2007年04月30日

ゴッドハンド(神の手)

今日、あの有名なビデオ・リサーチ社の方が来て、なんと!!わが家が栄えある視聴率のサンプル世帯に選ばれた!
数日前に「お伺いします」という封筒が投函されており、今や遅しと待ち構えていたのだ。

ちなみに「あの〜、サンプル世帯に選ばれた事は他言してもいいのですか?」とお伺いしたところ、「ぜんぜん構いません、むしろ宣伝になるので是非お願いします」という事なので遠慮なく他言させていただくことにしよう。

まず、家族構成、年齢、職業、年収などを細かく書く用紙があり、それに記入。
この時点で放送局や新聞社などマスコミ関係にお勤めの方は弾かれる(らしい)。
私は「音楽関係です。財団法人というかですね・・、えーと、札幌交響楽団というところで、あの、オーケストラなんですけどね、はい、それが仕事でして・・」とお答えし取合えずパス。スポンサー会社が道新なので一瞬ヒヤリとしたが大丈夫だった。

最初の2週間は”最近読んだ雑誌の調査”である。
ありとあらゆる週刊誌と月刊誌が表紙の写真と主な見出し付で載った冊子を渡され、立ち読みも含め最近読んだものに○を付けていく。
数の多さに驚いたがどれも見覚えのあるものばかりだ。

この先、雑誌の次ぎはラジオ、そしていよいよテレビと続くらしい。
とても楽しみだ。

「び、ビデオ・リサーチの調査には以前から大変興味がありました!。選ばれて嬉しいです!、楽しみながら答えさせていただきます!!」と興奮丸出し状態で申し上げたら、「そう言っていただけると勇気が湧きます。今日は来て良かった!」とオジサンもお喜びの様子で答えてくれた。
そして玄関先で熱く語り合う二人の間になにか友情の様なものが芽生えた気がしたのであった。これも視聴率が取り持つ縁であろう。

ところで、何年か前にどこかのテレビ局のプロデューサーが視聴率のサンプル世帯を買収した事件が発覚したが、その時読んだ記事で関東地方でのサンプル世帯はたしか600世帯だったと記憶している。
関東圏で約一千万世帯あるとして、その600世帯というと僅か0.006%。
たった0.006%の世帯で視聴率を決めているのだ。
こんな少なくていいのだろうか・・。
でもまあ、国家の舵取りを任せる選挙だって開票率0%で当選確実がでたりするわけだから、きっといいのだろう・・。

今日の夕方早速、雑誌がずら〜っと並んだ冊子に○付け作業を行った。
鉛筆を握る私の手はまさに神の手。0.006%の選ばれしゴッドハンドである。
「この雑誌はたしか病院の待合室で読んだっけ?、あれ?手に取っただけでよまなかったっけ・・・、いいや、○付けちゃえ・・」
ふふふ、こういった判断も私の腹一つなのだよ。
神の怒りを恐れたまえ! がはははは!

いや〜〜、サンプル世帯は楽しいね〜。
しばらく楽しみ倒そう。

(*文中の実数は私の記憶やカンによる。信じないように)
  

Posted by arakihitoshi at 00:52Comments(2) │ │雑感 

2007年04月21日

わたしたちのプラハ

今日の夕方帰ってきました。
家に帰ったらまずはカメ虫退治っと。
いや〜、日本はカメ虫臭くて困るね〜。

さて、前回のブログの後、ウィーンでベートーベンやモーツアルトゆかりの場所を訪ね、翌日ユーロ鉄道でプラハに行きました。今回の旅行はこういう移動もすべて自力で動いているのでなかなかのドキドキ体験でした。
(プラハのホテルでインターネットに繋がらないのには参りました)

鉄道でチェコに入った途端に車窓はいかにも貧しい風景になりました。
プラハ市内はあの映画「アマデウス」の撮影に使われた中世さながらの景色!!・・ばかりでもなく、スプレーペンキの落書きが街中いたるところにありました。
どうもこの国の若年層の非行化はかなり深刻なようです。それを大人が注意できない雰囲気もあるみたいです。夜は酔っぱらったクソガキどもが街で暴れてて怖いです。
ソ連支配下から自由化されたのが1989年ですから、ちょうど20年。革命を知らない子供たちが成人する頃です。このジェネレーション格差は話しに聞く団塊世代が成人した頃の日本に似ているのでしょうか・・。

「アマデウス」が撮影された共産圏時代は落書きも商業看板も卑猥なポスターもニセ物土産屋も両替屋も無く、それはそれは時間が止ったような景色だったんだろうな、と思いました。

そうそう、それとプラハは英語がほとんどまったく通じませんでした。私の英語が酷いとかいう問題ではなく、観光地の標識や地下鉄や道路の標識は全てチェコ語。英語の兼記は一切ありませんでした。恐るべしです。
地図を見ながら太陽の位置や夜は星座などを見ながら方向を確かめて歩きました。ジャングルか!

