2009年05月09日

小樽を語る

先日小樽を通りかかったので、気が向いて運河周辺を散策してみました。
運河通りはGW真っ最中で観光客でごったがえしていました。
本州から来た雰囲気のミニスカのギャルが、いっかにも頭悪そうな茶髪の彼を連れ周して、「マリモッコリちょうかわい〜〜〜!、下品だけどかわい〜〜、ゲヒカワ〜〜〜」とか言ってるのにムカつきながら、初夏を思わせる陽気の中、久しぶりに運河通りを歩いてみたわけです。

小樽運河は私が高校生くらいの頃は川幅が今の倍あり(今のバイパス道路は2車線だった)、悪臭ただようヘドロ運河でした。運河としてはとっくに使われなくなっていたと思います。
運河を埋めたててバイパス道路を作ろう、という計画が行政で持ち上がり、それに対して「運河を残そう!保存せよ!」という市民運動が起ったわけですが、当時の一般ピープルの世論は、「今までヘドロまみれで放っておいて、何が保存だ・・」という冷ややかな反応が多かった気がします。

やがて行政は市民運動と折り合いをつけて、半分埋め立ての折衷案で現在の形に落ち着いた訳です。
わたしは大学浪人の頃に完成したばかりの運河通りにバイクでよく行きました。
今はすっかり観光地になった運河の裏通りには、古い眼鏡屋とか時計屋があって、探せば数千円で純銀製の古い弦眼鏡や、ソ連製の懐中時計など掘り出し物にありつけました。
小樽博(当時の通称”タルハク”)があったのもその頃でした。そこで使われた回転ジェットコースターは今はルスツ遊園地にあります。
小樽博にはソ連物産展の『白樺』が出店しており、非常に貴重なソ連製の紅茶やジャムは、パッケージは恐ろしく劣悪だったけど、とても美味しくて今でも忘れられない味です。

当時、小樽に行った時に必ず寄るのが、これまた当時できたばかりの北一ガラスの喫茶店でした。
今ではすっかり観光地になっていますが、当時は知る人ぞ知る穴場でした。
倉庫を改造してランプで明かりを取る佇まいは、今でこそありきたりですが当時は画期的で、ど肝を抜くお洒落さでした。
オンナノコなんて連れて行こうものなら、「荒木くんすご〜〜い! こんなステキなお店知ってるの!?」と言われるのは必定。ムード満点のウシシ・・なスポットだったわけです。



あれから四半世紀・・・・(遠い目)。
ヘドロの浮いた運河はすっかり全国でも有名な観光地となり、
”一重にわたしが目をかけてやったお蔭で”北一ガラス製品は道内屈指の土産物になりました。

一時は、「小樽は死んだ」と思っていました。
運河周辺は”蟹ミソラベンダーアイス”だの訳の分からない売れればそれでいい風の土産を売るプレハブ作りの即席土産物屋が立ち並び、見るに耐えない風景でした。
しかし、久しぶりに歩いてみて、観光地として堂に入った姿になったな・・と思いました。
もちろん観光地なわけだから、昔からあった佇まいではないし嘘と言えば嘘なんだけど、それを言ったらディズニーランドだって"嘘"です。
だから、あれでいいのです。俺様が認めましょう。


そいえば、今話題の「花畑牧場」の出店もありました。
実のところ生キャラメルの味は私はすごく好きというわけではありません。一度は食べてみて損はないと思うし、製品のクォリティーはとても高いと思うけど、味濃くてこってりしてて、あれは『本州人が思う北海道の味』という気がしないでもありません。
でも田中義剛さんは好き派です。
展開してる事業も好感持てるし、道新の連載も面白いし、田中義剛さんを北海道知事に・・、なんて話題もあるけど、ああいう商才に長けた人が知事になったらいいかもしれませんね。実際、北海道に足りないのは商才な気がします。
某道内有名菓子メーカーとのバーサスもありましたが、地産地消を盲信的に礼賛するわけじゃないけど、田中義剛さんに好感を持ったのはあの一件以来です。

今日は小樽について語っちまいました。
それではみなさんごきげんよう。
  

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2009年05月06日

ノンノン・マリア演奏会迫る

このブログの左側の列にアクセスカウンターを設置しているのですが、
あ、ちなみにlivedoorのオリジナルのは性能が激悪で、"忍者カウンター"というのを借りてきて付けているわけですが、このブログのアクセス数は平均は150〜200/1日くらいです。

で、さっき久しぶりになにげな〜〜くアクセス解析を見たわけです。
5月1日134・・、
4月27日220・・・、ふんふん。
4月20日・・・??

