2009年06月17日

ラスト・オーケストラサムライ

「季刊ゴーシュ」連載の”クラヲタへの道”。
2008年冬号と2009年春号にラスト・オーケストラサムライ1、2を掲載しました。
このたび、春号のネット掲載禁止期間が解けましたので(笑)、まずは1から掲載します。

このお話しはですね〜〜、小説仕立てではありますが実は切実です。
オーケストラの男女比の問題は、業界では20年ほど前から社会問題化しています。
このままいくと、ラスト・オーケストラサムライを地で行く事態が遠くない将来訪れるでしょう・・。

札響ブラスで毎年コンクール上位入賞校の中学生たちと共演してるのですが、今年は上位3校の生徒が全員女の子でした。
ブラスで指導をしている札響管楽器奏者たちは、「20年後の札響の雛壇は女ばかりだよ・・」と苦笑します。
わたしの知り合いの中学校の音楽の先生たちは、「男の子たちの多くがブラスバンドを楽しめるほど精神的に成熟していない」と嘆きます。

クラシック音楽業界の危機感はここに至ってかなりのものになってきています。
あ、もちろん女性奏者がいけないっていう話しではないですよ。ひとりひとりの女性奏者は皆素晴らしいです。あくまで比率の問題です。男女の性差みたいな不毛な議論はする気はありませんから!・・念のため(^_^;)

では、そんな事情もお含みおきいたいだて、「ラスト・オーケストラサムライ」お読みください。


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『札響3ちゃんねる クラヲタへの道』
その12 『ラスト・オーケストラサムライ』。 


20××年某日。この日は俺にとって、いや、世界のオーケストラにとって特別な日だ。

朝、俺はいつものようにチェロケースを手にホールを目指した。
ドイツゲヴァー製の10kgあるチェロケースを片手で扱う所作は女には真似できない。
俺は馴染みの守衛の女性に軽くウィンクして舞台裏に入った。
既に多くの楽員たちが思い思いの場所でウォーミングアップをしている。
彼女たちは俺の姿を見ると、いつもより念入りに挨拶をよこした。
そう、今日は特別な日だ。俺はいつもと変わらない態度を装った。
彼女たちの髪型の変化や、新調した服を見つけてはセンスの良さを褒めた。
こんな他愛のない会話がセクハラなどと言われた時代もあったが、それは男が少しは強かった遠い昔の話しだ・・。

俺は楽屋の前に着くと、ドアに貼られた案内板を見て思わず苦笑した。
いつもは「男性」と書かれた案内板に、今日は俺の個人名が書かれていた。
これではまるで指揮者かソリストの楽屋だ。
たしかに、「男性」と書こうか俺の個人名を書こうが、今となっては同じ意味ではあるが。

この楽屋も昔は賑やかだった。
バカな冗談や無邪気な下ネタで笑いの耐えなかったあの頃が無性に懐かしい。
俺も歳をとったな・・・。
俺一人が使うには広すぎる楽屋で、無言で燕尾服の袖に腕を通した。
この動作も今日が最後だ。この燕尾は洋楽歴史記念館に寄贈が決まっているそうだ。
世界に現存する最後の燕尾服なのだ。

鏡に向かった俺は、ふと髭を剃る手を止めた。
不精髭か。それも悪くない。「世界で最後の男性オーケストラ奏者なのだから・・・・」俺は呟いた。
今日は俺が生れて70年を迎える日だ。そして定年退職で半世紀勤めたオーケストラを去る日でもある。
俺は顎を撫でて剃り残した髭の感触を確かめながら楽屋を後にした。

かつてこのホールの舞台は汗の染みこんだ燕尾に身を包んだ「漢(おとこ)たち」の大地だった。
弦が唸り、管が慟哭し、打楽器が炸裂した。猛々しいガクタイの漢(おとこ)たち・・・。それも遠い遠い昔の話しだ。

20世紀の終わり頃からだろうか。オーケストラから男性奏者の姿が急速に減っていったのは。
これといった原因も特定できず、なす術も無いままオーケストラは女性の職場へと変貌を遂げていった。

開演を知らせる2ベルが俺の物憂い感傷を中断してくれた。
お客にとっても男性オーケストラ奏者の姿は今日が見納めだ。
女性楽員たちに混じって俺が舞台に出ると、客席から微かな拍手が沸き起こった。
さあ、最後の男の姿だ。しっかり見てくれよ。
俺は燕尾服の裾を高々とはらって席に着いた。

※この物語は近未来SFファンタジーであり、私の思想信条とは一切関係ありません(汗)。



Posted by arakihitoshi at 01:48│Comments(0)TrackBack(0)││『クラヲタへの道』 

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