札響のオホーツク公演(斜里→北見→紋別)の初日(3月27日)、斜里で流氷を見た。
観測史上もっとも早い春が来たというのに、流氷はオホーツク海にまだしっかりといた。
流氷を見たのは20年ぶりくらい。海岸に打ち上げられた流氷は砂にまみれていて意外と汚い・・・。
流氷を見ながら頭をよぎるのはやはり環境問題である。
昨今はこの問題が庶民の生活にもスーパーのレジ袋に始まって根深く食い込んできているし、誰の頭の中にも途切れることなくズズ〜〜ンとパイプオルガンの最低音で奏でる通奏低音のように暗く鳴り響いているのではないだろうか・・・。
先週、子供を連れて映画「ドラえもん」を見に行った。
今回のテーマは”環境問題”であった。宅地化のため切り崩される”学校の裏山”の木の一本からドラえもんの道具で人間の子供のように変身した”キー坊”が、のび太の家で成長し、やがて森林を大切にしない地球人に制裁を加えようとやってきた植物型宇宙人たちから地球を救う。
最後はキー坊の働きで、宇宙人から地球制裁までの猶予期間を与えられ、のび太やドラえもんは涙ながらに植物型宇宙人の心の広さに感謝する・・・とまあ、こんな感じのストーリーである。
最初に明確にするが私の立場は「エコロジー大切」である。が、ドラえもんを見て「またエコか・・」とゲンナリしたのも否めない。
エコは確かに大切である。二酸化炭素削減のための個人レベルの努力も無視できないのも分かる。
しかしながら昨今の1億総エコのノリは、敢えて例えるなら国民精神総動員法的でいかがなものかと思わなくもない。ついにドラえもんまで動員されてしまった。
先月号の文芸春秋で、京都議定書で国際社会で日本だけが温暖化ガス削減の義務を負わされたカラクリが特集されていた。
アメリカが議定書に参加しない訳やEUが削減どころが増加枠を勝ち取ってしまったこと、石油が数十年で枯渇するのに100年先まで温暖化を予測するのは意味がない・・、などが書かれていた。
この特集の内容が正しいか否かを検証する能力は私には無いが、国民精神総動員的な”エコブーム”に多少違和感を感じはじめていた私の気持ちにこの特集がすっと入り込んできたのも事実である。
レジ袋もいいが、日本の何十倍もの温暖化ガスというか有害物質を排出している国々が周辺にある状況で、個人レベルの努力には限界がありすぎる。
やはり本気で地球環境問題に取り組むなら、国際的な政治レベルで取り組むのが大前提だろう。日本での熱狂的なブームは問題を個人レベルにすり替えてはいないだろうか?。のび太やドラえもんが涙ながらに懺悔する話しでは当然ながらない。
ちなみに今回の「ドラえもん」はストーリーのつまらなさもさる事ながら、宮崎アニメの影響を受けた・・というか真似したとしか思えない部分ばかりが目についた。スターウォーズもかなり入ってた。テーマといい、オリジナリティーはないのか?
それから、”エコ”とさえ書いてあれば何でも正当化される風潮をいいことに蔓延る胡散臭いエコ商法がやたらと目につく。毒入りギョウザと一緒にこいつらもまとめて何とかしたい。
P.S.今年から始まった札響オホーツク公演は自主公演である。尾高さんの指揮で周っているが、昨日の聴衆の反応はかなり上々だった。地元実行委員会のご熱意には心から感謝したい。是非とも軌道にのればいいと思った。
下の写真は斜里で見た流氷。