2006年10月28日

起死回生

本家HPの「のだめカンタービレを検証するコーナー」を更新したり、チェロ教室コーナープロフィールコーナーなどの改造ですっかりブログの更新が滞ってしまった。
本家HPこそ2年ほど更新が滞り、すっかり草ボウボウの状態であった。情報もデザインも古くなった。少しは手入れをしなくては・・・。それにしても2〜3年とはあっという間に経ってしまうものだ。

2〜3年と言えば、北海道移転して3年の日ハム優勝には皆が湧いた。思い返せば古田が大活躍した球界騒動からプロ野球は変わった。選手もオーナーも解説者までもが「ファンの、お客さんのお蔭」をまず口にするようになった。地域密着で存亡の危機から奇跡的な起死回生を遂げた日ハムは、変容したプロ野球の申し子と言えると思う。
かつて札響も経営破綻から多くのファンや市民道民に助けられ命を拾った同じ経験を持つ。日ハムの選手たちが球団消滅の危機からどれだけ頑張ってここまで来たか、今回の優勝がどれだけ嬉しかったか、そして何よりファンの応援がどれだけ骨身に染みて有り難かったが、似た経験を持つ者として目頭が熱くなった。

だが、危機を脱した後に求心力とモチベーションを維持し続けるのは、今まで以上の胆力とアイディアを必要とすると思う。
危機が喉元過ぎて元の状態に戻ってしまうのか、それとも更なる高みに登ることができるのか。その答えが出るのは日ハムにしろ札響にしろ数年後だ。

さて、話しは一気に個人的なレベルに戻るが・・、
最近ホームページのトップページのだめコーナー札響定期コーナーにアマゾンのアフィリエイト広告を貼り付けた。
アマゾンはgoogleと並んでWeb2.0の申し子であり、特にアマゾンはいわゆるロングテールの申し子でもある。(※言葉クリップ 「Web2.0ロングテール」)
アマゾンのアフィリエイトには以前から興味があって、やっと貼り付けた。個別の商品ごとにリンクを貼れるのはアマゾンだけだが、特定のCDを紹介したい私のサイトの様な場合に非常に便利である。

トップページの一番下付近とのだめコーナーの右側にある長いバナーは、これもアマゾンなのだが個別商品リンクとは違い、商品は私が選んで載せているのではなく、アマゾンのプログラムが私のページのワードや訪れた人たちのブラウザが吐き出す情報(元リンクや検索ワードなど)を分析して、載せる商品を判断するシステムになっている。
このシステムを持つのもアマゾンだけだが、読み込むごとに商品が変わって面白い。
長年アフィリエイトには露骨というか品性に欠けるものを感じて敬遠していたが、これならば誰にとっても有益と今のところ思っている。

この「誰にとっても有益な」という仕組みは今までも求められていたが、ここまで切実に探求された時代はなかったかに思う。
Webだけでなく、芸術にもスポーツにも社会全体に大きなシステムの変換が訪れている気がしてならない。

そして、今日のブログはお硬かった気がしてならない。  

Posted by arakihitoshi at 00:12Comments(0) │ │雑感 

2006年10月23日

つぶやきブログ

プロの物書きは偉いと思う。
私はプロではないが、こうして何年もホームページやブログを更新し続け、時には新聞や雑誌から連載や寄稿文を依頼され、それなりの頻度で世間様に発表する文章を書いていると、「だめ!書けないわ!」と思うこともある。
同じクリエイティブな職業でも、音楽家はぶっちゃけ2時間の演奏会が終われば、スランプだろうが絶好調だろうが仕事は終わっちまうのだが、物書きは原稿用紙のマス目を埋めないことには仕事が終わらないではないか。だから偉いのである。

さて、昨日小学1年の子供の学習参観に行ってきた。
昔は学習参観と言えば、訪問着で着飾ったお母さんが教室の後ろにズラーっと並んだものだが、今のお父さんやお母さんはジーパンやジャンパー姿である。時代も変わった。
授業は算数だった。
『ととろがどんぐりを13こくれました。どんぐりを9こつかっておもちゃをつくりました。のこりはいくつでしょうか?』
黒板にはドングリ13個の絵をトトロの絵が貼ってあった。
公立小学校の授業にトトロが平然と出てくるのだ。時代も変わったものだ。
ちなみに、札響が数年来取り組んでいるワークショップ音楽授業の研究用に取り寄せた小学校の音楽の教科書にはルパン三世のテーマまで出ていた。やはり時代は変わった。

時代と言えば、
先週トレーナーに行っている北大オケの学生たちと飲みに行った。
学生たちと飲むのは久しぶりだったが、たまたま隣に座った1年生の女の子は1987年生れだった。1987年といえば”こないだ”である。
ぶったまげている私に向いの4年生が「来年は平成生れが入ってきますよ」と教えてくれた。
飲み会では、ふと気がつくと「昔はさ〜〜」の枕詞付きでバブル全盛の頃を語っている自分がいた(鬱)。
学生たちに30歳そこそこに見えると言われ有頂天の自分がいた(切腹)。
しかしバカボンパパと同じ41歳の私には嬉しいのだ。

