2010年07月30日

目指せ!背広が似合う男

6月のお祭りで釣ってきた金魚が2匹、まだ元気で生きています。
ブクブクや水草を入れても毎年1〜2週間で死んでいたのですが、 必要なのは”濾過機”だったようです。やっと分かりました。
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つい先日、里塚に新しくできたアウトレット・モールに買い物に行きました。
目的のシャツを買った後は何を見るでもなくぶらついていたのですが、「ああ、そうだ、スーツが欲しいんだった」と思い出して、スーツを見て周りました。

話がそれますが、このスーツっていう言い方、やっと慣れましたが、いまだに完全には違和感を拭い去れません。
会社員とかがネクタイをして会社に着ていく服は、私は『スーツ』ではなく『背広』と呼びたいです。
昔はみんな『背広』って呼んでましたよね?
いつから『スーツ』になったんでしょう・・。
『スーツ』って言われると、ガンダムの『モビル・スーツ』とか、もしくは”とんねるず”の”もじもじくん”が着ている黒い全身タイツみたいなのが真っ先に頭に浮かんでしまうんですが、この言語感覚っておかしいですかね?
ズボンがいつのまにかパンツになってしまったり、
チョッキがベストになったり、
とっくりがタートル・ネックになったり、
どうも馴染めないのです。

なので以降は『スーツ』ではなく『背広』と呼びます。
実は私は背広が大好きで、自分で言うのもなんですが、そこそこ似合ってるんじゃないかな?ともひそかに思ったりしているわけです。
いや、思い過ごしかな?
いや、少しは似合ってるんじゃないかな?
いや、・・
まあ、それは置いておいて、幼少の頃から背広の似合う大人の男になりたいと思っていたのは事実。

例えばこんな感じ↓


どうですか!
いや〜、むちゃくちゃダンディーですな〜。
この頃の刑事ドラマは本当にかっこよかったですね。
弁当男子だの草食系だのが流行っている今の日本に、この手のダンディズムはありませんね。

当時の男たちは、煙草とダンヒルの重いライターは持ち歩いていたけど、マイ・ボトルだのマイ・箸的なものは絶対に持ち歩いていませんでした(イメージ)。
整髪料のMG5の匂いをプンプンさせてました(イメージ)。
昼飯は駅の立ち蕎麦や定食屋に行きます(イメージ)。
で、同僚たちとこんな会話をします(当然イメージ)。
「そういや、営業一課の佐藤君、やっこさんここんとこ妙に機嫌がいいじゃないか」
「な〜に、やつは最近えらいベッピンと結婚しやがったのさ」
「本当かい? そいつは羨ましいな」
「そう言うおまえさんのところの細君だってなかなかの美人って評判だぜ」
「うちのワイフがかい? おいおい、冷やかしっこなしにしよじゃないか」
「あははは」
「あははは」

何気ないサラリーマンどうしの会話にも、失われてしまったダンディズムと、
「やっこさん」「おまえさん」「細君」「そいつは〜」「ワイフ」「〜しようじゃないか」
などの失われてしまった言語や言い回しを見出すことができますね。
くつろいでいるようで、どこか保っている・・・、
崩れているようで崩れてない・・・、
当時の日本の男たちからはそういう美学を感じます(オーバーだけど・笑)。

で、幼少の私も大人になったらそういう男たちの仲間入りができるのだと楽しみにしていました。
昼休みは背広の上着を脱いで、ワイシャツにネクタイ姿で会社の近くの喫茶店に行き、
アフター・ファイブには、背広姿でトレンチコートを鞄を持っている方の腕にかけて、受付の女の子とかを飲みに誘うんだと思ってました。
そして、女の子を車の助手席に乗せて、トレンチコートと鞄を後ろの座席にバサッと置いて、助手席の座席の後ろ側に手をかけて、車をバックさせるんだと思ってました。
で、小粋な小料理屋とで小上がりに通されて、座りざまに「やれやれ、うちの会社も人使いが荒いよ」とか言いながら、ネクタイを緩めて第1ボタンだけを外した状態にするんだと思ってました。

「大人の女の人って、そういう男の姿に萌えるんだろうな」と幼少の頃から信じてました。
いや、実は今でも信じてます。
でも世の中、エコというかロハスというか、草食系になりましたね。(・・まあ、今だけかもしれないけど。)
きっと世の中の”大人の女”たちは、こういうロハスな状況を嘆いているのではないでしょうか。

