先日小樽を通りかかったので、気が向いて運河周辺を散策してみました。
運河通りはGW真っ最中で観光客でごったがえしていました。
本州から来た雰囲気のミニスカのギャルが、いっかにも頭悪そうな茶髪の彼を連れ周して、「マリモッコリちょうかわい〜〜〜!、下品だけどかわい〜〜、ゲヒカワ〜〜〜」とか言ってるのにムカつきながら、初夏を思わせる陽気の中、久しぶりに運河通りを歩いてみたわけです。
小樽運河は私が高校生くらいの頃は川幅が今の倍あり(今のバイパス道路は2車線だった)、悪臭ただようヘドロ運河でした。運河としてはとっくに使われなくなっていたと思います。
運河を埋めたててバイパス道路を作ろう、という計画が行政で持ち上がり、それに対して「運河を残そう!保存せよ!」という市民運動が起ったわけですが、当時の一般ピープルの世論は、「今までヘドロまみれで放っておいて、何が保存だ・・」という冷ややかな反応が多かった気がします。
やがて行政は市民運動と折り合いをつけて、半分埋め立ての折衷案で現在の形に落ち着いた訳です。
わたしは大学浪人の頃に完成したばかりの運河通りにバイクでよく行きました。
今はすっかり観光地になった運河の裏通りには、古い眼鏡屋とか時計屋があって、探せば数千円で純銀製の古い弦眼鏡や、ソ連製の懐中時計など掘り出し物にありつけました。
小樽博(当時の通称”タルハク”)があったのもその頃でした。そこで使われた回転ジェットコースターは今はルスツ遊園地にあります。
小樽博にはソ連物産展の『白樺』が出店しており、非常に貴重なソ連製の紅茶やジャムは、パッケージは恐ろしく劣悪だったけど、とても美味しくて今でも忘れられない味です。
当時、小樽に行った時に必ず寄るのが、これまた当時できたばかりの北一ガラスの喫茶店でした。
今ではすっかり観光地になっていますが、当時は知る人ぞ知る穴場でした。
倉庫を改造してランプで明かりを取る佇まいは、今でこそありきたりですが当時は画期的で、ど肝を抜くお洒落さでした。
オンナノコなんて連れて行こうものなら、「荒木くんすご〜〜い! こんなステキなお店知ってるの!?」と言われるのは必定。ムード満点のウシシ・・なスポットだったわけです。
あれから四半世紀・・・・(遠い目)。
ヘドロの浮いた運河はすっかり全国でも有名な観光地となり、
”一重にわたしが目をかけてやったお蔭で”北一ガラス製品は道内屈指の土産物になりました。
一時は、「小樽は死んだ」と思っていました。
運河周辺は”蟹ミソラベンダーアイス”だの訳の分からない売れればそれでいい風の土産を売るプレハブ作りの即席土産物屋が立ち並び、見るに耐えない風景でした。
しかし、久しぶりに歩いてみて、観光地として堂に入った姿になったな・・と思いました。
もちろん観光地なわけだから、昔からあった佇まいではないし嘘と言えば嘘なんだけど、それを言ったらディズニーランドだって"嘘"です。
だから、あれでいいのです。俺様が認めましょう。
そいえば、今話題の「花畑牧場」の出店もありました。
実のところ生キャラメルの味は私はすごく好きというわけではありません。一度は食べてみて損はないと思うし、製品のクォリティーはとても高いと思うけど、味濃くてこってりしてて、あれは『本州人が思う北海道の味』という気がしないでもありません。
でも田中義剛さんは好き派です。
展開してる事業も好感持てるし、道新の連載も面白いし、田中義剛さんを北海道知事に・・、なんて話題もあるけど、ああいう商才に長けた人が知事になったらいいかもしれませんね。実際、北海道に足りないのは商才な気がします。
某道内有名菓子メーカーとのバーサスもありましたが、地産地消を盲信的に礼賛するわけじゃないけど、田中義剛さんに好感を持ったのはあの一件以来です。
今日は小樽について語っちまいました。
それではみなさんごきげんよう。