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9月の定期はマーラーの3番交響曲です。
マーラーの交響曲は全部やったことがあると思っていたのですが、よく考えてみると3番は初めてでした。
3番は長くて副題も付いてないから地味で冗長な存在のように扱われているけど、実はとても素晴らしい曲です。
昔、アバト/ベルリン・フィルがサントリーでこの曲やった時、わざわざ東京まで聴きにいきました。本当によい曲です。
特に弦楽合奏で始まる第6楽章は精神性がとても高くて、長い3番交響曲はこの楽章のためにあると言ってもいいくらいです。
でも、長いといっても1楽章と6楽章だけが長いのであって、あとの楽章は普通です。
そう思って聴くとたいして長くありません。
それぞれの楽章に当初マーラーが付けていた副題が個別についていて、それを知っておくと理解の助けになります。
詳しくはWikなどで調べてちょ。
マーラー 交響曲第3番
おすすめの予習用のCD(もしくはレコード)には、クーベリック指揮/バイエルン放送響のものをあげておきます。
マーラー:交響曲第3番&第10番
いろいろ名演はありますが、まずは押さえておきたい演奏です。アバドたちが全集を出すまでは、マーラーの交響曲といえばクーベリックでした。
さて、今年はマーラー生誕150年でマーラー・イヤーっていうことになってます。
札響もめったに演奏されない3番と7番を定期のラインナップにあげてます。
でも来年は没後150年ってことで、またマーラー・イヤーになるのでしょうか・・? そのへんは謎です。
さて、マーラーと言えば、あの1980年代後半の熱狂的なマーラー・ブームを思い出します。
ちょうど世の中がレコードからCDに切り替わって、長大なマーラーやブルックナーの交響曲が1枚か2枚のCDに収まってしまう、という物理的な理由もありました。
バーンスタインやアバドやインバルたちが次々に全集を録音しました。
ブームの理由として確かにそれもありました。
しかし、なんといってもあの時代の空気が、マーラーの作品が持っている退廃的で厭世的な雰囲気にマッチしていたのが最大の理由でしょう。
マーラーの音楽には”世紀末”という言葉がとてもよく似合います。
1980年代後半から1990年代初めのバブル期の日本の、腐りかけた果物を貪るような刹那的でイン・モラルな世相にBGMを付けるとしたら、マーラーの交響曲はあまりにも似合っていました。
当時は日本マネーに吸引されて、サントリーホールで毎晩の様に世界の著名なオーケストラが来日公演をしていました。
演目はやはりマーラーとブルックナーが多かったです。在京オケの定期でも後期ロマン派はよく取り上げられていました。(今は編成が大きくて演奏に経費のかさむ後期ロマン派の曲は当時より少ないです)
大学生だった私もバイトで稼いだ金で演奏会に通いました。
今だったらおよそあり得ない紫色のジャケットを着て、オンナノコとサントリーホールで外来オケの演奏会を聴いて、夜でも昼のように明るい六本木のアマンド前交差点までフラフラ歩いて、食事もできるプールバーなんかに行って、ビールは”モツル”、お酒はジン、そんで、あ〜〜〜んなことやこ〜〜〜〜んなことを・・・、
というのが当時クラシックを聴くようなインテリゲンチャなヤングのお決まりのデート・コースだったと思います。(あくまで一般論として)
どーせ1999年7月に大魔王が降りてきて世界は滅びるんだからさ、せいぜい今のうちに楽しめばいいんじゃない?ヽ(´▽`)ノ
っていう終末観は、あの熱狂的な好景気を生んだ原因として、プラザ合意がどうのっていう経済学的な要素に勝るとも劣らない理由だったのではないでしょうか。
ま、それはともかく、マーラーやエゴン・シーレやオットー・ワグナーやクリムトたちが生きていた世紀末の終末観に似たものを、当時の人々は感じていたのではないかと思わせるものがありました。
そんな中でのマーラー・ブームでした。とにかくすごかった。
なにしろ、トレンディードラマにだって、ラジオの深夜番組にだってマーラーがかかっていたんですから。
で、現代2010年のマーラー・イヤー。
ノストラダムスの言ってた大魔王も来なかったし、第3次世界大戦もなかったし、危機といえば環境問題ですかね。
当然ながら紫色の左右非対称なジャケットもだれも着てません。
プールバーもディスコもありません。投資よりも貯蓄ですね。
時代が変わりましたね〜〜。
そういう現代の私たちに、マーラーの音楽はどう聴こえるのでしょうか。
”世紀末は夢のあと”のように覚めて聴こえるんでしょうか。
それとも何か新しい景色が見えるんでしょうか。
そんなアプローチでもぜひ聴いてみたいと思っています。
それではみなさん、
ぐじんぶるとだしぼじゃ! (o^-')b