で、ダンディーな男への憧れを思い出して、里塚のモールで背広を探したのですが、どうもイメージしているものが見つかりません。
私は背広は大好きだけど、仕事柄実際に着る機会がないので、夏用と冬用に一着づつしか持っていません。それも今もっているのは安物のうえ形が少し古くなってきたのでここらで10万円台くらいのが一着欲しいところです。
で、見て周ったのですが、今流行の背広ってサイズが小さくてピチピチしていて、試着してもぜんぜんかっこよくありません。
「あれ?? あれ?? 俺ってこんなに背広似合わなかったっけ?」と自分を見失いそうになりました。
ああ〜、そういえば最近の若者ってみんなこういうツンツルテンの寸詰まりの背広着てるな〜〜、と思い出します。
試着室の鏡に映った自分を見て、「まるでアルゴリズム体操の向かって右側の人みたい・・。」と思ってしまいました(鬱)。


特捜最前線のダンディズムとは似ても似つかない・・。
里塚で探そうと思ったのが間違いなんだろうけど、う〜、
まあ、近いうちにまた探したいと思います。

でも、どこでネクタイ緩めて第一ボタン外したり、鞄とコートをばさっと置いたりしようかな・・・。
それやるためだけに背広着て出かける? コスプレの一種だね。課長島耕作のコスプレと思えばありだよね。
背広プレイ・・、うん、いいかもしれない ヽ(´▽`)ノ

それではみなさんごきげんよう。  

Posted by arakihitoshi at 13:11Comments(13)TrackBack(0)

2010年07月28日

オケの存在意義まで考えてしまう

本州の酷暑は酷いですな〜〜。心からお見舞い申し上げます。今年ほど北海道にいる幸せを感じたことはありません。
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一番言われてゲンナリする言葉に、
「いいな〜、好きなこと仕事にしてる人は」があります。
この商売やっているといろんな局面でこれを言われるんですよね。

例えば、
楽器持ってタクシーに乗ったときの、運転手さんとの会話で、
久しぶりに偶然会った高校時代の同級生との会話で、
PTAや町内会などの集まりで、
などなど・・

言った人に悪気は無いんだと思います。
ほんの軽口か、いや、ひょっとしたらお世辞のつもりかもしれません
しかし、これを言われると何故か、むしょ〜〜〜にイラつくんですよね(笑)。

「じゃあ、アンタも好きなこと仕事にすればいいだろ!」
と言い返したくなります。
そして続けざまに、
「そしたら、好きなこと仕事にするのが大変なの分かるよ。だいたいさ〜、好きなことっていうけど、好きなことだけしててホントに仕事になると思う? イヤな仕事も請けて、イヤな客とも仲良くして、それが仕事でしょ?違う? それとも何かい? エロいこと好きだったらフーゾクで働けばみんな幸せになれるって言うのかい? 『椿姫』のヴィオレッタは高級フーゾク譲だったけど不幸な末路を遂げたぞ!」
と矢継ぎ早に畳み掛けるように、小一時間そいつを問い詰めたらどんなに気分爽快だろう。と凶暴な気持ちになるのです。(※下部参照)

いやね、音楽を仕事にできて総合的には幸せだと思ってはいるんですけど、イヤだな〜って思うことも当然いろいろあるんです。仕事だから。
指の皮が向けて血が出てるのに楽器弾かなきゃいけないとか、
子供の運動会とか友達の結婚式なんかと演奏会が重なって行けないとか、
ビンボー堪えるお仕事とか(←これ重要)
このビンボーに堪えるお仕事は、とくにこの年になってくると骨身にこたえてきますね〜(苦笑)。
でもまあ、そんなこと言ってたら今の時代の必殺キー・ワード、
「仕事があるだけでもありがたいと思え!」を言われちゃいそうなので、普段は金持ちの振りしてるんですけどね。

さて、ビンボーに堪えるのはキツいのですが、それに比肩してイヤなのが、”あまりにも下らない曲(芸術的な価値が著しく低いかもしくは無いという意味で)などを演奏させられるお仕事”ですかね。
札響はありがたいことに、そういう仕事はあまりないのですが、貧すれば貪す、一般的に言ってオケが貧しくなるのと比例してその手の仕事が増える傾向にあると思います。
昔、某真理教があろうことか、オーケストラを作ったことがありましたよね。
そこの某尊師が作曲した事になっている曲を演奏するためのオーケストラです。(実際には音大出の信者が作っていたんだと思いますが)
「交響曲”真理”第一番」とか、そういうノリだったように記憶しています。
オーケストラの団員は、当時国が崩壊して仕事を失っていたロシアのプロオーケストラ奏者たちだったそうです。

