前回からのつづきです。
私はチェロを置いて妻から電話の子機を受けとりました。
私はつとめて無愛想に対応することにしました。いや、努力しても愛想など使えません。と言うより、礼儀や愛想などこの人には逆効果です。かえって足元を見られるだけです。
普通の電話ならば「お電話変わりました」と言うところですが、
この時ばかりは面倒くさそうに「はい」と言い捨てました。
ステレオおやじの無愛想さはさらに上手です。無愛想というより横柄と言ったほうがいいかもしれません。
「ああ、3階の○○だけども」
電話の向こうに薄い唇を尖らせて顎を突き出したステレオおやじの憎々しい丸顔が見えてきそうです。
私「なにか?」
ステレオ「お宅の楽器の音さ、上に聞えてちょっとうるさいんだけど」
私「それがなにか?」
ス「それがなにかって?」
と言うとステレオおやじはわざとらしく驚いて呆れた様に鼻で笑いました。
防音室内での楽器の音に関しては、防音室の真下のご隠居夫婦も、防音室の隣が寝室の社長さん夫婦も「ほとんど聞えない。まったくうるさくない」と言ってくれています。
ステレオおやじも数年間、レッスンに関しては苦情を言われましたが練習の音に関して何か言ってきたことはありませんでした。
今さら電話までして「うるさい」と言ってくるのは不自然です。
ス「いや、うるさいって言ってるんだよ。今日は朝から少し具合が悪くて寝てたんだけどさ、あなたの楽器の音が、特に一番低いG線なのかな? 響いてきてうるさいんだよ」
話し方は一応平静です。声を荒げてはいませんが憎悪に満ちています。
ちなみに一番低いのはG線じゃなくてC線なんだよ。
私「うるさいっておっしゃるけど、あなたのステレオの方がずっとうるさいでしょ。私は我慢してますよ。毎日」
私も呼吸を深く保ちながら平静に話す努力を続けました。
私の話しを無視してステレオおやじは続けます。
ス「昨日も聞えたんだけどさ、けっこう上に響いてるんだよ。あなたの楽器の音が」
私「昨日は弾いてませんけど」
ス「ん? 一昨日だったかな?、とにかくね。レッスンの時も響いてきてるんだよ」
また話しがレッスンになりました。
とにかく私のレッスンを執拗に攻撃してきます。
私「レッスンね。あなた、こないだうちに来た客を呼び止めてレッスン禁止がどうっておっしゃったそうだけど、そういうの止めてもらえませんか?」
ス「レッスンは禁止なんだからそう言っただけでしょ。」
私「だから、レッスン禁止じゃないでしょ。教室が禁止なんですよ。分かりませんか?」
ス「それは詭弁だろ。レッスンしてたら不特定多数の人がマンションに立ち入ってみなさん迷惑するんだよ。騒音以外にもそういう理由もあって規約で禁止されてるわけだから。他の住人や近所のマンションにもしめしがつかないんだよ。」
私「あなたがそう思うなら私に直接言えばいいんじゃないですか? 生徒を捕まえて言うのは常識外れでしょ」
ス「私は、どちらにいかれるんですか?って訊いただけだよ。それで荒木さんのところって言えば、ああそうですか、って言って、その階段ですよ、って案内するわけだからね。」
私「誰があなたに道案内頼みました? わざとらしい言い訳しないでもらえます?」
ス「言い訳じゃないんだよ。私は管理規約をきちんと守るつもりだし、理事長としてみなさんにも規約を守っていただくように注意する義務があるから」
話しは全く平行線です。
この人とは会話が成立しません。私も譲る気ありませんし、たぶん向こうもそうでしょう。
私「そうですか、あなたと二人で話しても結論出ないし意味がないので、次回の総会でみなさんのいらっしゃる所で結論出しましょう」
ス「結論って・・、私は間違ったこと言ってませんよ。当たり前のこと言ってるだけでしょ」
私「ですから、もういいです。無駄ですから。総会にはかりましょう」
次回総会でと私が言ったあたりから、ステレオおやじは呆れたようにヘラヘラ笑いながら話しています。常識知らずの困った若造だ、というニュアンスを込めているつもりなのでしょう。
ステレオおやじは「ああ、そうしたいならそうすればいい。とにかく楽器がうるさいこととレッスン禁止なことは伝えたから」と言って電話を切りました。
電話を切られた後も私は楽器の練習を続けました。
すぐに上から例の巨大なハンマーで叩いたような踏み鳴らし音が何発も聞えてきました。
ステレオやテレビならばつけ続けることもできますが、さすがにその状況下で楽器を練習しつづけるのは精神的に限界があり、15分ほどで弾くのをやめてしまいました。
その後、居間で子供とアニメのビデオを見ていると上階からはいつものように大音量のジャズがズ〜〜〜〜ンズ〜〜ンと響いてきました。
さすがに私も苛ついて、発作的に「うるせーな!ちくしょー!」と叫んで、ツッパリ棒で天井を何度か強打しました。
妻が「頼むからやめて」というので止めましたが家にはいられず子供と公園に出掛けました。
これからしばらくはステレオおやじと消耗戦になりそうです。
もともとこういう泥仕合は苦手ではありませんが、以前も書きましたがこの頃は職場では経営破綻や再建にまつわる諸々があったり、プライベートでも亡父が残した厄介ごとに追われて忙殺されていました。
この上、生活の場にまで面倒を持ち込みたくない一心でステレオおやじとのトラブルを避けてきましたが、ことここに至って看過するのが不可能になりました。
自分の生活を守るために戦う決心をする必要がありそうです。
そんなある日、マンションの駐車場で住人の一人の方と挨拶を交わしました。
マスコミ関係の会社の社長さんで、私より7〜8才年長の女性です。
センスのいいキャリアウーマン、という感じの素敵な方です。実は札響も大変お世話になっている会社で、仕事上のお付き合いもあり、その方のことは以前から存じあげていました。仮にKさんとします。
挨拶を交わしたのは夕方の帰宅時間です。
ステレオおやじと違ってお互いに多忙な身の上です。マンション内で顔を合わせることはめったにないのですが、その日は偶然お互いに時間があったので、仕事上のことなど立ち話になりました。
やがて話題が移り、「実は上階の変なおじさんのことでほとほと困ってて・・」
と話しがステレオおやじに及ぶと、Kさんは「それって○○さん?」と言って急に表情を強ばらせました。
そして、Kさんが私にした告白はあまりに衝撃的な内容でした・・。
耳を疑うその告白とは、
【つづく】