さて、気を取り直して観光とコンサートの3日間を過ごしました。
この街には見るべきホールが4つあります。そのうち3つのホールに行きました。
1日目はドヴォルザークホールでプラジャークS.Q.の「死と乙女」ほか。
2日目はスメタナホールでプラハ響定期。なんと!武満の「弦楽レクイエム」とブルックナー4番。
3日目は国立オペラ座でロッシーニの「セビリアの理髪師」

4つ目のホールはエステートホールというオペラハウスでモーツァルトが「ドン・ジョバンニ」を初演したことで知られていますが、残念ながらここはスケジュールの都合で行けませんでした。(観光客相手っぽい噂を聞いたので私の中での優先順位は低かったです)

行ったホールはどこもこじんまりとしており音響がライブで古いホール独特の鄙びた音色がしました。
プラジャークS.Q.はそのライブでこんじまりとしたホールを物ともしない胸のすくような爆演でした(笑)。プラジャークは9月にキタラに来ますが本拠地ホールで聴いた後にキタラで聴くとどんな印象を受けるか、とても楽しみです。
2日目のプラハ響と3日目のオペラ座管弦楽団は当然ながら技術的にはウィーンの世界一流オケには到底及ばないのですが、個性と音色を持った良いオケだったと思いました。このオケはよく来日公演で「モルダウ、運命、有名コンチェルト」風の名曲コンサートをやっていますが、やはり本拠地ホールでの定期演奏会は別物でした。
武満はプラハの聴衆には残念ながら今ひとつのウケかたに見えました。オケも消化不良の感がしないでもなかったですが、プラハで聴く武満は格別でした。ブルックナー4番はスメタナホールの響きを十二分に利用した壮大な演奏でした。(指揮:ジリー・コウト 音楽監督もしくは首席指揮者)

オペラ座のオケは座付きのオケらしくモチベーションけして高くはなく、たまに音を外したりズレたりしながら曲が進行していくのですが(笑)、手を抜いている感じはなくいかにも手慣れた雰囲気でした。そもそも彼らの一ヶ月のスケジュールはほぼ休み無く日替わりで名作オペラを上演しており、それだけでも賞賛に値します。一体いつ歌合わせをしてるのでしょう・・。今回の旅行で来日公演含め聴いたことがないオケはこの歌劇場管弦楽団だけだったのですが、地域に密着した雰囲気でいかにも”地元のオケ”。気に入りました。
歌手たちは皆素晴らしく、歌唱力だけではなく演技力と容姿と観客を楽しませようという気迫に満ちており、3時間のセビリアがあっという間に終わりました。
地元の人たちは皆楽しそうにしており、このオペラ座が愛されてる様子が充分に分かりました。それでもマーラーやシュトラウスが指揮台に立った頃のレベルがこんな程度のはずもなく、今回たったこれだけ聴いて判断できるわけではもちろんありませんが、余計なお世話と言われようともこの国の芸術のレベルの行く末が多少心配です。いま非行化しているクソガキどもに何としても頑張って明日のチェコを支えてほしいです。

終演後地下鉄のホームで楽器を持ったオケのメンバー数名が早くも地下鉄を待っていました。撤収の速さもさすがプロです(笑)。
コントラバスのオジサンとヴァイオリンのお兄ちゃんがなぜか私たちに気がついて挨拶してくれました。ボックス席だったこともありきっと目立っていたのだと思います。(この街、東洋人が非常に少ないです。観光シーズンはきっと違うのでしょうが)
演奏中の合間に客席をキョロキョロ見回して客の顔を覚えてしまうのもさすがプロです(笑)。

観光はお決まりのプラハ城やカレル橋の他に、スメタナの「わが祖国」の中の”高い城”のヴィシェフラドが良かったです。郊外にある高台の古城跡からモルダウ河を一望できて絶景です。プラハ城などは欧州中から集まった修学旅行と思しき行儀の悪いガキんちょどもで充ち満ちていましたが、ヴィシェフラドには観光客はほとんどおらず、ミュシャの天井画のある教会やドヴォルザークやスメタナの墓がある墓地も独占できました。

充ち満ちていると言えば、最近はこうした海外旅行記もネットに充ち満ちていますね。ウィーンやプラハの旅行記など珍しくもなくネットに氾濫しているので書くのも多少躊躇われたのですが、でもまあ、それはそれとして、今回はネットなどで演奏会のチケットを全て購入、予約していきました。色々と面倒な事や見当が付きにくい事もあったので、そのうち世のため人のため自分のためにコーナーにまとめてみたいと思います。
ガイドブックなんかには「演奏会のチケットは当日でも入手できるかも!」とか書いてますが、「かも」では困るし、普通はウィーンやプラハにチケットの購入を頼める知り合いなどいないし、ネット等での事前購入はお薦めです。