そういえば音友の9月号に、ノンノン・マリア弦楽四重奏団の批評が載ったのだが、『札響の若手4人で結成された四重奏団』と書いてあった。
ノンノン・マリアは皆若く見えるが41歳の私が最年少。どう考えても若手4人ではないのだ。若く見られるのは嬉しいが、いつまでも若手というのも何なのだ。

昨日の定期で見事なホルンを吹いたベルリン・フィル首席のバボラークは30歳。しかし年齢は感じさせなかった。もちろん若くは見えないという意味である。貫禄充分であった。
物心ついた頃から天才の名をほしいままにし、弱冠30にして欧州の超一流オケの首席奏者を歴任し、世界中の聴衆から惜しみない賞賛と絶賛を浴びる日々。そうした彼の人生とはいかなるものか・・・。それでも30歳には30歳の悩みがあるのだろうか。

人間の一生というのも意外と短いのかもしれないと思うこの頃。
今日のブログはつぶやきネタであった・・・・・。
疲れてるな・・。いかんな・・。
  
Posted by arakihitoshi at 01:19Comments(0) │ │雑感 

2006年10月09日

燃え尽きた part2

このブログのトップページには、前日の訪問者数が表示されるようになっているのだが、こんなにも更新が滞っているにも関らず、根気よく訪問して下さる方が日に60〜100名ほどいる。
少なくともこの方たちには、私の現状をお伝えする社会的、道義的責任があろうというものだ。
なぜブログもHPもここ2〜3週間更新が滞っているのか。それは引っ越しをしていたからなのだ。

訳があって7年間住んでいたマンションを引き払って、近所の一軒家にしばらくの間借家住まいすることになった。
マンションと借家の距離は1kmにも満たない。徒歩4〜5分である。
こんな僅かな距離でも引っ越しにかかる費用は普通の引っ越しと変わらず、見積もりを取ったら30万円近くかかる事が分かった。

30万と言えば私の月の給料の手取り額よりも多い(恥)。
レッスンに換算したら子供60回分である!!
あれも買える、これも買える。もし30万円持ってススキノに行ったら、あ〜んなことや、こ〜〜んなこともできる。
それは置いておいて、とにかく徒歩5分の距離に30万円はあまりに惜しいので自分で引っ越しをすることにした。

そんな訳で、9月の中旬頃からマンションと一軒家を1日数往復、愛車アコード・ワゴンに荷物を満載して五月雨式引っ越しが始まった。
仕事が終わってから毎夜、マンションの住人に迷惑がかからないように静かに荷物を運び出す姿は、まるで”夜逃げ”であった。
それにしても、家族4人分の荷物というのは驚くほど多い。最初考えていたより3倍はあった気がする。
3LDKのマンションの収納力を完全に甘く見ていた。
運んでも運んでも荷物は減らず、本や楽譜やCDを運び終わった時点で既に一人で引っ越しを始めた事を後悔した。

この夜逃げ状態は約2週間続いた。
その間休日はなく、稚内方面演奏旅行や札響の演奏会がない日も室内楽やサロンコンサートがあり練習は怠れず、子供×2の世話もある。疲労は蓄積する一方であった。
引っ越しも終盤を迎えた頃、妻の両親が手伝いと称して兵庫から遊びに来た。
二人がかりの大きな荷物はレンタカー屋で軽トラックを借り、義父に手伝ってもらい運んだが、歳も歳である。義父は数時間で腰痛を訴え燃え尽きてしまった。

それにしても、なんて無謀な計画を立ててしまったのだろう。
最近のジム通いで体力がついたと思い込んでいたのがいけなかったようだ。
それに浮いた金であ〜んなことやこ〜んなことも・・、と想像するとドーパミンのような訳の分からない物質が脳に分泌されて、このゲリラ的な引っ越しを”難なく出来る”と勘違いしてしまったのだ。

やっとの思いで荷物運びが終了した後も、新居で片づけの日々であった。
演奏会で日中留守の間に、妻の両親が荷作りをしてくれた。これが災いして一番最後まで使っていた日常最も使用頻度の高い荷物がどこに仕舞ってあるのか分からなくなってしまった(`口´;)。
考えて見れば当たり前である。荷作りこそは自分たちでやるべきだ。

新居のTVアンテナが不具合で1週間TV無しの生活を余儀なくされた。
電話の引っ越しも遅れて、その間ネットにも繋がらなかった。
お蔭で日ハムのリーグ優勝と小泉首相の最後と安倍内閣の最初を見逃した!
仕方なくリサイクル屋でパラボラアンテナを480円で買ってきて、衛星放送だけは何とか映るようにした。


やっと数日前にTVもネットもつながり、ここ1〜2日で片づけもほぼ終わった。
しかし毎日とにかく眠い。完全に燃え尽きた。
今回の燃え尽きは尋常ではない。産卵が終わった鮭のようである。
浮いた30万円の代償はあまりに大きかった。
あ〜んなことや、こ〜んなことをする元気などもうどこにも残っていない。
人生とはこういうものなのかもしれない。

次回の引っ越しは間違いなく引っ越し屋に頼もう。そのために一生懸命演奏して稼ごう。

ではおやすみなさい。  
Posted by arakihitoshi at 01:47Comments(6) │ │雑感 
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