2012年08月22日

今までで一番不愉快だと思った本番のひとつ(回顧録)

今日のネタは回顧録です。
ハッキリ言ってかなり下らない話なのですが、よろしければ・・(^_^)。


あれは私が札響に入団する少し前、1992年ころだったと思う。
私は東京芸術大学別科に通いながら、フリー奏者としての稼ぎで生活費と学費を賄っていた。
芸大の別科は面白いところで、週に1回のレッスンにさえ通えば、残りの授業等への出席は”任意”だった。
要するに「聴講してもしなくても勝手にしろ」ということである。
なので、私の様に既に大学を一つ終わらせてから来ているような人が多かった。

そんなわけで、勝手にしろと言うことなので「お〜し、そうか、じゃあ勝手にさせてもらおうじゃねーか、お〜?」と別にけんか腰になる必要もないのだが、レッスン以外はきっちりと出席しないで、バブルニッポンに溢れかえるお仕事を拾い集める日々を送っていたのだった。

そんな日常を送るある日、アマチュアオーケストラ時代の知り合いから電話がきた。
なんでも、新しく立ち上げたあるアマオケでリヒャルトシュトラウスをやることになったのだが、チェロが壊滅状態なので助っ人に来て欲しい、とのことだった。
本番の日はたまたま空いていたが、練習日はスケジュール的に全滅。ゲネプロ・本番だけでよければ、という条件でお引き受けすることになった。
当時私は、駆け出しのプロ奏者だったので、とにかくオケの仕事はプロオケ優先。
正直言ってアマチュア出身という負い目もあったし、プロとアマはまるで別の生き物だということもわかってきた頃だった。
なので、忙しいなか縁もないアマオケに”ゲネ・本”でトラに行くのは気が進まなかったが、お世話になった方からのお話だったので受けた、という経緯だった。
(今はアマオケのトラは喜んで行きますので。念のため・・(^_^) )

さて、本番は休日だったので午前中からゲネプロだった。夏のよく晴れた日だった。
前夜は当時常トラだった新日フィルのブルックナー定期でとても疲れていたのを覚えている。
地下鉄を降りて地上に出ると青い空がとても眩しく、目の奥が一瞬ズキリと痛んだ。
あるいは眩しく感じたのは冷房の効き過ぎた地下鉄の車内でチェロケースにもたれかかってずっと眠っていたせいかもしれない。
ホールまでの通りには商店が並んでいたが休日の午前中なので人は少なかった。
まだ開店前の喫茶店の店先をウェイトレスがほうきで掃いていた。

私はチェロと衣装を持って初めて行くホールを探した。
演奏会ではあまり使われない多目的ホールだが、大きな建物なのですぐに見つかった。
ゲネプロの始まる1時間以上前に着いた。リヒャルト・シュトラウスの難しい曲なので早めに行って少し譜面を見ておきたかったのだ。
目的の階でエレベーターを降りるとまだ会場は薄暗かった。
向こうでなにやら男の怒鳴り声が聞こえる。
「あんたがたね!、危ないんですよ! こういうことをね、やってもらってはね!」
30代の男が畏まる数名に向かって一方的に怒鳴り散らしていた。
「常識でしょ! いきなりね、ライトとかが落ちてきたりね、あ〜〜〜、もう! 本当に、なにやってんですか!」
男の怒りは収まらないらしく、ヒステリックな声が会場に響き渡っていた。
舞台はまだひな壇も椅子も組まれておらず、楽器を出して練習できる状態ではなかった。

どうやらオーケストラの団員たちが、ホールの従業員が到着する前に勝手に機械パネルを操作して、ライトやひな壇を動かそうとしたらしい。
経緯はわからないが、どうもそういうことらしいのだ。
やっと男の怒鳴り声が止んで、舞台の設営が始まった。
着いて早々のこの情景に私は唖然としたが、これからさらに驚きの出来事が始まる。

オーケストラが音を出せる状態にステージが出来上がったのは、リハーサルが始まる10分くらい前だった。
私はチェロの後ろの方の席に座って譜面代に送られてきた楽譜を置いた。
普通はエキストラで行くと係の人とチェロのトップの人が挨拶に来て、そこそこに恭しく席に案内してくれるものだが、そういうことはなかった。話が通っているのか少し不安になったりした。
チェロは6人で弾くらしい。
暫くすると隣の席に白髪頭の50代くらいのチェロを持ったおじさんが来て座った。
私はおじさんが団員なのか私と同じエキストラなのか判断できないまま、「あの、荒木と言います。おはようございます」と挨拶した。
おじさんは、「あ、どうも。 団長さんに挨拶に行った?」とニコリともせずに訊いてきた。
「え? 団長さんに挨拶に行くんですか?」
「そうでしょ。だってあなたお金を貰うわけだから」
「え?」 

私は事情が飲み込めずに少し狼狽した。
こんなことを言われたのは始めてだ。普通は出演料というものはプロ・アマ問わず演奏会終了後に係の人が「ありがとうございました」と言って持ってくるものなのだ。
ひょっとして新入団員と間違われてる?
いや、でもお金を貰うってことはエキストラってわかってるんだよな?
な?なんだ??

