2006年11月20日

芸術とは!

前回のブログにも書いたが11月はこの業界、非常に忙しい。
東京公演から帰ったかと思えば翌々日からは道東旅行。
今は帯広のホテルで書いているのだが、帰ったらすぐに東北旅行がある。
旅の狭間の札幌でレッスンや室内楽の仕事や雑用をしなくてはならない。
いやいや、仕事があるのはありがたいことだ。愚痴は言うまいこぼすまい。これが楽隊の生きる道である。若干ワーキングプアーなところが気になるが・・・。

さて、先週の東京公演では空き時間を利用してアークヒルズ観光をしてきた。
実はアークヒルズに行くのは始めてであった。着いてから「このビルって、ライブドア事件で散々TVに映ってた建物じゃん!」と気が付いた(恥)

アークヒルズ1










最近の東京の変貌ぶりにはいくたびに驚かされる。
すっかりお上りさんなので、道路上でビルの写真を撮ろうが、地下鉄の券売機の上の路線図を穴が空くほど眺めようが、全然平気なのだ!

さて、アークヒルズのロビーの案内板でライブドアや楽天やYahooの文字を見つけてひとしきり感激したあとに、展望フロアに行った。
東京の夜景の真っ只中から見る東京の夜景はそれはそれは圧巻であった。

アークヒルズ2





こんなところに東京の新名所があるとは全く知らなかった。
眼下に広がる文字どおり宝石箱のような夜景が疲れを癒してくれた。
「夜景がきれい」と書いてあったので登ってみたが、今や東京を代表する観光スポットらしい。知らなかった。これだからお上りさんはイヤなのだ。
さて、夜景を見て魂の洗濯をしたあとに同じビルの森美術館に行った。
普段は現代アートを常設しているらしい。
運のいいことに、「クリーブランド美術観展」が開催中だった。
フランスの印象派からはじまって、アメリカの現代アートまで時代順に展示されていた。月曜の夜ということもあり館内は驚くほど空いていた。途中ロダンの「考える人」や「青銅時代」など、貸し切り状態で見ることが出来た。

展示されている世界的に有名が絵画や彫刻を見ながら思った。
私の美術の知識はまったく粗末なもので、そろそろ何とかしなければと思っているのだが、それぞれの時代の絵画を音楽に置き換えて見当をつけながら見るようにしている。
ゴヤたちロマン主義をシューベルトたちロマン派の作曲家、
マネやドガたち印象派をドビュッシーやラベルにといった具合である。
この置き換えが当っているかどうかは別として、これをきっかけに何とか分かった気になることにしている。

しかしながら、これが通用するのもせいぜい後期印象派くらいまでで、表現主義だの象徴芸術だのというともういけない。
同じ森美術館でやっていたモダンアートの「ビル・ヴィオラ展」も見たが、バリバリの現代アートとなると、感心するのは最初のインパクトだけで、正直申し上げて少し気持ち悪い。確かに作品は突き詰められておりそこがアートなのだと思う。どこかの催事場にビル・ヴィオラの作品が一つ展示されていたら、目が釘づけになるだろう。
しかし、立て続けに見せられた日には・・・・。

それらの展示を見ながら考えてしまった。
現代アートの難しさを。
クラシック音楽でも同じことが言えるのではないか。
シェーンベルク以降の”現代音楽”を聴いて、その美しさを感じるには古典派やロマン派の作品を知らなくては難しいと思う。

ビル・ヴィオラを見て気持ち悪くなった私は、モーツァルトを知らずにいきなり武満の「ア・ウェイ・アローン」を聴いたに等しい。

敢えて例えるなら、棒状アンモナイト、優美な平状アンモナイトを知らずして、いきなり異常巻きアンモナイトを見せられたようなものである。
たしかにアンモナイトの歴史を知っている者からすれば、あの異常巻きから「アンモナイトの自滅」に思いを馳せ、アンモナイトは自滅寸前には知性をも備えていたのではないか・・、とロマンを感じ萌えるが、そういうプロセスを踏まずに異常巻きを見たら”気持ち悪い”という感情が先に立つだろう。

