今年度のkitaraファーストコンサートが終わった。
札幌市内の全小学校6年生をkitaraに招待して札響を聴いてもらおうという、
昨年から始まった企画である。
全部で12回のコンサートを6回つづに分けて、
3日間連続で1日2ステージ。11月と12月にそれぞれ行った。
11月は正指揮者の高関さん。
今月は音楽監督の尾高さんが指揮とお話しをした。
今までほとんどの日本のオーケストラがやっていた音楽教室とは
全く違う発想のコンサートである。
今までの音楽教室は、学校の体育館などで、
指揮者も音楽監督などではなく、
若い勉強中の指揮者だったりとかするわけだが、
このファーストコンサートは、
kitaraホールで定期演奏会に劣らないクォリティーの演奏会を聴かせるわけだ。
こういう事を言うと必ず「演奏会に上下を付けるのか?」と
屁理屈を言う人がいるのだが、
定期演奏会と小学校の体育館で弾くトトロが全く同じでは困るのだ。
あたりまえの話しである。
そのあたりまえがこのファーストコンサートでは
かなりの部分であたりまえじゃないところが凄いのだ。
3日間、午前10時という楽隊にとっては早朝から始まる演奏会が続き、
また師走の多忙さで、2回目の演奏会が終わった後も、
室内の演奏会なども入っていて、もはや「体力の限界」である。
しかしながら、励まされるのが、
昨今の小学校6年生の演奏会マナーの良さである。
演奏に集中して、不快な雑音も少なく、
楽器紹介で面白い芸を披露した奏者には笑いと拍手。
強制されている訳でもなくリラックスして聴いているように見える。
無料のコンサートで会場で弁当を拡げてしまう大人よりも
むしろ都会的でスマートに見える。
よほど教育されて来ているのだろうか。そうも見えないのだが。
謎だ・・。
小学6年生たちが座席番号の書いたチケットを手に、
フロア係りに案内され座席に着き開演を待つ・・。
そんなちょっとドキドキ体験が功を奏しているのかもしれない。
話しは変わるが、
昨日は北大で三浦洋さんの授業で札響ワークショップを披露してきた。
大学生向けに新たにプログラムを組まずに、
いつも小学生相手にやっているワークショップを敢えて大学生相手に
やってみた。
こちらとしては、彼らの反応を見たかったのと、最後に意見を聞きたい
というのがあった。
授業の最初にも説明したのだが、
ワークショップという言葉の定義は極めて曖昧。
大辞林には
ワークショップ(新語)
(1)仕事場。作業場。
(2)研究集会。講習会。
(3)舞台芸術などで、組織の枠を超えた参加者の共同による実験的な舞台づくりをいう。
とある・・。
そう、”新語”なのである。
昨今持てはやされているワークショップという言葉も、
実は私も含め皆分かった振りをして使っているが定義すら定まっていない
得体の知れないものなのだ。
日本中でその言葉に内容を当て込んでいる。そんな状態なのである。
札響のワークショップは初めて丸3年、
やっとスタンダードが見えはじめて来た段階だと思う。
「輪になって手を叩いたり、踊ったり、こんな体験は小学生以来で楽しめた」
というある学生の感想が印象的だった。
さて、ファーストコンサートといい、ワークショップといい、
こうした教育プログラムが実を結び、
今の小学生が大人になって定期会員になってくれる頃には、
今の楽員たちは既に定年退職を迎えているだろう。
芸術や文化の活動がひとつの果実を結ぶのは実に気の長い話しである。
2週間前、道が札響の補助金を2年で4000万円削減との報に接したが、
桃栗三年柿八年、文化200年、削減2年。である。
潰すのは簡単だけど育てるのは本当に大変。
今撒いた種が次の世代に実を結ぶまで大切に見守れるよう、
関係各位のご理解を賜りたいところだ。