環境ホルモンの影響でオケが弱っちくなる?
PMFアカデミーオケを聴いてきた。
ティルソントーマスで自身の作曲によるブラスアンサンブルの曲とマラ5。
チケットは完売だったそうで、kitaraは満席に近かった。
ブラスアンサンブルの曲はもちろん初めて聴く曲だが、
コラール風の第1部とジャズ風の弟2部からなっていて、緊張感のある和音が特徴的な綺麗な曲だった。
メインのマラ5は18型のPMFならではの巨大編成での演奏だった。
視覚的にはオーケストラがkitaraの舞台から溢れんばかりだった。
演奏は"今風"というのだろうか、全体的に卒なくとても綺麗にまとまってて優等生的に上手。
管楽器、とくに金管楽器はミスもなく素晴らしかった。
トランペットの1番は女の子だったが、音量も豊かでずーっと男だと思って聴いていた。
さて、綺麗にまとまってるのはいいのだが、
弦楽器、音小さっ!(←今風の表現)
18型でしょ? ってことは18人、16人、14人、12人、10人で・・、計70人!(でかっ! ←今風)。
うーん、と考え込んでしまった。
70人でこの音量はどうかな・・と思った。なんつーか、技術的な問題というより、表現欲求というか・・、環境ホルモン? とか考えてしまった。
弾きっ振りがいいのは、ヴァイオリンに3人、ヴィオラ1人、チェロ3人、コントラバス4人、終了。みたいな感じでとにかく全体的におとなしい。
これはPMFだけの問題じゃなくて、もう全世界的な問題である。
静かそうな女のコ(全員じゃないけど)がズラーっていう光景はもうあっちこっちで見慣れたのだが、数少ない男のコにいたっても精子の数が半分になっちゃった感が否めない。(全員じゃないけど)
PMFは学生オケだけど、世界中のプロオケにもこの傾向は静かに忍び寄っていると思う。
昔のシュヴァルベとかボルヴィツキーとかツェラーみたいなエグいおっさん達がトグロを巻いてた頃のベルリン・フィルが懐かしい。
昔はエグいおっさん奏者はベルリン・フィルじゃなくても、どこのオケにも沢山いた。
エグいおっさん達は仮に技術的には問題大ありだったとしても、”聴く価値”のある演奏をしてた・・・、と思うのは無い物ねだりの感傷論なのだろうか。
私が20代の頃も、中堅以上の奏者たちに「最近の若い連中はおとなしい」と言われたものだが、現況は間違いなくそれ以上だと思う。
面白いエピソードがあるのだが、私が札響にエキストラで呼んでもらえるようになった頃(四半世紀くらい前)、ある指揮者がチェロパートを捕まえて、「そこ、ズレてますので・・」というようなことを言ったのにたいして、すかさずチェロのエグいおっさんの一人が、「ズレと見るか味と見るかだな!」とか言って指揮者の言うことにまったく取合っていないのを子供心に(笑)よく覚えている。
あるいは、練習中若い指揮者に「まあ、そんなに神経質になるな」とか言ったり、凄かったわけだが、ああいうのはオケ弾きとして問題もあるかもしれないが、かっこいい側面も大いにあったと今になってしみじみと思う。
最近あの頃の風景が無性に懐かしい。
なんでもかんでも指揮者の言うことを聞けばいいというものではない。
指揮者の要求と、自分の演奏者としての表現欲求を常に衡量するバランス感覚が、オケの自発的な音を作り出すために必要な要件だと思う。
そんな風にエグくてバンカラなおっさんやお兄さん奏者達の存在も今は昔。
私も含め男が弱くなって昔のエグいおっさん達が絶滅しかかっているのは、全職業的、全人類的な傾向なんだと思う。オケの舞台はそれを端的に示しているだけだ。
Y染色体がもうすぐ無くなるとか、
現代の20代の精子は40代の半分だ、とか(大いに関係あると思う、音楽的に。)
そもそも精子の数なんて何億もいらなくて、1個か2個あれば充分なんだろうか、
狩猟や戦争もないし、ちょっと手をあげればDVだとか、
ちょっと触ればセクハラだ、とか。
電車に乗れば痴漢の冤罪とか、女性車両より男専用の痴漢免責車両を作って欲しいとか、
いっそ、男なんて弱い方がいいんだろうか。
そしてこのまま人類は滅びてしまうんだろうか・・とか。
そんなことを考えながら聴いた演奏会であった。
あ!、でも上手だったよ。PMF生たち。 よく頑張ったね! ヾ(^^ )ヨシヨシ
それではみなさんごきげんよう。
Posted by arakihitoshi at 00:32│
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札響より(ある意味)数段上の演奏をしたオケに対して、上から目線とは意味が分かりません。
通りすがりの感想です、失礼しました。削除よろしくお願いします。
