95年にTV放送された新世紀エヴァンゲイオンを先週やっと見た。
小学校6年生にSFアニメのファースト・インパクト「宇宙戦艦ヤマト」に接し、
中学2年〜3年生の時にセカンド・インパクト「起動戦士ガンダム」に接した。
ヤマトもガンダムもSFアニメに新たな潮流を拓いた事で知られているが、
サード・インパクトたる「新世紀エヴァンゲリオン」が放送されたのは’95年。
私は既に札響の団員だったし当然ながら社会人で三十路の年だった。
30才といえば「俺はもう大人だし、仕事で忙しいからアニメなんか見ないの」
と恥ずかしげもなく言ってしまう年ごろである。
今から思えば若かったな・・。ふっ。
そんな訳で、エヴァゲリ旋風が吹き荒れていた頃、リアルタイムで接する機会を逸した。
ずっと気になっていたのだが、たまたま降り番で休みが重なり、
TV放映全26話と映画2本、コミック9巻を4日間でまとめて見た。
おかげで頭の中は人類補完計画で一杯である。
ヲタクの端くれとしてエヴァゲリを見ていない事にずっと劣等感を感じていたが、
やっと克服できた。
エヴァゲリは言うまでもなく、TV版は未完で打ち切りとなり、
意味不明な最終回で誤魔化し、その後作成された映画もファンが期待する”結末”
とはほど遠いものであった。
TV版の終盤は煮詰まった状態で製作した現場のスタッフの様子がよく分かるし、
エヴァだの使徒だのドグマだの、思わせぶりな宗教や西洋哲学の用語の数々、
何かと言えばいじけ込む主人公、碇シンジの心理描写なども、
当時のオウム真理教や終末思想ブームの空気感の中で接したらリアルだったのだろう。
今見ると少しうっとーしい。
終末思想と言えば、
80年、90年代のSFアニメやマンガは終末戦争後の地球が舞台の物に席捲されていた。
未来少年コナン、アキラ、風の谷のナウシカ等に代表されるだろう。
一方で「うる星やつら」のような日常を描いたものもあった。
「うる星」の中の世界では、メガネは永久に秀才、面堂は永久に大金持ち、
諸星あたるは永久に女のコに電話番号を訊き、ラムは永久にあたるを追いかける。
サザエさんやドラえもんでも描かれている、そんな”終わりのない日常”が、
ひょっとしてもうすぐ終わるんじゃないか?
誰かがリセットボタンを押して、退屈な日常から開放してくれるんじゃないか?
90年代の若者はそんな現実感に乏しい漠然とした希望ともつかぬ興味を持っていた気がする。
カルト宗教にハマった連中や当時のヲタク連中は、
終末戦争なのか何なのか、とにかくハルマゲドンみたいなモノが起った後は、
俺達が主役を取る世の中が来るかもしれない、と思っていたように思う。
バブル直後で世紀末で・・、当時はそんな終末感漂う時代だったのを
エヴァンゲリオンを見ながら思い出した。
そういえば、最近エヴァンゲリオンが少し流行っている。
TV放送10周年でYahooで動画配信されたり、パチンコになったりが原因らしい。
偶然だったがソースが入手しやすく大変助かった。
ちなみに、主人公の碇シンジはチェロを弾く。今まで知らなかった。
バッハの無伴奏や弦楽四重奏でパッヘルベルのカノンを演奏するシーンがある。
劇中もクラシックの曲が印象的に使われている箇所もあり、何かで使えそうだ。