と思ってYouTubeを探したらありました。


これは見てるだけで悲しくなります。
オケの楽員はみんな死んだ魚の目みたいになってますね。
この期に及んで、「仕事なんだから一生懸命演奏しろ」とか、「プロだったらどんな時でも完璧を目指せ」とか、「やる気の無い態度は作曲者やお客に失礼だろ」とか、「この曲を聴いて感動してる人だっているんだぞ!」とか言われてもね〜、と彼らは思ったでしょう。
まあ、確かに当時は感動してる人も一部にはいたのかもしれませんけどね。

もうひとつ。
近くて遠い某国の国立オーケストラの動画を発見しました。


これはどうなんでしょう。
彼らが幸せか不幸かという点では評価が分かれるところだとは思うのですが、
このオーケストラはマーラーの交響曲を暗譜で弾いてしまったりしているそうです(あり得ないほど過酷だと思うけど)。
これを見る限り、演奏はとても上手で疑いようもないプロフェッショナルです。
いろいろ事情があるんだと思います。一生懸命弾いているようには見えるけど、上の動画で演奏している曲の"価値”を彼らは、よ〜〜く分かっているはずです。
私は気の毒に思うんですが、どうなんでしょうね。ひょっとして余計なお世話かもしれません。
彼らから見たら、「金のために演奏するなんて悲しい。思想のために演奏している自分たちのほうがマシだ」と思うのでしょうか。
分かりませんが、どちらにしても悲しいんです。

金儲けだけ考えたらオケの楽員なんて演奏家にとってそれほど割りに合う仕事ではないんでしょうが、それでもベートーヴェンやモーツァルトや、ブラームスやマーラーや、偉大な芸術に常に触れていられます。
苦労してでもいいオケに入れれば、上手な同僚と一緒に一流の指揮者やソリストとハイレベルな聴衆に囲まれて芸術性の高い音楽を共有できます。
だからオケはやめられないんです。
プロだから食っていくためにお金は当然必要なんだけど、もし、お金のためとか思想のためとか、芸術以外の目的に軸足を移しだしたらオケは存在意義を失うでしょうね。
一瞬はいいかもしれないけど、たぶん最終的にはお客さんにも社会にも見捨てられると思います。
これはオケだけではなく、芸術業全般に言えることかもしれません。

さて、痩せても枯れても専門家集団のプロ・オケの楽員から見て、いくら相手が”芸術テイスト”で売っていても、メディアが持て囃していても、生意気に聴こえるかもしれないけど一発でニセモノと分かることも多いんです。
自分たちの信じる(少なくとも私の信じる)オケの存在意義を守るために、明らかなニセモノには近寄らない努力をしなければいけないんでしょうが、
実際にそれを口にするのは、分かっちゃいるけど難しいんですな〜〜。


それではみなさんごきげんよう。


(※)この部分は後の話の展開に弾みをつけるためにわざと書いている”ネタ”です。筆力は至りませんが文脈から判断していただけることを期待しています。
本当に怒り狂っているわけではありませんので抗議のメールは送らないよーに!  
Posted by arakihitoshi at 00:43Comments(4)TrackBack(0)

2010年07月20日

「北の大地で育ったチェロ奏者たち2」が終わった

Twitterで1日に100回くらい呟く人っているじゃないですか?。そのバイタリティーに私なんかは圧倒されちゃうんですが、他方で巷に溢れている「焼肉屋なう」みたいな読み手を意識しているとは思えないジャンクなログにはどうしても疑問を感じるのです。年かな・・。
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「北の大地で育ったチェロ奏者たち2」のコンサートが終了した。
500人入る札幌サンプラザホールが満席に近い盛況であった。
前売りの他に、当日券だけで50枚、プレイガイドが30枚という売り上げは、室内楽系の演奏会としては異例の多さといってよい。
ご来場のみなさま、ありがとうございました。

