前回からの続きです。
さて、マンション管理組合の理事長になってから、ステレオおやじの姿をマンションの敷地内で頻繁に目にするようになりました。
洗車したり、見回りの様にぶらついたり、管理人さんと立ち話をしていることも多かったです。
ここの管理人さんはじつによく働く人で、毎日黙々と掃除や芝の手入れに精を出していました。性格も謙虚で優しい人で、うちの子供たちはすっかり管理人さんに懐いて、上の娘はバレンタインデーに手作りチョコを管理人さんにあげていたほどです。
「おじさん、もったいなくて食べられないな〜」と目を細めて笑っていた管理人さんの顔がとても印象的でした。
ある日、『挨拶の仕方が悪い』と言ってステレオおやじが管理人さんを怒鳴りつけた、という噂を耳にしました。
耳を疑いましたが事実の様です。
この頃になると、私もやっと分譲時から住んでいる住人の方々ともある程度交流が出来ていたので、立ち話などでいろいろな情報が入るようになっていました。
怒鳴りつけ事件の数ヶ月後に、ステレオおやじがマンションの管理を委託している会社に、「あの管理人を辞めさせろ」と電話で怒鳴り込んだ話しも耳にしました。
『ステレオおやじの奥さんに口答えしたから』という理由だったようです。
あの恐ろしく無愛想で挨拶も返さない奥さんに、温厚な管理人さんが一体どういう口答えをしたというのでしょうか。言いがかりもいいところです。
結局、管理会社の担当者が分譲時から住んでいて管理組合の役員もやっている方たちに仲裁を頼んだそうで、管理人さんは職を失わずに済みました。
その話しを聞いて、ステレオおやじと路上で立ち話する管理人さんの顔が緊張で引きつっているわけが分かりました。
マンションの敷地内ではこの頃のステレオおやじは全く有頂天です。
ステレオおやじの部屋はマンションの中央の棟の最上階(三階)です。
ステレオおやじは多趣味な人で、ステレオの他にも車、自転車、そしてガーデニングをやっています。
車は依然お話しした高級外車を所有しており、かなり恥ずかしいナンバーを付けて走っています。(数字はここでは書きませんが、付けるのに勇気のいる数字です)
自転車も海外ブランドの高級自転車を所有しており、車同様いつもピカピカに磨いています。
そしてガーデニング。ベランダ一杯に観葉植物等を栽培しており、週に1〜2度ホースで大量に水やりします。
当然水が階下のベランダにも垂れてきて干してある布団を濡らされた事も何度かありました。
ステレオおやじとのマトモなコミュニケーションは諦めていたので苦情は言いませんでしたが、水やりするなら階下のベランダを確認するくらいできないものかと腹が立ちました。
毎日きっちりと定時に帰宅し趣味に没頭するのはいいのですが、あまり協調性がなさすぎると、「あれは出世しないタイプだな・・・」と周囲から陰口を叩かれます。
そんな住人たちの失笑もこの頃は時々耳にしました。
そしてステレオの音は大音量で止むことはありません。
「俺がマンションの主だ!」と言い出しかねないステレオおやじはまるで、マンションの中央、最上階に住む「王」の様でした。ただし裸の王様的ではありましたが・・。
前回、ステレオおやじに「レッスン禁止」と言われましたが、私は相変わらず週に数回のレッスンは続けていました。
そんなある日、H大の学生M田君がレッスンに来た折、ちょうどM田君が私の部屋にチェロを抱えて入ろうという時に、ステレオおやじが前を通りかかりました。
会社帰りのスーツ姿のステレオおやじは私に向かって
「ちょっとちょっと〜、レッスン禁止って言ったでしょ〜」と例の顎を突き出す言い方で言ってきました。
私は最悪のタイミングに一瞬ひるみましたが、
「管理規約読みましたけど、レッスン禁止とは書いてありませんよね?、教室禁止とは書いてますけど」
「おいおい、レッスンしてるなら教室だろ」
「週に1〜2度レッスンする程度では教室とは呼ばないんじゃないですか? 住居だと思うんですけど」
するとステレオおやじは目を吊り上げて私を睨みつけ
「ホントに1〜2度だろうな! 」と大声で怒鳴りました。
ステレオおやじの大声に私もM田君もびっくりしました。
マンションの廊下で、しかも生徒もいる前で大声で怒鳴りつけられてしまいました。
まさか私までも怒鳴りつけの被害者になるとは思いませんでした。
ステレオおやじとの正常な人間関係はこの瞬間に完全に破綻したと言ってもいいと思います。
言葉に詰った、というか絶句した私をあとにステレオおやじは私を睨みつけた目線を外し、階段を登っていきました。
その日のレッスンは頭に血が登ってまともに出来なかった気がします。
しかし、これはまだほんの序の口でした。
やがてマンションでレッスンをするのを諦めざるを得ない事態が起きるのです。
【つづく】