4月20日 2024!!

ぬ、ぬぁ〜〜〜にぃ〜〜〜〜!? にせんにじゅうよんだぁ〜〜??

これって・・、今流行の炎上ってやつ?
いやいや、でも俺に実害は出てないぞ・・。一体なんだ?

と不審に思いつつ詳しくみてみると、
拙ブログ2008年11月28日の記事「実写版 森雪の功罪」にアクセスが集中している・・。
検索ワードも「森雪 モデル」とか、「森 雪 コスプレ」とか、「森雪 実写」とかそんなのばっかり・・。

4月20日に一体なにがあったんだーー!?
ググって見たけどイマイチよく分かりません。誰か知ってる人教えてください。
それにしても、森雪、森雪って騒ぎやがって! このドスケベオタクどもが!
・・・って、おまえも充分騒いでただろって? がはは。ごもっとも!(`▽´)


で、今日はそんなことを書きたくてブログをしたためているわけではないのです。札響の仲間でやっているノンノン・マリア弦楽四重奏団の演奏会が5月12日(火)と間近に迫っています。
今回はこんな内容です。→ ノンノン・マリア弦楽四重奏団オフィシャルサイト
演奏会のプログラムノートもアップしましたのでぜひご覧ください。

練習も佳境に入っています。
今回は3曲とも技術的にもかなり難曲で、早くて難しい曲ばかりですが、名曲揃いでやりがいがあります。
自分で言うのも何ですが、プログラム的にかなり充実しててかつ美しくまとまっています。
まず、ショスタコとベートーヴェンは古典と現代のそれぞれの弦楽四重奏の大家でしょ。
で、ショスタコ8番はハ短調、間宮はハ長調、ベトの9番はハ長調で調性もあってるでしょ。
しかも、ショスタコはソ連、間宮はショスタコが存命中に何度も招待されてソ連を訪問している、いわばソ連通な作曲家なわけです。そして間宮は邦人にしては珍しく代表作と言える弦楽四重奏を3曲も作曲している。
で、ベトの9番は駐ウィーンのロシア大使だったラズモフスキー伯の委嘱で書いた曲なのです。だからロシア民謡が引用されてたりして、副題も「ラズモフスキー第3番」なのです。
つまり3人のこの3曲には、ロシア(ソ連)、ハ調、弦楽四重奏の大家、という3つの共通点がある訳です。

キマッたーー! という感じでしょ?
弦楽四重奏曲は深〜い精神世界が表現されていますからね。この演奏会を聴きおえた後には、何か世界が見えるはずです。
どうです? 聴きたくなってきましたね?

お席のほうはまだ充分にございますので、ぜひお越しください。

(※上記のオフィシャルサイトでチケットぴあのチケット販売ページに飛べます。当日券もあります)


SQ
札幌郊外の定山渓の山奥にあるノンノン・マリア練習場(実はviola三原氏の自宅)。
4月末なのにまだ雪に閉ざされている・・・。(合掌)
  
Posted by arakihitoshi at 01:09Comments(3)TrackBack(0)

2009年05月02日

Vista XP 共有 できない

昨年の6月に新しいデスクトップパソコン(OSはVista)を購入しました。
それまでは、XPのデスクトップとXPのノートを2台使っていました。
約6年ぶりの買換えだったので、新しいPCは本当にサクサク動いて快適でした。

しかし、困った問題が・・・。Vista機とXP機のファイルとプリンターの共有ができないのです。今までXP機同士は問題なく共有できていたのに・・。
ネットワークの設定は何十回(何百回?)もやりなおしましたがダメです。

ネットでも随分調べましたが、諦めてファイルのやりとりはSDカードなどを使っていたのですが、プリンターが共有できないのはなんとも痛いです。
で、先月あるきっかけでVista機とノートのOSの再インストールを機に、再度ファイルとプリンターの共有に着手しました。
結果から申し上げると、やっとできるようになりました。
濃い霧が晴れたような、詰った下水管が一気に流れたような爽快感でした(笑)。


ネットで調べて分かったのですが、同じ問題で困っている方は多いようです。
なので、今回は私がネットや本で調べた方法を総まとめして残しておくことにしました。
ただし、私はWindows3.1時代からのユーザーではありますが、歴とした素人です。
コンピューターに関する系統立った知識は持ち合わせていません。
そこをご了解いただいた上で参考になさる方は参考になさってください。
それと、パソコンスペックの記述は省略します。(私と同じレベル悩んでいる人にとって意味のある情報とは思えないからです)