この演奏会は私のチェロの恩師である上原与四郎先生の喜寿を祝って、全国から弟子が集まって演奏した。
前回は1986年に「北の大地で育ったチェロ奏者たち」という演奏会が、同じサンプラザホールで行われた。
私事だが、このときは私はまだチェロ奏者としてはこの世に存在していなかった。
当時、独協大学という普通の大学の経済学部に行っていた私は、ちょうど帰省中でその演奏会を聴く事ができた。
上原先生の弟子の中でも高弟と言っていいプロになった人たちが出演していた。
中には首都圏のオケの首席奏者たちやN響の団員なんかもいて、それはそれはきらびやかな眩いばかりの陣営で、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハなどが演奏された。
私はその物凄さに完全に圧倒され、ただただ阿呆のように口を半開き状態で演奏に聴き入ったのだった。

で、終演後のパーティーに先生にお祝いを申し上げるために恐る恐る出席した。
そこで、上原先生にお願いして出演していた毛利伯朗先生を紹介してもらった。
その後、東京に帰ってから毛利先生には札響に入るまで長い間お世話になった。
毛利先生は今では日本のチェロ界の重鎮といってよい存在だが、当時はまだ30代で、アメリカから帰ってきたばかりだった。今よりはかなり時間もあったように見えた。なので、アマチュアだった私のレッスンも熱心にしていただいて、レッスンの後にビールや夕食をご馳走になったりしたこともあった。ずいぶんといい思いをさせていただいた。
それが災いして幸いして、独協大学を中退して芸大に入りなおして音楽屋の道を選んでしまったわけだが・・。

そんなわけで、私は「北の大地のチェロ奏者たち」にはずっと因縁を感じていた。
今回は、上原先生の喜寿ということで、あの演奏会をもう一度!ということで、門下の文屋さん(札響)と竹本さんと私の3人で実行委員会を作って企画した。
私は上原先生の定年退職と入れ替わりで札響に入ったので、私が入団17年目、ということは先生は喜寿ということになる。
コンセプトが”お祝い”ということもあり、今回はプロ・アマ関係なく声をかけて、沢山で演奏しよう、ということになった。
それもあって、事務処理は煩雑を極めた。
私は主に郵送・連絡係りだったのだが、ハッキリ言って発狂しそうなほど雑用が多かった。
しかも、料金別納で送ったはずの郵便物が大量にスタンプ未押印で戻ってきたりした。なので今回の郵政改革に対しては憤りを感じる日々を送ったりもした。
でもまあ、今回はプロの連中もみんなノー・ギャラ&顎足自分持ちである。音楽業界において師弟関係というのは親子の絆と同等に強いのである。あえて例えるなら括約筋のような強さと言えましょう。
その程度の苦労は当然と思わなければなりません。

さて、結果的には昨日の演奏会は「やってよかった」と心底思えるものになった。
全国から弟子が集まってくる関係上、合わせのための練習は前日のたった一回のみ。
なので合奏上のクォリティーに問題がなかったかと言えばあったと言わざるをえないのは事実だ。
それでも感想を言ってくれたお客さんには、「良かった」と言ってくれた人が多かった。「面白かったよ」と言ってくれた人も何人かいた。
話がそれるが、この「面白かった」という言い回しは、まま使われるフレーズではあるのだがけっこう微妙で、良かったと思ったのなら「良かったよ」と言うはずのところを、ちょっと捻った「面白かったよ」という言い方をチョイスするということは、「必ずしも良かったとは言えないけど、面白くはあったよ」という意味なのか・・、とこちらとしては穿った見方をしてしまうのだ。(やましい気持ちがあるときはなおさら(笑))
演奏家はお笑い芸人ではないので、お客を面白がらせようと思って演奏しているわけではない。
なので「面白かった」といわれるのは必ずしも嬉しくはない。
しかし、こういう時には、次は「良かった」と言ってもらえるようにさらに精進しよう、と考えるのが真摯な態度というものだろう。

それでも今回に限っては総合的には聴いてもらう価値のある演奏会だったと私は自負している。
特に最後の上原先生のソロを約30人の弟子たちが囲んで伴奏した、ボッケリーニの間緩楽章と、アンコールの「鳥の歌」は感動的だったと思う。
私も思わず目頭が熱くなったし、会場で涙ぐんでいるお客さんを何人も見た。
人生をチェロの演奏と指導にひたすら捧げた老チェリストが、多くの弟子に伴奏させてする渾身の演奏が、私が門下生であるという事を差し引いても、価値がないはずは無いだろう、と思うのだ。