「あの? 私が団長さんに挨拶に行くんですか?」
「そりゃそうでしょ。団長さんあそこにいるから」
とおじさんは管楽器の方を振り返った。

「金いらねーから、俺帰るわ」
とキレたいところだったが、駆け出しのフリー奏者として、仕事先では絶対にトラブらない、と決めていたので何とか耐えた。
「はあ・・」と生半可な返事でやりすごして”団長さん”に挨拶には行かなかった。

それにしも、このオーケストラ、椅子と椅子の間隔がものすごく狭い。
弓を動かしたらぶつかってしまうだろう。
この椅子の間隔が狭い現象はアマオケでは非常にありがちなのだが、ここでもやはりそうだった。
しかしいくらなんでも狭すぎるしこのままでは弾けないので、周囲の人に「すいません、もう少し広がりませんか?」と言ったのだが、前後の人が申し訳程度に椅子を1〜2cm動かすだけで全く状況は改善されなかった。
トップの人なら少しはわかってくれるかもしれないと思い、トップの席に座っている気の弱そうな青年に「あの・・、全体的に少し広がりませんか?」と言ってみた。
続けて「団長さんに挨拶に行くように言われたんですが、どういうことなんでしょうか?」と訊いてみた。
普通はエキストラにこういうことを言われたら何とかするものだし、まして若いとはいえ私はプロとして請われて行っているのだ。しかし青年は困ったように苦笑いするだけだった。

そうこうしているうちにゲネプロが始まった。
演奏の前に、”団長さん”が挨拶に立った。団長は30代前半のわりと長身の神経質そうな男だった。
白っぽいスーツにシルクのピッタリとしたベストを着ていた。
その時の演奏会がそのオーケストラの2回目だかの演奏会で、欧州の某国との親善がこのオーケストラの目的だ、とその団長は語った。
で、某国から今日の演奏会のために指揮者を招いた、と演説は続いた。
要約すると『アマチュアでこんなに素晴らしいことをやっているのはここだけだ。俺のお陰だ。ありがたく思え』ということだった(笑)。
紹介された指揮者は小柄な西洋人の老人で、促されて某国語で無愛想に挨拶をした。
団長はいささか得意げに通訳していた。
そのセレモニーは何分くらいか覚えていないが、とても長く感じた。

やっとやっとリハーサルが始まった。
外人おじいさん指揮者の指揮棒が降りて音が出た。
「こ! これは・・!」
チェロが壊滅というより、オーケストラが壊滅。
まあ、壊滅だろうが何だろうが、アマチュアなんだから本人達がそれで満足ならいいんだけど(心あるアマチュアならそういうのは嫌だと思うけど)、いくらなんでも酷すぎる。
リヒャルト・シュトラウスだから弾けないとかそういうレベルではなくて、多分音階も弾けない人がかなり多数いる状態だった。

失礼だし、狭いし、異次元だし・・、
もういい。とにかく早く終わってくれ。
という心持ちでこの仕事を引き受けたことを心から後悔しながら演奏会が終わるのをひたすら願った。

そして、あり得ないほど酷い本番が終わった。
もうとにかく早く着替えて帰りたい。
楽屋で着替え終わって、トップの人に「お疲れ様でした」と挨拶して、隣の失礼なおじさんにも「あの、帰りますので」と挨拶した。
隣のおじさんは無言で会釈するだけなので、仕方なく「あの、出演料いただけますか?」と切り出した。
こういうやりとりは普通あり得ないのだが・・。
おじさんは「ちょっと待って」 と私をその場に待たせてどこかに行った。
しばらくして戻ってくると「団長さんから貰ってください」と言う。
やはり”団長さん”か・・・。 一体なんなんだ・・。

「すいません、団長さんのところに案内して貰えますか?」 
私もこの段階ではかなり頭に来ていたので言い方もきつくなっていたと思う。
おじさんは「こっち」と言って私を団長のいる楽屋に案内した。
団長もオーケストラの一員として演奏に出ていたので、大部屋楽屋で着替えていた。
おじさんが団長に近寄って行って「○○さん、ギャラ欲しいって・・・」 とボソボソ耳打ちした。
すると着替え中のランニング・シャツ姿の団長は神経質そうな目で私を一瞥すると、A4茶袋からギャラの入っていると思われる封筒を一枚だして、
あろうことか、こちらに放り投げた!

その瞬間血の気が引いたのを覚えている。
ギャラを放り投げられたのは後にも先にもあの時だけだ。
隣のおじさんがさすがに異変を感じてギャラを拾って「ありがとうございました」と小声で呟いて私に手渡した。

いったいあの出来事はなんだったんだろうか・・・・?
ペイペイのプロと見るとやたらと対抗意識を燃やして敵視してくるハイ・アマチュアがいるけどその手合い?
納得できないまま月日は流れ、もうあの出来事も記憶の彼方に消えてしまっていたが、
つい最近、ネット・サーフィン(死語)中に、あの時の”団長”のブログを発見した!。
間違いない。あいつだ。
顔写真も出ていた。20年以上経つが、イライラした神経質そうな目つきはあの時のままだ。

ブログによると今もクラシック音楽業界の周辺にいるようだ。その人の経歴もわかった。海外経験がこの人の自信の源らしい。それであのオーケストラだったのか・・。
ブログによると、どうやら行く先々でトラブルを引き起こしているらしい。
長年にわたるトラブルの相手を全て実名で攻撃している(いいのか?)。


懐かしいというかなんというか・・、あの団長さんにだけは今後も関わりたくないと思った。
あの時、キレて食ってかかっていなくて本当に良かった。危なく彼の記憶に残るところだった・・。

偶然のきっかけで、そんな若い頃の記憶が蘇った暑い夏の夜でした。

それではみなさん、ごきげんよう。
  

Posted by arakihitoshi at 02:50Comments(2)TrackBack(0)
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