私、実はこういうものです。。。→ URL参照
PMF生たちが真摯な態度で頑張っているのを目の当たりにしてつい。。。
匿名でキタない真似をして申し訳ありませんでした。
札響の演奏会も楽しみにしています。
素人的演奏会の感想もありますので、お暇がありましたら見てみてください。
では。
> 弦楽器、音小さっ!(←今風の表現)
これに対するアドバイス等あると、非常に参考になります。
あらき先生、今回は難しいお題ですね(笑)。その時向かいあった音楽に何を期待しているかによりますね。今回のあらき先生は上から目線ではなく、単純に聴衆としてPMFオーケストラに何を期待していてどうだったかということではないかと思います。「学生なんだから荒削りでも良い、自分がこう弾きたいこう主張したいという音を弾いてみて…」という想いがあったのに、その期待とは違った演奏だったということかと思います(良い悪いではなく)。私がPMFを聴いてもそう思ったでしょう。ただそれは、聴衆一人一人いろんな想いで音楽を聴いているでしょうから、勿論正しいとは言いません。一方札響を聴かせて頂く際は、全然想いは違います。当然まとまりがなくてもダメですし、プロらしい響きや、びっくりするような大きい音も出して欲しい。しかしなにより欲しい価値は「札響らしい音、音楽」です。それは札響だけが頑張ってもダメで、聴衆、kitara、札幌の空気、kitaraに来られない札幌市民の想い、いろんな要素が重なって素晴らしい価値になるものです。それがなければ私もわざわざ札幌まで行きません。今後も素晴らしい音楽を期待しております。
よこおさま>いつもコメントありがとうございます。(^^)
そうですね。たしかに「若者らしく」とかそういう期待もあったのかも。
今回は、『PMFオケは上手だったけど優等生的で弦楽器は音が小さかった。でもこれは全世界的な傾向なのかもしれない』というわたしの私的な感想が話しの根幹で、中傷したり大げさなことを語ったつもりはなかったのですが、
札響楽員がPMFについて語ることの難しさを、もう充分知ってるつもりなんですが、改めて感じた今回のブログでした(苦笑)。
先日ひょんなことから、若き♂電大OBによる弦楽五重奏を聴いた。
「ちょっとチューニングからやり直したら?」と言いたくなるようなひどい音程だったんだけど、気迫やら音の勢いやらがすさまじく、無理やりねじ伏せる的な怒涛の演奏に、若者はこうでなくっちゃね・・・と思った。そりゃ音程が合っているのに越したことはないが、楽曲に対する強い想いって観客に伝わるもので、ライブなら特にそういう気持ちがないと、どんなに上手な演奏でも、観客を感動させることはできないと思う。
PMFの弦楽器に関しては、演奏者というより、演奏者を本気にできなかった指揮者の問題ではないかと思ってしまったのですが、どうなんでしょうトーマス?
はむたどの>どもども(・ω・)ノ
上手・下手の規準は難しいですよね。つきつめていくと結局は「主感でしょ?」ってことになるし。
ティルソントーマスは演奏会何度も聴いてるし、ボクもあの人の指揮で弾いたこともあるけど、素晴らしい指揮者です。
オケを萎えさせる指揮者は確かに世の中に存在しますよね。でも”世界的”クラスの人にはさすがにいないかも・・。
こないだのPMFの弦楽器は、ティルソントーマスのエネルギッシュな棒にも終始反応薄くて(全員じゃないけど)、昔とくらべてやっぱり全体的におとなしいなという感想です。
さらに言うなら、演奏会の批評なんか読んでても、それこそ”気迫や勢いの凄まじい怒濤の演奏”を好む人より、端正でミスが無く綺麗にまとまった演奏を好む人が増えている気がします。
ボクは時代とか世代の変化なんだと感じています。
CDやDVDで知りうる中で一番好みの音は、70年代後半か80年代のカラヤンベルリンフィルの音です。もうカラヤンが枯れかける?という位の。まだそれこそボルヴィツキーやシュピーラーが主力で、噂によると弦楽器は主席とトップサイド以外は、好きな席に座って良かったらしいですが、そんなカラヤンサーカスは以外とアンサンブルがゆるくて、よく聴くとバラバラです。でも全体としてはすごく有機的な音になっていて素晴らしい。本番では割と奏者の自主性にカラヤンが任せていたらしいですし、ある程度練習では全体の見通しをつけて、難しいところを重点的にやって、あとは自主性に任せるというのは理想?かもしれません。ちょっと違うかもしれませんが、6月の定期演奏会で2日目のカルミナ・ブラーナは(1日目も良かったですが)、オーケストラもソロも合唱も皆自発的ですごく良かった印象です。
よこおさん> そうそう! あの時代のカラヤン・ベルリンは最高です!