上原門下のチェロ奏者の人数はとにかく多い。
郡響から創立当時の札響に先生が来ていらい、絶え間なく輩出された弟子の数は一体何人になるんだろう・・。
日本のチェロ奏者の人口の数パーセントくらいは占めると思う。
国会における社会民主党議員の占める割合よりは多いと思う。
公明党よりちょっと少ないくらい?
まあ、とにかく多いのである。
で、そうした弟子たちに囲まれて喜寿の演奏会でソロを弾く先生は、こういってはなんだが、本当に幸せそうだった。
私はあんな充実した喜寿を迎える自信はない。

昨日の演奏会の打ち上げは大いに盛り上がって、家に帰ったのが3時頃だった。
それでも今日は午前中からレッスンをやって、午後は札響の練習に行って、夜も夕食のあとレッスンをやって、やっとさっき開放された。
ハタラキたい、というより、ハキたい。という状況の中、なんとか1日をこなしたわけだが、これを喜寿まで続けるのか・・・、
だめだめ。絶対ムリ!

ま、それはそれとして、
今回は先生のお祝いができたのも収穫だったが、それに劣らない収穫として、門下生同士の交流ができたことだ。
特に若い世代の人たちと交流ができたのは嬉しかった。
少し前に「先生のところに上手な中学生がいるらしいよ」なんて聞いてたコが、プロオケの楽員や首席奏者になってたり、日本の若手を代表する一人になっていたり。
私なんかすっかりベテラン扱いされる始末であった。
チェロ奏者としてこの世に存在していなかった1回目の「北の大地」コンサートから25年。
長いような、あっという間なような・・。
人の一生って言うのは意外と短いものなのかもしれないと思う今日この頃である。

だったら好きなことやったほうがいいな・・、と思う今日この頃である。

で、まだまだ若いモンには負けんで〜〜〜 とひそかに思いたい今日この頃である。

それではみなさんごきげんよう。

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前半で演奏したヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第1番」のリハーサル風景(向かって左から3番目が私)
  
Posted by arakihitoshi at 01:25Comments(7)TrackBack(0)

2010年07月04日

真空管の深みにハマりそうになる

連日暑いですね。暑いと人間開放的になりますな〜。
南の島は1年中こんな感じか〜、それも悪くないな・・。と思う今日このごろです。
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趣味のオーディオ・ブログ路線でいく! というつもりはないのですが、今回もオーディオの話です(笑)

前回、レコードの盤面を顕微鏡で見る、という話をしました。
顕微鏡で見ても汚れの付着が見られないのに、なぜスクラッチ・ノイズがおきるのだろう?という話でした。
放送関係の専門の方などからも情報をいただき、「やはり静電気だろう」ということになったのですが、そうなると今度は「静電気のおきる盤とおきない盤の違いはどこに?」という疑問が沸いてきます。

昔、写真の現像をやっていたのですが、現像したフィルムを引き伸ばし機にかける際に、ピストルのような機械でフィルムの静電気を一瞬にして逃がしてしまうという道具がありました。
当時の私には高価であの機械は買えなかったのですが、今なら大人なので買えます(笑)。
静電気を放電したフィルムは嘘のように埃を寄せ付けません(カメラ屋で見たことがあります)。
今度、ぜひあのピストルを買って(今でも売ってたら)レコードに応用してみようと思っています。


さて、以前オーディオのハードにはこれ以上はまらないと書いたのですが、最近真空管に少し興味がわいてきました。
ご存知のように真空管アンプは、真空管を差し替えることによって音質を変えることができます。
なかなか奥深い世界のようです。真空管マニアのような人たちも存在します。
真空管をコレクションして、いろいろ差し替えて楽しむわけです。
なので真空管は、ハードなんだけれどもソフト的な面もある、ということが言えると思います。

こないだ私の弟が私の影響で真空管アンプを購入したので、持ち寄って私のアンプと弟のアンプを聴き比べてみるという遊びをしました。
真空管アンプには大きく分けてシングル式とプッシュプル式という2種類があります。
両者の説明はここでは省きますが(というか説明できるほど詳しくないですが)、要するに一長一短あるようです。
私のアンプはプッシュプル式。弟のはシングル式というやつです。
回路の形式こそ違え、私たちのアンプはふたつとも出力管(メインの真空管)にKT-88というのを使っています。
シングル式とプッシュプル式を比べるのに好都合な条件です。

