ビータ中の8日間は本州の暑さと移動の過酷さでホームシックになったが、
一昨日の夜から札幌に帰った私を迎えたものは、
圧倒的な家族の応酬であった。
カミサンには尻に敷かれ、幼い娘たちには腹に乗られ、
まあ、これはいつもの事。慣れている。
今回はその他に、1週間程前からわが家に滞在していたカミサンの両親、
そして、東京や徳島から来て実家に滞在していた母方の叔母たち。
配偶者の親というのは何かと気を使うものだ。
でもまあ、これはいい。幸いカミサンの両親はいたって常識人。
その上旅行好きで、わが家に滞在といっても殆ど家にはおらず、
道内を小旅行して周っている。
嫁姑、婿舅、こうした関係はぎこちなさを乗り越えて強引に家族の
絆を深めて行くものなのだろう。
今回強烈だったのは叔母たちである。
私の母は六人姉妹。母はその3番めである。
祖父と祖母が亡くなってからも、本州の姉妹の誰かが来ると集まる。
そうした機会が年に1〜2回はある。
昨日は六人全員が集まった。六人全員というのは久しぶり。
そしてその配偶者若干名、第2世代のわたしたち若干名、
第3世代の子供たち若干名で、
近所の寿司屋をほぼ借りきった。
私の母の姉妹であるから、50代〜60代の女性たちなわけであるが、
その会話のテンポの速さ、そして何より音量は凄まじい。
どのくらい凄まじいかというと、それはもう
どっどどどどーど
どどーどどど
くらい凄まじい。
目まぐるしく移り変わり、そして結論をみないまま消えていく話題の数々、
これはもう会話というものではなく、
6人がかかりで、それはそれは凄い音圧、圧倒的なデシベルである。
「そうそう、こんな感じだった・・」
と、祖父や祖母が存命だった頃の母の実家の光景を懐かしく思いだしたのであった。
田舎で町医者を営む祖父が、妻とこの6人の娘たちに囲まれ寡黙だったのは、
男で初孫だった私の誕生を誰よりも喜んでくれたという話しは、
今ごろになってよ〜〜く分かりますよ。おじいちゃん!。
そして、女だけの姉妹は羨ましいと思った。
男兄弟は大人になると、兄弟だけで集まり・・、なんて機会も今ひとつ不自然だが、
こういった点、女姉妹はお構い無し。
いくつになっても、集まればすぐに娘時代に戻れるようだ。
思い出からふと我に返ると、いつの間にか私が話題の中心に。
「均が3才の頃○○さんの家の立派なソファーでおしっこをもらしてね〜。」
「均、最近髪の毛薄くなってない? ちゃんとケアしてる?」
祖父の思い出に一時浸る間もなく、
時空を越えた話題が私の頭上を、圧倒的な音量で駆け抜けていたのだった。
そしてまた私も、ネタが乾きかけた寿司を
寡黙に口に放り込むのであった・・・・。