・、と思わせるものがあった。

ソロのある管楽器奏者たちはさぞ過度の緊張を強いられたと思う。
弦楽器も恐怖に引きつりながら変拍子のピチカートを弾いていた。
それこそ強制収容所で弾いているような気分であったが、
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の交響曲の真骨頂、
曲の最後の人工的な盛り上がりには否応なく説得力と凄味が出たと思う。
2日間ともお客さんが大盛り上がりで喜んでくれた。
この長大さも構成上の必要に取り込まれていたのか。
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の圧勝である。

イデオロギーが全てに優先する異常な社会、そこで生れた芸術音楽、
歴史的背景ごと楽しまずして何とする・・、と強く思った定期演奏会であった。


*【トマソン】万里の長城などの様に、使いようがなくて無用になっているけれども、なにかたたずまいが変な物。超芸術。  
Posted by arakihitoshi at 00:15Comments(0) │ │音楽 

2006年05月13日

背中

酷い寝違えで昨日から首が周らない。
左右上下両斜め、六方向どこに動かしても激痛が走る。
昨日の朝から頭の中は寝違いで一杯である。
何をやっても上手くいかない。
お茶はこぼすしシャープやフラットは落とす。
こういう時こそ、どこも痛くない健康のありがたさを"痛感"する。

今日は仕事帰りに職場の友人が進めてくれた「手もみマッサージ」に寄った。
お蔭でだいぶ楽になった。
マッサージ師曰く、痛いところだけではなく背中全体を揉むのがいいらしい。
「お客さん、ものすごいこってますよ」・・・。
親しい美容師の談であるが、この台詞は決まり文句らしい。
「こってますね」の台詞から、
「いや〜、最近仕事が忙しくてね」
と会話が繋がるのだそうだ。
「お客さん、全然こってませんね」と言われたら、
「オマエに何がわかる!」と、確かにあまり良い気持ちはしないだろう。

そんなわけで、
今日は「こってますね」の台詞と、背中全体のマッサージで
心身ともに気持ちよくなって帰路に着いた。

さて、背中といえば、
昨日は「厚生年金会館・存続チャリティーコンサート」なる演奏会で、
札響は厚生年金会館で北海道出身の歌手の伴奏をしていた。
大黒摩季や大橋純子、サーカスなどが出演した。
特に大橋純子の「たそがれマイ・ラブ」、「シルエット・ロマンス」は
懐かしかったし、歌も素晴らしく上手で実に良かった。
大黒摩季もハスキーで元気で性格良さそうで魅力的だった。

最近、ポピュラー歌手の伴奏という仕事が多い。
オケの一員として歌手の背中を間近に見ながら伴奏すると、
彼らが聴衆の注目を一身に集め、重圧に耐えながら歌っているのがよく分かる。
客席のいる前に向かって100%演じるその背中は、実はガラ空きなのだ。

同じ舞台に立つ人間の端くれとして、
彼らが聴衆の重圧に押しつぶされそうになっているのか、跳ね返そうとしているのか、
あるいは楽しんでしまっている猛者なのか・・・。
延いては歩んできた人生や、性格までもが背中から透けて見えてしまう気がするのだ。

自分の身に置き換えて考えるのは難しいが、
寝違えで辛い首をさすりながら、
そんなことに思いをめぐらせながら弾いた演奏会であった。  
Posted by arakihitoshi at 00:23Comments(2) │ │音楽 | 雑感

2006年05月07日

オーケストラの男女比率

5月6日、連休の終わりに3年目を迎える「札響ブラスコンサート」があった。
前半の最後は札響の管打楽器セクションに
市内中学校ブラスバンド部の生徒数十人が加わり、
賑々しくホルスト/吹奏楽のための第2組曲が演奏された。

中学生たちは当然ながら若々しく、
練習中も指揮の尾高さんの指示に「はい!」と元気よく答え微笑ましかった。
演奏会後半は弦楽器も加わりムソルグスキー/展覧会の絵が演奏されたが、
キタラを埋めつくした若い聴衆たちの熱気は凄まじく、パワーを貰った気がした。
よい演奏会だった。これからも続けばいいと思う。

しかし、気になることが一つ。
この気になることとは一つにして最大。
一大事である。大問題である。その問題とは・・
ブラスバンドの生徒に男がいない。

今に始まったことではない。
最近のブラスバンド部員に男がいないのである。
吹奏楽の指導やコンクール審査にあたっている管楽器の楽員たちからも
散々聞かされて知っていたが、
5月6日に集まった生徒たちも例外ではなかった。
数十人(たぶん50人くらい)に男の子はたった3人。
札響の管楽器のある楽員も「20年後の札響の雛壇は全員女だよ」と
半ば諦め気味に笑っていた。

ブラスバンドと言えば、私たちの時代はどちらかと言うと男の部活。
木管楽器にこそ女のコもいたが、金管打楽器は殆ど男の子だった。
一体男はどこに行ったのだ?
他の部活で元気にやっているならまだいいのだが、
昨今は委員会も部活も活発なのは女のコばかりに見える。
男は皆ニートになって、自室で綾波レイのガレージキットを作ったり、
Winnyで落としたアニメをDVDに焼いたりしてるのだろうか。

さて、ここから先は一歩間違うと差別主義者と受け取られかねないので
慎重に筆を進めることにするが、
このままで行くと、某管楽器奏者の予測が現実のものになる日も遠くない。
札響のオーディションでも弦楽器はここ数年、
『定年でおじさんが辞めてギャルが入る』という状況が続いている。
そもそもオーディションに男が来ない。
一体男はどこに行ったのだ??

原因は色々あると思うが、
「不景気で音楽ではメシが食えない」→「楽器が上手でも男は音大に行かない」
→「そもそも楽器なんてやっても仕方がない」
という構図は現代の社会にあると思う。
最近は音大も女のコばかりだと聞く。
これは非常にヤバいのだ。

オーケストラが女性ばかりになると以下の様な問題が予想される。
勇気を持って私の所見を書くと、
―性は概して組織を形成するのに向かない。
 ゆえにオーケストラの社会的地位の低下を招く。
概して女性奏者の演奏は優等生的だが個性に欠ける傾向にある。
 (一方男性奏者は個性的だが安定感に欠ける傾向がある)
 ゆえに女性ばかりのオーケストラは没個性を招く。迫力にも欠ける(と思う)


誤解の無いように言っておくが、
私は女性奏者がいけないと言うつもりもないし思ってもいない。
実際女性奏者にも個性的な演奏をする人はいるし、一人一人は皆上手だ。
上に挙げた所見はあくまで”傾向”である。
問題にしているのは異常と言える男女の比率であり、
それがもたらす”傾向”の増幅である。
札響は現在、管打楽器は一人を除いて全員男、
弦楽器も約半数が男でなんとか健闘しているが、
テレビで見る東京の中流クラスのオーケストラは、弦楽器奏者はほとんど女性。
管楽器も半分位が女性という状態だ。
このままだと札響も遠からずそうなるだろう。
この状態を嘆いているのは男ばかりではない。
私の周囲の女性奏者たちも事態を憂慮している人が少なくない。

男女の就業率を考えても、
男6割、女4割位までが健全な社会の男女比率だろう。
この問題を考えると、オーケストラ業界に果たして未来はあるのかと思ってしまう。
日本のオーケストラを衰退させないために、
若い世代の男たちにもっと頑張ってもらいたい。

20年後、ギャル奏者に囲まれてステージに乗る老チェリスト・・、
そんな自分の姿を想像すると気鬱になるのだ。  
Posted by arakihitoshi at 23:51Comments(2) │ │音楽 
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