1981年夏、今を遡ること30年近くになろうか。
高校1年生だった私は北海道利尻島鴛泊(おしどまり)港にいた。
その年の7月31日は日本全国で日食が観測された。皆既日食帯は樺太北部。当時は東西冷戦の最中で日食を見るために樺太に渡るなど想像も出来なかった。
なので多くの天文マニアが日本で最も太陽が欠ける宗谷岬を目指した。
天文少年だった私と友人2人の3人組も望遠鏡とカメラ、それに1週間野営するための荷物を背負って宗谷岬を目指したが、途中で気が変わり急遽利尻島のさらに北にある礼文島に目的地を変えた。
フェリーを乗り継ぎ礼文島の船泊(ふなどまり)という集落近くにあるキャンプ場にテントを張った。ここからだと島最北端のスコトン岬が目と鼻の先だ。(さらにその少し先に近くて遠いソ連があった)
緯度から言っても日本最北端の宗谷岬と何分も違わない。宗谷岬の日食率87%にいくらも劣らないだろう・・・。
それよりも、島の自然と静寂と、街灯がほぼ皆無の状態で撮影する満点の星空に期待が高まった。
2泊ほどしていよいよ日食の当日を迎えた。
キャンプ場には他にも若者グループのキャンパー10名程がいたが、皆黒い下じきを天にかざして太陽が欠けるのを待っている。
私たち3人は撮影のための器材準備で大忙しである。(しかも私が望遠鏡のバランスウェイトを固定するネジを忘れてきたことが発覚し、自体はさらに悪化した)
さすがに87%太陽が欠けた頃にはあたりが夜とも昼ともつかない奇妙な暗さにつつまれた。が、私は写真撮影でそれどころではなかった・・。
日食が終わった頃には私たち3人は完全に燃えつきていた。
芝生に寝転んで明るさを取り戻した空を見上げしばし放心・・・。
ふと持ってきたラジオをつけると、なんと!!
宗谷岬は雲って日食が観測できなかったというニュース。
日本全国津々浦々晴れたのに、皮肉にも稚内だけが曇った模様・・。
と言うことは、私たちがたった今撮影した日食写真が日本で最も欠けた日食写真になったというわけで、全国から宗谷岬に集まった天文マニアには悪いが腹の底から笑が込み上げてきた。
写真は札幌に帰ってから現像し87%欠けた太陽を無事捕えていた。
その写真は「月刊天文ガイド」に投稿し、翌月の日食特集に大きく掲載された。
「天文ガイドに掲載された」という”経歴”はその後の私の天文部員としての高校生活の大きなハクとなった。
が、それよりも友人たちとのエキサイティングな旅行は良い思い出となった。
日食の後は昼は島の観光、船泊の村の喫茶店で食事をして夜は星の写真を撮る、そんな数日間を過ごしフェリーで帰途に着いた。
しかし、礼文→利尻→稚内 と行くはずのフェリーが中継地点の利尻で悪天候のため欠航になってしまった。
利尻の鴛泊港に降ろされはしたが宿を取る予算もなし。仕方なくフェリー乗り場の軒下に寝袋を敷いて一泊した。
夜明け前、カモメの鳴き声で目が覚めた。濃い霧で寝袋が冷たく湿っていた。
まだ人気のないフェリー乗り場のベンチで時間を潰し朝を待った。その日は欠航を免れなんとか9時くらいの便に乗ることができた。間もなく出港するフェリーのデッキから一夜を過ごした鴛泊の波止場を見下ろした。するとフェリーを見送る人たちの中にユースホステルの法被を着た若者が15名程フェリーに向って整列していた。その光景はその後もずっと私の記憶から何故か離れなかった。
若者たちは5人×3人くらいの隊列を組んでいた。膝の摺り出たジーパン、ヒッピーの様なモジャモジャ頭もいた。まだ70年代のバンカラ風が残る体裁だった。
男が10人、女が5人くらいだったろうか、するとリーダーと思しき男の掛け声を合図に彼らがフェリーに向かってがなり声で歌い踊りだした。リーダーがハンドスピーカーを持ち、ギターを弾く人一人。あとは歌と踊り。私たちは事情が飲み込めないまま彼らの歌と踊りに見入った。
その歌はこんなふうに聞こえた。
かっこいいわさっ!
かっこいいわさっ!
お〜〜〜△※@ お〜〜■●×〜〜(判別不能)いわさっ!
とめる女を振り切って すがる女を振り切って
かっこいいわさっ!
かっこいいわさっ!
衝撃的な光景だった。その後も折りに触れ思い出し、インターネットの時代になってからは「かっこいいわさ」とか「利尻 かっこいい」とか「歌 利尻 若者 1981年」などでググってみたがヒットしなかった。
私の中では幻の光景になっていた。
それが、最近お世話になっている某楽器職人が”70年代ユースホステルマニア”という非常〜〜に限定されたヲタク様であることが発覚し、彼に『幻のかっこいいわさ』の件を訊いてみた。
すると、「荒木さん、それは”かっこいいわさ”ではなく、”かっこいい奴”だと思いますよ」というお答え。
早速ググってみると見事ヒット!
そのHPによると1977年〜1982年に利尻島のある経営不振のユースホステルを応援するために、全国から集まったユースホステルヘルパー(というのがあるんですね)の若者たちが歌と踊りを考案しユースの法被を着てフェリーを見送っていたらしい。
当時の写真や音源まであった。
「そう! まさにこれ! これだよ!!」 幻は現実であった。
歌詞も掲載されていたが確かに「かっこいい奴が、かっこいい奴が、・・・」となっていた。(歌詞を見ながら聴いても「かっこいいわさ」に聞こえる(笑))
かっこいい奴のリーダー格だった人が昨年作ったHPらしい。
その人は難病にかかり病苦の中で当時利尻で一緒に過ごした仲間達に励まされたらしい。
当座は回復したものの残り少ない命を利尻で民宿を営み皆に憩いを提供することに使いたい、と書いてあった。
昨年メンバーの一部が全国から利尻に集まった写真が掲載されていた。写っているのはいいおじさんおばさん達であり30年という時間の経過を感じた。しかし皆いい笑顔である。
HPには行方知れずのメンバーたちに「乞う連絡」の呼びかけがあった。
私は「かっこいい奴」の仲間たちとは一瞬すれ違っただけの人間だが、今だに忘れられない不思議なインパクトを彼らから与えられた。
HPからははかり知れない彼らのドラマを垣間見た思いがした。
利尻・礼文と言えば日食と共に思い出す「かっこいいわさ」の記憶である。
長年の謎が解けてスッキリした。そして彼らに少し羨ましさを感じた。
