さて、数日前の北海道新聞に面白いアンケート結果が出ていた。
『札幌市民に聞いたYOSAKOIソーラン祭り 好き?嫌い?』
なんと!嫌いが過半数の53.6%と、好きを8%上回っているではないか!。
YOSAKOIはすっかり市民に受け入れられていると思っていたのに・・、この結果には驚いた。
YOSAKOIを楽しんでいる人に水をさすつもりはないが、実は私もYOSAKOIが好きではない、というかどちらかというと嫌い・・かな? 更に言うと少〜し憎んでる?みたいな? ジョータイ?
YOSAKOIを楽しんでいる人の知性を疑うつもりは決してないが、あの暴走族の集会のような衣裳は何とかならんか・・、とふと思ってしまうことがある。たまにね。
そして、YOSAKOIを楽しんでいる人の音楽的感性を誹謗中傷する意図は固よりないが、スピーカーから出ている大音源はもはや音楽と呼べる代物ではなく、単なる騒音・・、かな?
アンケートで「YOSAKOI嫌い」と答えた人の多くは、要するにYOSAKOIが愚連隊みたいな衣裳を付けて騒音をまき散らしているのが嫌いなんじゃないかな・・、
おっと! これでは本当の暴走族みたいではないか・・・。そんなことはないはずである。札幌市公認の歴としたお祭りなんだから・・。
でもなぜか、踊った後の「ぅありがとうございましたーーっ!、うっす!」みたいなノリも少し暴走族風に見えないこともないかな。あくまで私の印象だが・・。
話しは変わって、
今日、札響の練習に行く前に北海道神宮祭の御輿の行列に遭遇した。
長年札幌に住んでいながら、きちんと見るのは実は始めてだった。
全て見るのに20分以上かかった。実に大がかりな行列に驚いた。
先頭は人力車に乗った(たぶん各地の町内会長さん)烏帽子姿の人たち。
その後に鼓笛隊。(かなり練習を積んだ形跡あり。私には分かる)
そして(なんと、今どき)『維新勤王隊』の幟を持った隊列。
続いて、錦の御旗を掲げた鉄砲隊。
それらの後に、やっと山車と数器の御輿が続く。
鉄砲隊や勤王隊の人たちは、時代劇で見る薩摩兵のような姿で、士官役の人はこれまた時代劇で見る、薩摩や長州の士官が被っていた獅子舞の髪の毛みたいな兜を付けていた。
神社の御輿行列というよりも、蝦夷地に進駐した官軍の軍事パレードという色彩が濃い。
内地のお祭りもこうなんだろうか・・。少なくとも東京の三社祭りは違ったが。
やはり蝦夷地という土地柄故のテイストなんだろうか・・。
私には風情も品格もイマヒトツ感じられないYOSAKOIと違って(おっと失礼!)、北海道神宮の御輿行列にはおおいに萌えるものがあった。
あの烏帽子のコスプレができるなら町内会長に立候補してもいいと思った。
それがダメなら、新撰組の羽織を着て隊列に斬り込む役でいいからやらせてくれないかな・・。
いや、これは本当に、四丁目とか駅前あたりで、官軍と新撰組の斬り合いのアトラクションはどうだろうか・・。全国的に有名な祭りにならないだろうか・・・。
朝9時に見た御輿行列。札響の練習が終わって4時頃に大通りを車で走っていると再び遭遇した。烏帽子の町会長さんたちは陽に焼けて辛そうだった。長い時間お疲れさまでした。
道新のアンケート結果のお蔭で「YOSAKOI嫌い」をこうしてカミングアウトできる気持ちになった。私のような人はこれから増えるのではないだろうか。あのアンケートは画期的であった。
クラシック界では、同時代人に受け入れられなかったが今日名曲の誉れ高い「運命」あり、されど逆に同時代人には持てはやされたが歴史の精査を生き残れなかったサリエリのような作曲家もいる。
YOSAKOIはどうだろう。200億円以上の経済効果を強調する声をよく聞く。たしかに経済効果は大切である。しかし”経済効果”が錦の御旗では、同時代人に受け入れられることも、歴史を生き残ることもできないのではないだろうか。
![錦の御旗](https://livedoor.blogimg.jp/arakihitoshi/imgs/4/3/437abda6-s.jpg)
官軍風の兵が掲げる錦の御旗
やはり新撰組のコスで斬り込んでみたくなる。