私のPCの接続環境は下記です。
この3台のPCをローカルエリアネットワークで完全に共有させるのが目的です。

『ADSLモデム』 → 『ルーター(有線/無線共有)』 → (1)Vista(有線)・(2)デスクトップXP(有線)・(3)ノートXP(無線)
(※3台のPCはそれぞれ直接ルーターに繋がっています。)


(1)ワークグループ名を一致させる
デフォルトではVistaとXPのワークグループ名は違います。まずこれを一致させる必要があります。方法は下記です。
Vista=スタート→マイコンピュータ(右クリック)→プロパティ→コンピュータ及びドメイングループ名の設定→設定と変更。で、ワークグループ名とPC名を変更できます。
XP=スタート⇒マイコンピュータ(右クリック)→プロパティ→コンピューター名→変更。で、ワークグループ名とPC名を変更できます。
コンピューター名


(2)Vistaの「ネットワークと共有センター」の設定を変える
ネットワーク探索
ファイル共有
パブリックフォルダ共有
プリンタ共有
の4つを有効にします。パスワード保護は無効にします。
メディア共有に関してはよく分かりませんが、私は無効にしてます。
ネットワーク共有センター


(3)Windowsファイアウォールの設定を変える
Vista=スタート→設定→コントロールパネル→セキュリティーのWindowsのファイアウォールによるプログラムの許可→例外タブ→「ファイルとプリンターの共有」にチェック。
XP=スタート→設定→コントロールパネル→セキュリティーセンター→Windowsファイアウォール→例外タブ→「ファイルとプリンターの共有」にチェック。
セキュリティーセンター


(4)ウィルスセキュリティーソフトをオフ(全ての機能を無効)
本当はファイアウォールの設定をすればいいんだと思います。
ちなみに私は頭にきてアンインストールしました(笑)。

(5)Vistaのレジストリを書き換える
ネットで拾った情報です。仕組みはもちろん分かりませんが取合えずやってみました。(このサイト
1.スタート→ファイル名を指定して実行→regedit でレジストリエディタ開く。
2.HKEY_LOCAL_MACHINE¥System¥CurrentControlSet¥Control¥Lsaへ。
3.LmCompatibilityLevel を開き、値のデータを 2 にする。


さて・・。わたしの場合、ここまでやってもダメでした!!
どうすりゃええねん・・・・
そして行きあたったのが下記。


(6)XP機のアップデート
ノートXPがService Pack 2だったのでService Pack 3にアップデートしまた。(デスクトップXPはもともとService Pack 3でした)
参考になったマイクロソフトのURL http://support.microsoft.com/kb/922120


これが決定打でした。
なんだかいつもと違うパソコン君たちの雰囲気・・・。
電源を入れたまま待つこと30分(待つのも大切みたいです)。3台とも一気につながりました。
Vistaの「ネットワーク」にもしっかり3台表示されています。
クリックすると、各々のPCで「共有」に設定したフォルダはしっかり開けます。
うーーーん!! 素晴らしい達成感!!。

それにしても、ローカルネットワーク上にアップデートしてないPCが1台あっただけで、他の2台も共有不能になっていたということでしょうか・・・。なんか納得できないけど、とにかく共有できて良かったです。
2週間経ちますが、ファイルもプリンターもきちんと共有できてます。
でも、この一件ですっかりVista嫌いになりました。XPにしておけば良かったと何度後悔したか分かりません(苦笑)。


VistaとXP、共有できずに悩んだ挙げ句、google検索でここにたどりついたあなた・・、ご健闘を祈ります!

それではみなさんごきげんよう。


P.S. XPをSP3にしたタイミングで共有不能になったというログも発見しました。
レジストリエディタで、
HKEY_LOCAL_MACHINE\SYSTEM\CurrentControlSet\Control\LSA\RestrictAnonymous
Restrictanonymousが1に変更されていたので、Restrictanonymous=0 に戻して解決したそうです。

p.s.2
あるBBSでこの本が紹介されていたので購入しました。
基本的な事項から網羅的に書いてあるので、ネットで断片的な情報を集めるよりその部分では役に立ちました。
VistaとXPの繋ぎ方の項目もあります。

  
Posted by arakihitoshi at 01:38Comments(2)TrackBack(0)

