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そろそろ春ですが、まだ雪が降っていますね。
北海道の春は重苦しくて好きになれません。
本日のBGM(お好みでどうぞ)
今年の冬は子供とその友達を引率して3回もスケートに行きました。
スケートをするのは33年ぶりでした。
スケートには真駒内のアイスアリーナに行ったわけですが、ここは1972年の札幌オリンピックの会場として使われました。
札幌オリンピックでは、女子フィギュアでジャネット・リンが「札幌の恋人」なんて言って一世を風靡してました。当時私は小学生の低学年でしたが、カルピスのCMに出てたジャネット・リンをよく覚えています。
札幌オリンピックの影響もあったんだと思います。私が小学生の頃はスキーといわず、スケートといわず、とにかくウィンター・スポーツが今よりずっと盛んでした。
小学校の帰り道は、ランドセルを放り投げて皆で雪山にジャンプ台を作って、ミニ・スキーでジャンプをして遊んでました。
「3ば〜〜〜ん、荒木く〜〜〜〜ん、ニッカウィスキー」
とかジャンプのアナウンスを真似して、何メートル飛べるか競うのです。
子供の仕業とは思えない巨大で本格的なジャンプ台を作っていたので、長さ30cmほどのオモチャのスキーでも5メートル位は飛翔しました。
たまに頭から雪の固い所に突っ込んで鼻血で雪を染めるなど、流血の惨事になったりするわけですが、今思えばよく骨折したり大怪我に至らなかったな、と思います。
さて、そんな小学生時代をすごしていたわけですが、高学年になってくるとさすがに鼻血で雪山を染めることはなくなり、私はスキー場やスケート場に女の子を何とかして誘って行くのに腐心していました。
小学生なので好きなコと二人でデートみたいに行くのは無理だったのですが、男の子と女の子二人づつの4人で行くのが多かったです。
いわゆる”グループ交際”ってやつなんでしょうか・・・。
”グループ交際”。
なんて素敵な響き・・・。声に出さずに喉の奥で唱えるだけで、甘酸っぱい唾液で舌の根元がキーーンと痛くなるような、色づく前の果実を強引に噛んだような、新鮮すぎる刺激に襲われます。
愛憎と液体にまみれた大人の恋(と呼べるのか?)とはまったく違いますね。
で、高学年の頃にクラスで1番目と2番目に可愛かった、ミカちゃんと、ユキコちゃんに私は熱中してました。
二人とも可愛くてとても頭が良かったので甲乙付けがたかったです。
席変えのたびに彼女たちのどちらかと隣になるように神様に祈りました。
彼女たちへの気持ちは、私の3回目か4回目くらいの初恋だったと思います(笑)。
ミカちゃんはハキハキした回転の速いコで、ユキコちゃんはおっとりした癒し系でした。タイプは違いましたが彼女たち同士はとても仲がよく、姉妹みたいにいつも一緒に行動していました。
昼休みや放課後は彼女たちと、クラスの誰はこういう人だよね、とか、昨日のテレビはああだったよね、とか話すのがとても楽しい時間でした。
二人とも私の話によく笑ってくれました。
なので、私も彼女たちといると次々に面白いことが言えた気がします。
そんな日々を過ごしているところに、ある日、転校生がやってきました。
ケイ君です。
彼は小学生のくせにギターが弾けて、珈琲が好きでした。そして、とてもマセていました。
ミカちゃんとユキコちゃんはすぐにケイ君に興味を示しました。
私は心が穏やかではなかったです。
最初のうちはケイ君と張り合うあまり、上手に付き合えなかったのですが、ある日、ミカちゃんとユキコちゃんと私の3人で、ケイ君の家に遊びに行くことになりました。
ちょうど今くらいの季節でした。
ミゾレが降っている寒い日でした。ケイ君の家は一軒家で、同じ形の家が3件くらい並んで立っている建売りっぽい感じの家でした。