さらに分かりやすい例を挙げると、
宇宙戦艦ヤマトやガンダムを知らない人が、いきなり新世紀エヴァンゲリオンを見せられたようなものである。
本来ならこの世紀末ロボットアニメの最終形の設定やディテールに感動するところなのだが、プロセスを踏んでいない人からみれば、惣流・アスカ・ラングレーが劇場版アニメで最後に言う「気持ち悪い・・」というセリフが実感を伴うだろう。

「現代音楽だろうが、好きなものは好き。それでいいんですよ。」
って、そんな事を言う人もいるが、私には安易なリップサービスに聞える。
やはりある程度の下地は必要ではなかろうか。美術も音楽も。
だからこそ芸術は芸術なのであって理解できたときの喜びも大きいのだと思う。
  

Posted by arakihitoshi at 00:08Comments(0) │ │音楽 | 雑感

2006年11月11日

完売になった11月定期

クラシック音楽業界はこの時期とにかく忙しい。
”芸術の秋”。
平たく言えば、”稼ぎ時”という事である。
次々に押し寄せる演奏会、原稿書きなんかの副業、事務仕事、ジム仕事。諸々の雑用に追われる。そんなわけでなかなか更新もできない。
第九が終われば一段落。
9月〜12月が繁忙期。1月〜6月が閑散期。と敢えて言えばそういうことになる。

今日は11月定期の1日目の本番であった。
エマニュエル・パユのフルートでイベールのフルートコンチェルト、モーツァルトの「アンダンテ」という小品。そしてマーラーの5番。
パユのフルートは音はデカく、たゆみなく、テクニックは完璧、歌に充ちており本気で感動した。
それにしても、物心ついたころから天才の名を欲しいままにし、世界中訪れる全ての場所で惜しみない賞賛を浴びる日々・・、そんな人生とは一体いかなるものなのか。
先月のバボラークといい、そんな事をぼ〜〜〜っと考えながら伴奏していた。
パユは練習中も常に紳士的で、楽員たちとも屈託なく交わり、本当に性格もいいなだな〜。
ルックスもメンズ・ノンノに出てもいいくらいカッコいいし。追っかけも沢山いるみたいだし。天は何物を彼に与えたのだろうか。
「ふん・・、天才、天才と言ったところで腹出てきてるじゃね〜か。悔しかったらジム通ってみろ」と悔し紛れに心の中で毒づくのが関の山である。

さて、話しは変わるが、このたびノンノン・マリア弦楽四重奏団で札幌市文化奨励賞という実に立派な賞をいただいた。
今日の午前中はその授賞式であった。
札響くらぶ会長で札幌市長でもある上田文雄さんから賞状と副賞を頂いた。
上田会長とは演奏会場はもとより、動物園などでも最近よくお会いする。
市議会議長やその他多くの立派な方々が参列する予想外に立派な式典であった。
受賞者挨拶というのがあって、アワアワしながら挨拶を考えて何とか喋った。
副賞は賞金10万円で、絢爛豪華な水引の付いた「副賞」と書いた封筒の中に、それはそれは立派な和紙に認められた目録が折り畳んで入っていた。実際のお金は銀行振り込みである。
いままで他人がもらう立派な水引封筒の中身が何となく気になっていたがこういう事だったのか。開ける時は神社のお守りの中身を暴くような、軽い興奮を覚えた。

挨拶では「ノンノン・マリア」の由来や、受賞理由の一つであった”社会貢献”は、今回賞を頂いたノンノン・マリアとトリオ・ダンシュだけでなく、ほとんど全ての札響楽員が取り組んでおり、大きな励みとなりました。と、お話しさせていただいた。
天才の名を欲しいままにするのは羨ましいが、市井の音楽家も悪くはない。と思った。

さて、明日もマラ5。
この曲は難曲中の難曲だが、大ソロのあるトランペットやホルンは別として、チェロが取り分け大変な曲である(と思う)。
東京公演2回を合せてあと3回。

明日にそなえて今日はもう寝ます。
おやすみなさい。
  
Posted by arakihitoshi at 00:19Comments(3) │ │音楽 
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