2009年05月01日

ブラック・ジャック先生に会いました。

小学生の頃、ブラック・ジャックを死ぬほど読んだ。
も〜〜〜〜、繰り返し繰り返し読んで、台詞をすべて覚えてしまったほどだ。
ブラック・ジャックは毎週月曜日(本州は金曜日)発売の少年チャンピオンに連載されていたが、
待ちきれなくて土曜日とか日曜日に、「もしかして入っているかも・・」と本屋に見に行ったほどだ。

で、ブラック・ジャックの単行本は発売と同時に買って、これもまた繰り返し読んだ。
ブラック・ジャックの絵は1万回くらい書いたので、今でも人を驚かせるくらいスラスラと上手に描ける。
いや〜〜〜、本当にブラック・ジャック好きだったな〜〜。
ブラック・ジャックは本当にかっこよかったと思う。
その証拠に、登場する女性は人妻だろうが婚約中だろうが、余命幾許もない身の上だろうが、未成年だろうが、みんなブラック・ジャックに惚れちゃっていた。
あれだけモテモテだったら、全国に1万人の愛人を作ることも夢じゃないと思う。

私は人生の多感な時期に、本当に熱心にブラック・ジャックを読んだので、
ブラック・ジャックから人格に少なからず影響を受けたと思う。
何を隠そう、子供の頃の夢は、”天才外科医”だった。
上手くいっていたら、私も今ごろ無菌テントの中でメスを振るっていたはずだった。
そして、宅建主任者チェロ奏者じゃなくて、宅建主任者無免許医になっていたはずだったのだ。


で、上の娘が小学校4年生になった。
私がブラック・ジャックと出会ったのとそろそろ同じ年だ。
なので、命の大切さを学んでもらおうとか、いろいろ思って封印していたブラック・ジャックを紐解いた。
久しぶりに久しぶりに読んだが、やっぱり引き込まれる。
自分の少年時代の心境まで思い出して本当に懐かしく、しみじみ読んでいる。

BJ


奥付を見たら、6巻以降は全て初版だった。
15巻だけカバーが無くなっているのが惜しい。


そういうわけで、今日はブラック・ジャック先生に登場していただくことにした。


荒木「ブラック・ジャック先生! お久しぶりです!」
BJ「む・・。おまえさんも元気そうだな」
荒木「先生もお変わりなく・・。ってゆか・・。先生は実はおいくつだったんですか?」
BJ「ナム三!」
荒木「え?? ななじゅうさん? そんなには見えませんけど・・・」
BJ「あいにく、肩書きだの年齢だのには興味がなくてね・・」
荒木「そうでしたよね。先生は世間の常識とかはお嫌いでしたよね」
BJ「そういえばおまえさん、天才外科医になるんじゃなかったのかい?」
荒木「いえいえ、それがですね。いろいろ予定が狂って、チェロ奏者に・・」
BJ「ふむ・・、脳疾患の兆候がみられるな。ピノコ! オペの準備だ!」
荒木「いや! 狂ったってのはそうじゃなくて・・」

BJ「医者はなんのためにあるんだ!!」

荒木「わー! びっくりした! 急に大声ださないでくださいよ。そりゃ〜、お医者は病気とか怪我を治すためにあるんじゃないんですかい?」
BJ「かつて、わたしの恩師、本間先生もそう言っていたよ」
荒木「そっかー、ブラック・ジャック先生は本間丈太郎先生に命を救われたんでしたよね」
BJ「ひ・・、む。おやじはマカオで暮らしているよ」
荒木「なんか、先生。話しが噛み合っていませんね・・、もう疲れてきちゃいましたよ」
BJ「疲れたのなら、そのベッドに側臥位に寝な。たぶんわたしでなければオペは不可能だ」
荒木「なんで疲れただけで手術するんですかっ!、も〜、何かといえばオペに持っていくんだから。まいっちゃうな〜」

BJ「医者はなんのためにあるんだ!!」

荒木「わ〜〜!、だから、それはもういいですって。なんだかよく分かりませんでしたけど、今日はどうもありがとうございました。先生とお話しできて嬉しかったです」
BJ「礼よりも報酬をいただきたいもんですな」
荒木「やっぱりそうこなくちゃ!。で、報酬はおいくら?」
BJ「二千・・・、いや、三千万円ですな」
荒木「払います!一生かかっても払いますとも!」
BJ「ふっ、その言葉を聞きたかった・・・」
  
Posted by arakihitoshi at 00:30Comments(3)TrackBack(0)
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