最近イヤな夢を見る。
ところで、人の夢の話しを聞かされるのは概して退屈なものだ。
敢えて退屈ではない例外を一つだけ挙げると、
意中の女のコか誰かと
「昨日ね、荒木君が夢に出てきたの」
「へ・・、へ〜〜、ボクが。で? どんな夢だったの?」
「うふふ、知りたい?」
「うんうん!! 知りた〜〜〜〜〜い!」
とまあ、こんな具合に嬉し恥ずかし青春グラフティーを演じる時くらいだろう。
が、そんなハッピーな夢物語は遠い遠い過去の記憶である。
霞がかかってよく見えない。現実にあったかどうかも疑わしいほどだ。
今回の夢も当然ながらフェミールエチルアミンとは無縁である。というか対極である。多少退屈だと思うがしばしお付き合いを。
さて、前置きが長くなった。前置きするほどの話しでもないのだが。
最近イヤな夢を見る。
夢でしか見ない同じ景色というのはよくあると思うが、最近こんな変な景色を2回見た。
昼なのか夜なのかよく分からない薄暗い都会の景色で、
ビルや高速道路の高架が見えるが、よく見ると灯りは消えコンクリートが所どころはがれ落ちている。
公園の噴水も止り、人の気配も無い。木や草は茶色く枯れて風に煽られている。
場面が変わり(夢でありがちな前振りのない場面転換である)
高層ビルの上の方の階の窓から下を見下ろしているアングルである。
相変わらず景色は暗く荒れ果てている。
地表すれすれに真っ黒い雲が流れている。その雲が本当に墨の様に真っ黒くて端のほうがギザギザしていて怖いのだ。
夢はここで終わる。(これも夢にありがちな唐突な幕切れである)
SF近未来映画の見過ぎという話しもある。
「ブレード・ランナー」や「ターミネーター」や「マトリックス」には確かにこういふう風景の未来が出てくる。
しかし私が思うに、最近の冬の異常な暖かさに対する漠然とした不安が蓄積したのが原因の気がする。
この夢、一度目に見たのは1月だというのに大雨が降った日。二度目は1月とは思えない春のような陽気の日の夜だった。
1月といえば1年で一番寒い、冬絶好調の時期である。
この時期に雨が降ったり陽気で雪が溶けたり・・、おかしいではないか。
私が子供のころは気温がマイナス20度近くまで下がる日が一冬に何度かあったし、日常もマイナス5〜6度は当たり前で気温がプラスになることなど無かった。近所の川も毎年凍ってその上で遊んでいた。雪だってもっとサラサラしていて雪玉を作るのに苦労したのだ。
温暖化は言われているが、そのスピードが問題である。
地球の歴史に比べれば圧倒的に短い人の一生の、さらに人生まだ半分位しか過ぎてない私が認識できるほどのスピードで温暖化が進んでいるとしたら、これはもう手遅れなのではないか?
新聞やTVで言われている「50年で1℃」とかそういう話しではないと思うのだが。
政府やFBIやペンタゴンやホワイトハウスは本当の情報を隠しているのではないだろうか。
と、これが一つめの心配事であった。
昨日からは久しぶりに寒い。
昨夜降った雪はきらきらと光を反射して本当に綺麗だった。あまりに綺麗なので手にとって見ると平ぺったい結晶が雪印のマークの様にはっきりと確認できた。
「宝石を散りばめた様な」という表現がキザな修辞技法ではない事を知るに充分であった。
やはり冬はこのくらい寒いほうが引き締まって良い。
さて、二つめの心配ごとは一気に現実的である。
連載している季刊「ゴーシュ」の”クラヲタへの道”の締め切りが今月一杯であるのにネタが全く思いつかない。
明日の北広島演奏会が降り番で休みである。色々雑用を片づける予定だったが家で原稿を書こう。
今日と明日中に書かないといけないのだが・・、ブログを更新してる暇があったら原稿書けという話しもあるのだが、一種の逃避行為である。
勢いで”クラヲタ”を名乗ってしまったが、私は本当はそんなにクラヲタではないのだ。アマチュアのクラシック好きの方々の方が知識面ではよほど詳しいと思う。
さあ、書かなきゃ。アセアセ・・。
どなたかいいアイディアありませんか?
そもそも、次号「ゴーシュ」が発売される3月まで地球は無事なんだろうか。