最近の小学校というのは、こうも親の手を煩わせるのか。
プライベートなネタで恐縮だが、今回は私の小学1年生の娘の話である。
娘が小学校に上がってから、家庭内で学校関係の雑用がやたらと多くなった。
給食用のエプロンと三角頭巾の洗濯、
ハンカチ、塵紙、ナプキンを持参させること、
毎日の宿題、
まあ、こういう事は昔からあるからいい。
一番閉口するのが、図画工作などに使う素材を持たせる事だ。
曰く、3日後までにマヨネーズの空き容器を持ってこい。
曰く、新聞に挟まっているチラシを丸めて棒状の物を持ってこい(詳細なし)
曰く、ペットボトル(炭酸水などに使われる柔らかいもの)を持ってこい。
曰く、三角に縫った布(詳細なし)を持ってこい。
などなど・・・・・
こういった司令が、目的など詳しい説明を欠いた非常に分かりにくいプリントで伝えられる。
「あのですな〜、児童が自ら用意できないものは使わないか、もしくは教材として学校で配布していただけませんか?」と言いたいのを堪えて結局は親が用意することになる。
一方で、日々配られる算数や国語のプリントは、昔は先生が手書きで書いたものをわら半紙にガリ版で刷ったものが配布されものたが、今は業社製と思しき厚手のケント紙にカラーで印刷されたものが配られている。
観察用の朝顔の蔓が這う棒は、昔は竹棒に針金で自作したが、今は立派なプラスチック製の既製品が配布される。
少子化で余りあまっている文科省や自治体の予算を無理に使い切ろうとしてませんか?、と疑いたくなるほど豪華な教材が惜し気もなく与えられる一方で、
「マヨネーズの空き容器持ってこい・・・」
「あのですな〜〜、私にマヨネーズ一気飲みしろとでも?」
という現実もあるのだ。
ある程度手がかかるように設定して、親の教育参画を促す狙いがあるのか?
だとしたらサービス過剰である。
さて、夏休みも予想通り沢山の宿題や日課課題を持ち帰ってきた。
お手伝い自己評価プリント(青・黄・赤でその日の家庭への貢献度を総括する)
”めあて”達成度自己評価プリント(だいたい同じ)
朝顔観察プリント
絵日記(自由研究)
算数・国語のドリル
作曲(自由研究)
こうした課題もある程度は必要だが、小学1年生には多すぎないか?と思いながら手伝う。
自由研究の”作曲”の手伝い風景いはこんな感じだ。
娘が行っているピアノ教室でハ長調、ト長調、ヘ長調の和音が出てきたのを知っていた。
なので娘がピアノに向かって作曲と称して適当に弾いた音列をそれとなくハ長調に移調させる。
「なんか伴奏も付けたくなっちゃったね〜」と言ってドミソの三和音を一緒に弾かせる。
「綺麗だね〜〜」と言いながら、
「他に・・、なんだっけト長調の和音も習ったよね」と言いながらト長調に転調させる。
そして「この曲は何調? そう。ハ長調の曲はドで終わるんだよね」と言って強引にハ長調に解決させて作曲終了。
そんな茶番を演じながらふと思った。
4歳でピアノソナタを作曲し、9歳で交響曲を作曲した(だっけ?)モーツァルトの作曲風景。
昔から疑問に思っていたのだが、いくらモーツァルトが天才でも読み書きも満足にできないガキンチョがソナタを作曲??
読み書きは出来なくても和声や対位法やソナタ形式は知っていたとでも?、という事になる。
そう、「4歳で作曲したモーツァルト=天才」という固定観念ですっかり思考停止していたとしか思えない。なんで今まで気がつかなかったんだろう・・。
あれら幼児期に作曲された曲たちは、実はレオポルトが実質作曲したのだろう・・、そうだ。そうに違いない。
「そうだ。アマデウス。綺麗な響きだね〜」
「うん、パパ。次ぎはこんな感じかな・・・
「それはちょっと違うね。この方が良くないかい?」
「うん、そうだね。」
という作為的ながらも微笑ましいモーツァルト親子の作曲風景が目に見えるようではないか!
これで少し枕を高くして寝られるよ。
※この物語はフィクションです。学校に対する抗議等ではありません(汗)