ケイ君の部屋は2階で、隣にはお兄さんの部屋がありました。ケイ君がマセていたのはお兄さんの影響だったのかもしれません。
彼の部屋の壁にはシンガーソングライターのイルカのポスターが貼ってありました。
勉強机の横にフォークギターが立てかけてあり、彼はギターを手に取ると弦をポロッと弾いて「イルカっていいよね」とか言いながら、『なごり雪』の出だしを歌って見せました。
私はなんだか打ちのめされた気がしました。
当時、『8時だョ!、全員集合』で志村けんがやっていた”東村山音頭”は4丁目までしかありませんでしたが、私のとっておきの持ちネタだった5丁目と6丁目バージョンを対抗して歌ってみましたが、ケイ君の『なごり雪』の前にはむなしい抵抗だった気がします。
やがてケイ君のお母さんが上がってきて、お菓子と珈琲を出してくれました。
お母さんはしっとりとした雰囲気の美人でした。
ケイ君は珈琲に砂糖を入れずにブラックで飲みました。
私はいつも角砂糖を2個は入れて飲んでいたのですが、彼に対抗して初めてコーヒーに砂糖を入れずに飲みました。苦かったですが、平気を装って飲み干しました。
女の子たちは「え〜、砂糖入れないで飲むんだ、すごい」と言いながら、角砂糖を入れて飲んでいました。
そんな感じでケイ君の家の初訪問は終わったわけですが、その日以来、なぜかケイ君と私は親友と呼べるほど仲良しになりました。
私もイルカのレコードを全部買って聴きまくりました。すっかりイルカのファンになりました。
そして、私とケイ君、ミカちゃんとユキコちゃんの4人でよく遊ぶようになりました。
映画を見に行ったり、札幌に初めて上陸したファーストフードの”ロッテリア”に、出来たばかりの地下鉄に乗って行ったりしました。
小学生の5〜6年生っていうのは、子供が急に大人っぽくなる面白い時期だと思います。
当然ながら、言うまでもなく、言わずもがなの当たり前に、彼女たちとはプラトニックな関係だった訳ですが(笑。当たり前だっつーの!)、あの頃芽生えた嫉妬心とか独占欲とかカケヒキとか、その他もろもろの大人の感情は、全国に1万人の愛人を有するに至った現在の私に引き継がれている気がします。
やがて、中学校に進学する春休み、彼らは3人とも親の仕事の都合で東京に帰って行きました。
転勤族の子供を見送るのは慣れていましたが、この時ばかりは相当ショックでした。
ケイ君の引越しだけは見送りました。
やはり、北海道の春らしく、灰色の低い雲が垂れ込めた寒い日でした。
ミカちゃんとユキコちゃんに、きちんとお別れを言えなかったのはその後ずっと後悔しました。
せめて連絡先くらい交換しておけばよかったです。
で、33年ぶりの真駒内アイスアリーナ。
館内は大きな改装もなく、むせ返るような70年代の雰囲気に包まれていました。
当時は近代的な建物でしたが、今館内に入ると、蛍光灯のまばらな光が少し汚れた壁を照らして、「共産圏?」と思うほど寒々しいです。
33年前にケイ君たちと4人で来たアイスアリーナと何も変わっていません。思わずタイムスリップしました。
本当に懐かしいです。
彼らとはその後会っていないし連絡もありません。
どうしているのか・・。
と思って最近googleで彼らの名前を検索してみたら! なんと!
女の子の一人はとっても有名人になっていました。
著書も何冊もあります。ネットで写真も沢山ひっかかります。
小学生の頃の顔しか知りませんが、間違いありません。たしかに彼女です。
メール送ってみようかな・・・。
迷うな。
もう少し偉くなれたらメールしようかな・・。 どうしようかな・・。
迷うな・・あはは。
さて、懐かしさに任せて小学生時代の回顧録を書いてしまいました。
これ、読んでる人ははたして面白いんだろうか・・。
最後まで読んでいただいてありがとうございました(笑)。
それではみなさんごきげんよう。
真央ちゃんやキム・ヨナ人気でごった返す現代の真駒内アイスアリーナ。