あのアクの強そうな奏者の集団をまとめていたカラヤンは、まさに猛獣使いだったと思います。
今CDを聴くとたしかにバッラバラでデジタル的にはまったく合っていないのに、仰しゃるように不思議と有機的に合って聴こえて、重量級のサウンドを醸し出していたと私も思います。
首席以外は自由席という話しは私も聞いたことがあります。
オケの首席とトゥッティーの関係は、一般企業の上司と部下のそれではなく、いわば”同輩の中の首席”と言うべきで、そういうことも見越した制度だったのかもしれません。オケ全体のモチベーションを維持するという意義もあったのかも。
こないだのカルミナは全体のモチベーション高かったです。とりわけ合唱団の功績がとても大きかったと思います。
荒木さま、つられて初めての書き込み失礼します。
先日のPMFAOのブログは、演奏ともどもブログも楽しませていただきました。
シューマンがとても良くて、さらに演奏会後のサプライズもジーン(言葉がない)ときました。
今回も、先達の思いを楽しく読ませていただきました。ありがとうございます。
20年くらい前に「オーケストラで一番音のでかい楽器は弦楽器や
」と人から聞いて、
演奏を聞いていると、そうかもなぁなど素人なので納得していました(笑)。
最近は、つぶやきスタイル:小さめに音を出した方が、聴衆が耳を傾けて聞く
という習性を考えているのかなと、私、勝手に思っておりました。
(残念なことに話題のマーラーはkitaraで聞けませんでしたが・・・)
ところで、PMFメンバーの弦楽四重奏等も聞きましたが、
私の音を聞けという熱い演奏も有り、こなし半分という感じも有りという感じが、
若者というよりは、妙に人間的な感じがしました。
そもそも、PMFメンバーが演奏家として活躍するのはこれからですので・・・。
荒木さまのこれを糧にがんばって(エンジョイして)欲しいという思いは感じますよー。
おニーさん> (ここでは)はじめまして(^^)
シューマンは良かったですよね〜。 特に3楽章は渾身の演奏だったと思うのですが、あるメディアの批評では”テンポが遅すぎる”と書いてありました。
「なんだかな〜〜」と思いましたが、感じ方は人それぞれだし、それでいいんだと思います。
>荒木さまのこれを糧にがんばって(エンジョイして)欲しいという思いは感じますよー。
ありがとうございます。 きっとメンバーはこのブログは読んでないと思いますが(^_^;)、もとより、私自身修了生だし20年近く業界で食ってるわけだし、ある程度は上から目線でPMFオケについて語る資格は自分にはあると思ってますので(笑)、これからも常識と節度の範囲内で思ったことは書こうと思ってます。
またコメント待ってます(o^-')b
先日のPMFでお会いしたじいです
マーラーNO5、凄い演奏でしたね
とりわけ冒頭のTp奏者を見て唸ってしまいました
まさか女性がトップだとは考えてもいませんでした
最初はちょっと不安そうでしたが、そこをうまくいくとあとは自信にあふれ
イケイケになって、仕舞いには「誰でもかかって来なさい ( ´∀`)ヵヵヵ 」状態でしたね
ホルンのトップも女性でした
2人とも抜群の音色で、聞いていても見ていても大きく見えました(カラダではなく…)
>札響ブラスで、今年は上位3校の生徒が全員女の子でした。
>ブラスで指導をしている札響管楽器奏者たちは、「20年後の札響の雛壇は女ばかりだよ・・」と苦笑します
私が学生の頃は女子生徒が”マッピー”(最近マウスピースのことをこう言うらしい…… 少年マガジンで知った…)に口を付けるなんて…
(ノ-_-)ノ^┻━┻ ちゃぶ台返し
なーんて思ったものでした
世の男子生徒の諸君 気合いを入れようぜ
(`0´)ノ オウ!
じい様 >こんにちは。
そうですねー。Hrもよかったし、Tpはとりわけ上手でしたね。ひょっとして特待生かなにかかもしれませんね。
あの彼女に吹かせたくてあの曲を選んだのかと思ったほどです。
昔(30年くらい前)、たしか指揮の松尾葉子さんだったかな? が振って
(主宰もそうだったのかもしれませんが定かじゃない)、"女性だけのオーケストラ"、
が話題を呼んだことがありましたが、放っておいてもそうなりそうな世の中に
なりましたね・・・。
男子、たのむから頑張ってくれー
あらきさま。コメントありがとうございます
(ぬいぐるみの中には・・・目をさましてコメントします。笑)
シューマンですが、3楽章の終わった瞬間、ため息が出たのを覚えております。
緊張感はありますが、愛情を感じる3楽章だったと思います。
(遅かったとの批評もあるのですかぁ。うーん?)
そして、この4楽章はどうなるんだろうなとワクワクしました。
全体的にはエッシェンバッハさんが、私にもわかるくらいに曲を読み解いてくれたように感じました。
フルートとオーボエのところも、秀逸だったように記憶しています。
あらきさまが「普段地元のオケでもそのテンションで弾いてたらすごいよ!」と
書かれたのをみて、確かにあの密度で仕事してたらもたないな、と思って笑ってしまいました。
かつてバーンスタインさんがPMFで指揮した曲を演奏するのですから、指揮も
オーケストラもプレッシャーを感じ、逆に聴き手の期待はとても大きかったと思うのです。
そのような場において、奏者の意志と尊敬を感じる演奏だったと思います。