それではまた。

prague





いわゆる”ボエミアの森”から眺めたモルダウ河とプラハ市街
高台から見た景色はとても美しかったです。
このあたりの森は生態系が札幌の森にそっくり。まるで旭山公園にいるみたいでした。  
Posted by arakihitoshi at 23:58Comments(7) │ │音楽 

2007年04月16日

みんなのウィーン 2

今日も昼間は観光して夜はコンサートでした。
観光はいろいろ行きましたが、「ドナウはちっとも青くはなく汚い」と実しやかに囁かれている噂は本当なのか確かめに行きました。
ちょうどドナウの中州に地下鉄の駅がありそこで下車。鉄橋の上にある駅から見下ろす視界一面のドナウは、たしかにバスクリンを入れたような”青”ではありませんが、河川敷も公園に整備され水も澄んでいます。河川敷の公園では市民たちが憩っていました。トップレスのオネエサンもいました。
汚いというから私はてっきりヘドロまみれで死んだ魚がプカプカ浮かんでいるドナウを想像して行ったのですが・・・、なーんだ!キレイじゃん!
夜のコンサートはムジーク・フェラインでウィーン交響楽団の定期演奏会に行きました。曲はシュミットのオラトリオ「七つの封印の書」でした。
はっきり言って馴染みのない曲です。「欧州人の宗教観を完全に理解していないとまったく着いていけない難解曲。たぶん一生お付き合いの無い曲だろう」と思っていたのですが、休憩無しの2時間まったく飽きることなく演奏とホールの響きを堪能できました。あらかじめミトロプーロスのCDで予習したのと対訳も日本から持っていったのが良かったようです。やはり予習とお勉強は大切です。
それから席が前から8列めの中央で、しかもこのホールって客席のライトが落ちないんですね。ここで寝たら一大事。緊張が走りました(笑)
オケや独唱やオルガンもさることながら合唱団がとにかく上手でした。

ウィーン響の定期は人気らしくチケットは1月の発売と同時に買っていました。昨日のオペラでは観光客の姿をわりと目にしたのですが、今日は地元ウィーン人の純度が100%に近かった気がします。私はかなり浮いていたと思います。(もちろんいいけど)
オルガンの横の席まで満席でした。
寝てる人は一人もいませんでした。本当に予習していってよかったっす。

今日は分離派美術館とベルベデーレ美術館でクリムトたちの絵も堪能できたし、いいものに沢山触れた一日でした。

ではまた。(o^-')b チェキラ!  
Posted by arakihitoshi at 06:46Comments(4) │ │音楽 

2007年04月15日

みんなのウィーン

いま旅行でウィーンに来てます。
今日は昼観光し、夜は国立オペラ座にヴェルディーのシモン・ボッカネグラを見に行きました。

市の中心部にある王宮からシュテファン寺院までの通りは思いっきり観光地化されておりまさに小樽運河沿い状態でした。
わたしはショルダーバックをたすき掛けにニコンのカメラを首から下げ、ガイドブックを持ったまま歩く純度100%の日本人観光客なので(地元民の振りなんてしないもんねー。どうせ無駄だから)恐いものなしですが、予想を越える小樽運河度に「なんだかな〜」感は拭えませんでした。
普段は「欧州のオケでは・・」なんて訳知り顔で話したりしてるのですが、実はウィーンに来るのは初めてなのです。

一旦ホテルに戻りスーツに着替え(一応ね、場違いだと困るので)、いよいよ国立オペラ座に向かいました。今回の旅行で連日予定されているコンサート通いのチケットは全て日本から事前に購入しました。あとはホールのチケット・オフィスでホールから送られて来たメールのプリントと実券を引き換えるシステムです。(と書くと簡単そうですが、これがなかなか苦労しました)

演目のシモン・ボッカネグラは、「序曲も有名なアリアも無くやたら男ばかり出てくる地味なオペラ」という印象しかなかったのですが、今回はアバドのDVDでしっかり予習したので今日は心から楽しめました。やはり予習は大切です。この予習が無かったら時差と観光疲れで国立オペラ座で爆睡していたかもしれません。

バルコニー席の最前列だったので(飛行機代などをケチって全てをコンサート代に投入しています)オーケストラピットがよく見えました。
オケは演奏終了と同時に皆楽器を片づけ始めます。観客の拍手はまるで人ごと。カーテンコール一回めが終了したら早々に帰ってしまいました。
いや〜、オーケストラピットの中のオケはビジネスライクですなー。どこでも一緒のようです(笑)。

それではまた。(o^-')b チェキラ!

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開演前の国立歌劇場管弦楽団の神々たち。ライナー・キュッヘルの姿が見える。  
Posted by arakihitoshi at 07:01Comments(3) │ │音楽 
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