2006年04月16日

脳が流行ってる

脳が流行っている。
東北大教授 川島隆太さんはテレビで毎日のように前頭前野について語っているし、
「脳にいい大人の塗り絵」や「大人の脳を鍛える簡単なドリル」などが本屋に溢れている。
さすがにドリルをやるつもりは無いが、わたしも脳には興味がある。
すぐキレる人にならないために、”ガマン”を司る前頭前野を鍛える事にも関心がある。

以前書いた事があるが、トークコンサートに出演して感じることに、
楽器を演奏する脳と、トークをする脳は明らかに違うと思う、ということがある。
演奏に集中しすぎると曲間のトークがまとまらず、
トークで興に乗りすぎると演奏が上手くいかない。
川島隆太さんのテレビを何気なく見ていたら、
音楽を処理するのは聴覚野のある側頭葉、言葉を処理するのは前頭葉ということだ。
やはり使う脳が違っていたのだ。

側頭葉と言えばバッハの側頭葉は異常に発達しており、
外から見ても頭の右側が大きく張り出していたそうだ。
頭蓋骨をも変形させる聴覚野の持ち主とはいかなるものかと恐れ入るが、
私事で言えば、あと1週間ほどに迫ったバッハの演奏会のための練習には苦戦している。
バッハの演奏というのは実に難しいというのは通説だ。
およそ世界中の演奏家に恐れられていると思う。
かのロストロポーヴィッチでさえ恐れ入るあまりついに晩年までバッハの録音を行わなかったほどだ。

何がそんなに難しいのか、その答えが見つかれば苦労はないのだが、
まずバッハの音楽は非常に単純。ほとんどが基本的な和音と音階だけで出来ている。
6曲ある無伴奏チェロ組曲も、今はない5弦チェロのために書かれた6番を除けば、
初見でも弾けるし、チェロを初めて1〜2年の人でも弾くだけなら弾けると思う。
それが、それがである、弾けば弾くほど訳がわからなくなり、
練習するほど下手になっていく気がするという恐ろしい現象に陥る曲たちなのだ。
ロマン派以降の例えばブラームスやラフマニノフのソナタは技術的にはバッハよりも
ずっと難しいが、演奏する身にとってはずっと気が楽・・という気がする。

さて、演奏会に向けて練習する過程はだいたいこんな感じである。
”萍鵡愼
譜読み(楽譜を読んで取合えず弾けるようにする)
2針腓CDを聴いてみる(わたしの場合、CDと共演もしてみる)
い気蕕すみ(フレーズや和声のことなども考えてさらい込む)
ハ寝士習(DATで自分の演奏を録音して打ちのめされながらさらに練習)

大抵の作曲家はイ力寝士習で録音を聴きながら
「ここの音程マズイ、この音はも少し長く・・」などと譜面にチェックを入れながら、
いわゆるダメ出しをして練習を続ければそれなりに形になっていくのだが、
バッハの場合は「ゲゲゲ・・・(`口´;)げはっ!。全然ダメじゃん!」
とダメ出しどころか良いところが見つからずに△良萋匹澆北瓩辰討靴泙Α
これは一つには、バッハの時代の演奏スタイルと現代の私たちが習得している
演奏スタイルが全く違う事も原因と思われる。
バッハの時代のバロック奏法では、全ての音は短く切って演奏される。
現代の私たちはレガート奏法という音を長く保つ奏法を身につけている。
バッハをレガート奏法で演奏すると、どうしても様にならない箇所が出てくるのだ。

ではバロック奏法で弾けば良さそうなものだが、そうなってくると現代のスチール弦
ではなくガット弦を張り、弓もバロック弓を使い・・・と大工事になる。
アンナ・ビルスマのようなバロックチェロの名手もいるが、さすがにそれは無理なので
普通は”バロック風奏法”という事になる。
この”バロック風奏法”で行くのか、レガート奏法で押し通すのか、折衷案を編み出すのか、
というところで大揺れに揺れるわけだ。

更に言うなら、バッハの無伴奏チェロ組曲はバッハの自筆譜が残っておらず、
スラーや強弱記号など、音符以外の記号が一切書き込まれていないバッハの奥さんの
マグダレーナ・バッハの写譜があるのみなのだ。
音符だけ、つまりフレーズも音の強さも何も分からない不完全な楽譜なのである。
およそ考えられないバッハ妻の失態のお蔭で、後世のわれわれはえらい迷惑をしている。
大バッハは本当はきっとこう書いたであろう、こうに違いないと、
歴史上多くの演奏家や学者があーでもないこーでもないと次々に校訂譜を出し、
今手元にあるベーレンライター版の能書きにも「少なくとも18人が校訂版を出した」
と書いてある。
ベーレンライター版が出た後にも更に沢山の校訂版が出てるだろうから、
バッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜は現時点で30種類以上あると思う。
現代の音楽界の潮流は古典回帰主義なので、ほとんどのチェロ奏者は
ベーレンライター社の”原典版”を使っているが、この曲に関しては以上の理由で、
ベーレンライターとて”原典版”ではない。

そういう訳で、
この曲は、音符だけ書かれた譜面を渡され、「あとはよろしく」と放り出された感がある。
”とにかく譜面に忠実に”という技が使えないのだ。
だからといって、好き勝手に思いつきで作っていくと歪で聴けた物ではなくなる。
とどのつまりは奇を衒うことなくゲルマン民族の伝統に基づいた解釈と慣習で、
基本に忠実に演奏するしかないのだと思う。
ハッタリが一切通じない音楽的な基礎力をさらけ出す恐ろしい世界なのだ。
この辺の話しは意を尽くせないがこの位にしておこう・・。

脳の話しから随分と脱線してしまったが、
4月23日の、札響のチェロ奏者らによる「6人のバッハ」の演奏会は、
かような演奏者の苦悩がある事に思いを巡らして聴いていただければ
脳の発達にもいいかもしれない。
少なくとも3時間に及ぶバッハの連続演奏会を黙って聴くことは、
”ガマン”を司る前頭前野を鍛えるには打ってつけである。

Posted by arakihitoshi at 00:08│Comments(3)││音楽 | 雑感
この記事へのコメント
バッハに向かうときの試練・・よーくわかります・・
しかも、六人のチェロ奏者で無伴奏を一曲ずつ!!
過酷な企画ですね・・・
あと一週間、耐えてください。
Posted by 熊母 at 2006年04月16日 08:42
そうですね。たしかに”過酷”な企画かも・・
数人で分担する演奏会は、引き受ける時は気楽でも
「比較されるんじゃないか」とか余計なことを色々考えて
あとでだんだん重荷になってきますよね(笑
Posted by あらき at 2006年04月17日 10:45
ええ、ええ。よーくわかります・・・しかもバッハ(冷汗)!
でも、聴くほうは「それぞれの演奏家によって音色や音楽に個性があって、とても興味深かった」などと喜んでくれるようです。
前向きにいきましょう!

私個人的にはその日は朝からショパン学生コンクールで弟子達の演奏に脳の聴覚野をフル稼働させて聴き入る予定なので、夜のバッハ無伴奏3時間に耐えられそうもありませんが、6人のチェロ奏者と健全な脳の聴衆たちのバッハ無伴奏チェロ組曲の夕べ、ご盛会をお祈りしております。
Posted by 熊母 at 2006年04月18日 00:11

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