2006年05月23日

ハラショー! トマソン交響曲

今月の定期はレニングラード生れの旧ソビエト連邦の巨匠の一人、
ドミトリー・キタエンコ氏の指揮で、
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の
交響曲第7番「レニングラード」が演奏された。

ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の
中期の傑作として知られる「レニングラード」は、ご存じの方も多いと思うが、
ナチス・ドイツのレニングラード包囲戦のソビエト勝利を描いた曲である。

ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の曲を語る時、
”こうした歴史的背景をセットで考えるのそろそろ止めませんか?”という人たちが
いるのは知っているし、ヴォルコフの「ショスタコーヴィッチの証言」を
めぐる論争などを見ても、歴史的真実が本当のところどうだったのかを検証するのも難しい。

しかしながら、偉大なる指導者同志ヨシフ・スターリン将軍率いる
ソビエト共産党の機関紙「プラウダ」紙上を始めとする当局の圧力が、
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志への
特に交響曲に少なからず影響を与えたであろうことは事実として認めていいと思う。

さて、そうした考え方で行くと、
交響曲第7番「レニングラード」は芸術的な価値はあるものの、共産主義の勝利、
大曲志向の当局の圧力によりその芸術的価値を極限まで水増しして
同じテーマを執拗に繰り返し無理やり大曲に仕上げた、”音楽的トマソン(*)”であると私は思っていた。
例えば同じショスタコ同志の第9番交響曲や弦楽四重奏曲の様な、
隙の無い固太りした名曲とは対極にあるものだと思っていたのである。

今回のキタエンコ氏の第7番交響曲の演奏は、
そうした”トマソン交響曲”という私の印象を否定するに足る演奏会であった。
キタエンコ氏は白熊の様な風貌からは想像が付かない神経質な音楽作り。
例えば弦楽器の後ろの方の人がピチカートを一発飛び出しただけで、
演奏を中断し、30秒間ほど飛び出した奏者を睨みつける。これには参った(笑
はたまた弦楽器の人がピチカートで弓を置きわすれた。
すると目ざとく見つけ、「キミは何で弓を置かない? 皆置いているぞ」
とこれまた睨みつけ攻撃であった・・・(合掌
「あのな〜〜、たまたまやんけ、明日には気がついて置いとるがな」
とキタエンコ相手にはさすがに誰も言えず、肩をすくめる。
そいえば、近くて遠い某国に”律動体操”なるけったいな代物があったな、と思い出す。

ただでさえ、80分の長大交響曲で変拍子の連続、しかもやり慣れない曲だ。
そこに巨匠の睨みつけ攻撃連発なので、神経衰弱のような長い5日間であった(笑。
スヴェトラーノフ&ソビエト国立響やムラヴィンスキー&レニングラード・フィル
に代表される、あのどこかロボットじみた一糸乱れぬUSSRオケ特有の
強制収容所チックな演奏は、こうした練習の賜物だったのだろうか・・。
そう思うと経験してみるのも悪くはなかった。
もう充分分かったのでしばらくはご勘弁願いたいが・・(汗。

以前にもブログやエッセーに何度か書いたが、
指揮者には概ね2種類の人たちがいる。
一つはあくまで楽員と距離を置きオーケストラを威圧するタイプ。
もう一つは、楽員と親しく交わり仲間としてオケをまとめあげるタイプ。
ほとんどの指揮者はその間を時には迷いながら揺れ動いているように見えるが、
今日のキタエンコ氏は迷いなく前者。初日から巨匠オーラを120%炸裂させていた。
ただし、オケと険悪にならないギリギリのラインの見極めは、
さすがソビエト社会を生き抜いた人・・、と思わせるものがあった。

ソロのある管楽器奏者たちはさぞ過度の緊張を強いられたと思う。
弦楽器も恐怖に引きつりながら変拍子のピチカートを弾いていた。
それこそ強制収容所で弾いているような気分であったが、
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の交響曲の真骨頂、
曲の最後の人工的な盛り上がりには否応なく説得力と凄味が出たと思う。
2日間ともお客さんが大盛り上がりで喜んでくれた。
この長大さも構成上の必要に取り込まれていたのか。
ドミトリー・ドミトリエヴィッチ・ショスタコーヴィッチ同志の圧勝である。

イデオロギーが全てに優先する異常な社会、そこで生れた芸術音楽、
歴史的背景ごと楽しまずして何とする・・、と強く思った定期演奏会であった。


*【トマソン】万里の長城などの様に、使いようがなくて無用になっているけれども、なにかたたずまいが変な物。超芸術。

Posted by arakihitoshi at 00:15│Comments(0)││音楽 

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