オーディオセットの背面に手を突っ込んで、悪戦苦闘しながらコードを差したり抜いたりしながら聴き比べ大会をしました。
「う〜ん、シングルの方が音の伸びがいいね」
「プッシュプルは音の重心が下にあって艶もあるんだけど、伸びという点ではイマイチだね・・」
などと分かった様な分からない様な薀蓄合戦をするわけです。
興味のない人が見たら、さぞ”寒い”光景でしょうが、ハマるとこれが実に楽しいのです。


で、ふと疑問が浮かびました。
同じKT-88でも、真空管を差し替えてみたらどうなるんだろう・・? 
さっそく、私のプッシュプルのKT-88を弟のシングルに差して聴きなおしてみました。
(`口´;) 弟のアンプから私のプッシュプル・アンプの音がする・・

そうです。少なくともさっきまで傾けていた薀蓄は全てリセットされました。
私たちがアンプの個性だと思っていたのは、ほとんど真空管の個性だったのです。
同じKT-88なのに、です。
生産国や生産時期の違いでここまで音が違ってしまうんですね。
ということは、別の真空管を着けたら全く違うアンプになるでしょう。
これは面白いです。真空管にはまる人の気持ちが少し分かりました。
レコ1

(KT-88を乗せ替え中の様子。左がプッシュプル、右がシングル)

で、そんなことをTwitterでつぶやいていたら、先日東京からチェロのエキストラで来たM城君が、出力管(上の写真の大きい方の真空管)も大切だけど、初段管(前の小さい方の真空管)も付け替えると面白いよ。と、真空管を4本わざわざ東京から持ってきて貸してくれました。
さすがはマニアのM城君だけだって、軍用に作られた高品質の物など逸品が揃っていました。
さっそく家に帰って差し替えて聴いてみました。
4本三種類試して、それぞれ個性があって面白いのですが、例の軍用品は格別で音の雰囲気が劇的に変わりました。
借りたのは英国製やドイツ製なのですが、もともと着いている中国製(たぶん)から1〜2ランク位高級感が増した気がします。

これは病み付きになりそうな世界です。
オーディオは富裕層以外が手を出してはいけないお金のかかる危険な遊び。という認識を長年持ち続けて、オーディオにだけは手を出すまいと自戒してきたのですが、1本数千円程度の真空管でここまで楽しめるなら、これは庶民の娯楽と言っていいと思います。
次回東京に行ったときは、真空管専門店なども覗いてみたいと思います。

さて、最後にiPhoneネタです。
最近、iPhoneを真空管アンプに繋いでオーディオを聴くということをしています。
iPhoneの下部のDockコネクターをアンプのRCAのジャックに繋ぎます。
音源はダウンロードしたものでもよいのですが、私は主にNAXOSのミュージック・ライブラリーの音源を聴いています。(1800円/月で会員になった)
真空管iPhone

(iPhone直繋ぎで、初段管の聴き比べ中)

iPhone直繋ぎ。これはなかなか良いです。
レコードの様に彫りの深いクールな臨場感、とは違いますが、CDよりかなりレコード的な音がする気がします。
それもそのはずで、普及機クラスのCDプレイヤーの様にデータのコマ落ちもないし、1分10Mバイト分のデータをキッチリ全て読み込めるわけです。
何十万円もするハイエンドなCDプレイヤーを買わなくてもいいということになれば、今後はCDというメディアは衰退していくのではないでしょうか。
ためしにNAXOSのライブラリーにあった札響のCD各種を手持ちのCDと聴き比べてみましたが、私の環境ではiPhoneの勝ちに聴こえました。
尤も、CDの再生機やその他の条件に大きく左右されるでしょうから、あくまで私の環境での話です。

iPhoneのDockコネクターから出力するためのツールを探すのに少し手間取りました。
私が使っているのは下のやつです。ご参考までに。
この方法はお勧めです。iPhoneやiPod持っている方は是非試してみてください!

それではみなさんごきげんよう。


これと↑、これ↓ を合わせる。(カスタマー・レビューの評価が低いですが、これにいきなりヘッドフォンを差したりなど、使い方を勘違いしている人が評価を下げているようです)

  
Posted by arakihitoshi at 20:24Comments(3)TrackBack(0)
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