2005年10月20日

メシ伴の作法

映画「タイタニック」にこんなシーンがあった。

沈没寸前のタイタニックの甲板にて
右往左往する乗客たち
乗組員に甲板での演奏を促される楽士3人
楽士3(チェロ)「ここで弾くのか?」
楽士2(ヴィオラ)「誰も聴いてないぞ」
楽士1(ヴァイオリン)「いいさ、どうせいつも誰も聴いてない。
それよりも、君たちと演奏できて幸せだった。幸運にも助かったら
また一緒に演奏しよう」

この楽士たちは普段は客船の食堂でBGMや舞踏の伴奏などを演奏していた。
だから「どうせいつも誰も聴いてない」という台詞があったのだ。
私には何気ない台詞に思えたのだが、映画館でこの映画を見た時、
驚いた事にこの台詞の箇所で映画館の観客から笑いが起った。

最初、その笑いの意味が分からなかった。いや、今でもはっきりとは分からない。
楽士の卑屈な台詞が失笑を買ったのか、
誰も聴いてないのに演奏するという状況に可笑しみを感じたのか、
どちらにせよ、演奏を生業としている私の感覚と一般観客のそれとの間には、
大きな溝があったようだ。

そして最近こんな事があった。

ある日の夕方、私の自宅に電話があった。
電話の主「もしもし、荒木さんのお宅ですか?、わたくし○○市役所の某と
申しますが、演奏の依頼でお電話しました」

こうした依頼電話やメールの場合、演奏時間、場所、観客の対象などを
お聞きして、演奏会の内容を決める。そしてスケジュールや出演料を調整し、
折り合いが付いた後に正式に演奏会をお引き受けする手順となる。
確認する内容には、その演奏はBGMか否か、というものも含まれる。
これは演奏会を引き受ける上で実は重要な要素だ。

例えばホテルの宴会場でパーティーの歓談中、
会場はざわめき、食器を運ぶ音や高笑いなどが聞える中で、
ベートーヴェンのチェロソナタを熱演したところで意味はないし、
場違いもはなはだしい。
それに、そんな状況でソナタ熱演は精神的にも不可能だ。
パーティーのBGMは豪華さを演出するための言わば飾り物で、
そういう場での演奏は演奏家にとってある意味屈辱的な面もあり、
はっきり言って”金のため”あるいは”顧客サービス”なのである。
BGMの仕事は一切受けないという人もいるが、私はこれも演奏家の
仕事の一つと割り切って条件さえ合えば受ける事にしている。
その代わり、ギャラはしっかりいただく。
当たり障りのないやり慣れたポピュラーな名曲を流し、
プロとして出演料分の仕事はしっかりとやらせていただくが、それ以上はしない。
BGMの仕事が、飯の伴奏、”メシ伴”と呼ばれ、
業界で一段低く扱われる由縁である。

逆に、生の演奏を是非聴きたいとか、
子供たちなどに本物の演奏に触れる機会を与えたいとか、
本格的な室内楽の演奏会を催したいとか、
取り分け私の演奏やサロンコンサートなどをご所望の向きには、
例え出演料が安くてもお引き受けして目一杯の仕事をしたいものだ。
それがプロフェッショナルの理と理解している。
もしゴルゴ13に同じことを訊いても、
もしブラック・ジャックに同じことを訊いても、
彼らはそう答えるのではないだろうか・・。

ある日の電話に話しは戻るが、
”メシ伴”ではなく”演奏会”とのお話しでお引き受けした仕事だったが、
演奏会が近くなり、更に具体的な打合わせの段階で、
立食パーティーでの演奏だということが分かった。
こういうのが一番困るのだ。
私はピアニストには既に”演奏会”との事で伴奏を依頼し、
プログラムも”演奏会”に相応しいものを準備していた。
何より演奏会とメシ伴ではこちらの心構えが違うのだ。
まあ当日行ってみたらBGMだった、という事もあるから、
それよりはマシだったが・・・・。

こんな時私は迷うのだ。
「ゴルァ!!(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し」と怒って”偉い演奏家様”を
演出した方が、かえってありがたがられてしまう場合も世間ではあるようだが、
私には性格的にも到底そんな真似は出来ないし、
せいぜい嫌味を言うくらいが関の山で、それすら次の仕事を失う覚悟が
必要なのだ。

もしも私が、
『3才の頃より父の手ほどきを受け、
5才でMHKジュニアコンクールで優勝。
14才で毎目新聞主催目本音楽コンクールを最年少で優勝。
帝都高速度交通営団芸術大学院を首席で卒業後渡欧。
おフランス国立キボンヌ音楽大学を首席で卒業。
同大学にてマジレススマソヴィッチに師事。
バリ、ベルリソなど欧州主要都市でリサイタルを開催し各紙で絶賛を浴びる。
帰国後、MHK交響楽団、売読日本交響楽団などと共演。
現在、札幌交響楽団スーパーエグゼクティブ金銀パール首席チェロ奏者。』
という経歴の持ち主だったら、あるいは(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し
も可能なのだろうか・・。いや、そもそもメシ伴は頼まれないのか?

この辺が、定価の無い、いわば”時価”の仕事の難しいところだ。

Posted by arakihitoshi at 01:27│Comments(2)││音楽 
この記事へのコメント
なにげなく、出張先の大阪で読んでいて。
私も最近、出世したのか(?)、こういう「メシ伴」付の会食に出られるようになりました(笑)。
そんなときは、一生懸命、聴きますね。キチンと曲の終わりに拍手して。
そうすると、周りの人たちも、結構、キチンと聴くようになります。拍手もします。
さらに、さらに。最初はあきらめ気味の表情だった演奏者も次第に、熱が入ってきて、意外な大拍手で終わることも。
この過程を楽しむという変な楽しみを覚えてしまいました。

Posted by エレク at 2005年10月27日 22:40
あ!(`O´) 珍しくレスがついてる!!

さて、そうですね。そういう場合もたまにあります。
拍手の輪が広がるとやはり嬉しいです。けっこう感謝したり張り切っちゃったりすることもあります。
でも拍手の輪があまりにも小さいと「いっそ無視してくれた方が割り切れて
いいんだよねー」と言うこともあります(笑)
Posted by あらき at 2005年10月29日 02:05

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