2010年04月16日

タイムスリップしちまった(個人の回想)

風邪ひいてました。いや〜、鼻かんだり、熱測ったり、寝たり、多忙を極めてました。
ブログランキングに参加してます。
さあさあ、今日もクリックしてください。とにかくクリックしてください。一刻も早くクリックしてください。
ブログが更新されてなくてもクリックは忘れないように! (ここだけの話し、クリックしたあなたにだけ幸せが訪れます・・)
人気ブログランキングへ

=============ここから本文=================
そろそろ春ですが、まだ雪が降っていますね。
北海道の春は重苦しくて好きになれません。

本日のBGM(お好みでどうぞ)


今年の冬は子供とその友達を引率して3回もスケートに行きました。
スケートをするのは33年ぶりでした。
スケートには真駒内のアイスアリーナに行ったわけですが、ここは1972年の札幌オリンピックの会場として使われました。
札幌オリンピックでは、女子フィギュアでジャネット・リンが「札幌の恋人」なんて言って一世を風靡してました。当時私は小学生の低学年でしたが、カルピスのCMに出てたジャネット・リンをよく覚えています。

札幌オリンピックの影響もあったんだと思います。私が小学生の頃はスキーといわず、スケートといわず、とにかくウィンター・スポーツが今よりずっと盛んでした。
小学校の帰り道は、ランドセルを放り投げて皆で雪山にジャンプ台を作って、ミニ・スキーでジャンプをして遊んでました。
「3ば〜〜〜ん、荒木く〜〜〜〜ん、ニッカウィスキー」
とかジャンプのアナウンスを真似して、何メートル飛べるか競うのです。
子供の仕業とは思えない巨大で本格的なジャンプ台を作っていたので、長さ30cmほどのオモチャのスキーでも5メートル位は飛翔しました。
たまに頭から雪の固い所に突っ込んで鼻血で雪を染めるなど、流血の惨事になったりするわけですが、今思えばよく骨折したり大怪我に至らなかったな、と思います。

さて、そんな小学生時代をすごしていたわけですが、高学年になってくるとさすがに鼻血で雪山を染めることはなくなり、私はスキー場やスケート場に女の子を何とかして誘って行くのに腐心していました。
小学生なので好きなコと二人でデートみたいに行くのは無理だったのですが、男の子と女の子二人づつの4人で行くのが多かったです。
いわゆる”グループ交際”ってやつなんでしょうか・・・。
”グループ交際”。
なんて素敵な響き・・・。声に出さずに喉の奥で唱えるだけで、甘酸っぱい唾液で舌の根元がキーーンと痛くなるような、色づく前の果実を強引に噛んだような、新鮮すぎる刺激に襲われます。
愛憎と液体にまみれた大人の恋(と呼べるのか?)とはまったく違いますね。

で、高学年の頃にクラスで1番目と2番目に可愛かった、ミカちゃんと、ユキコちゃんに私は熱中してました。
二人とも可愛くてとても頭が良かったので甲乙付けがたかったです。
席変えのたびに彼女たちのどちらかと隣になるように神様に祈りました。
彼女たちへの気持ちは、私の3回目か4回目くらいの初恋だったと思います(笑)。
ミカちゃんはハキハキした回転の速いコで、ユキコちゃんはおっとりした癒し系でした。タイプは違いましたが彼女たち同士はとても仲がよく、姉妹みたいにいつも一緒に行動していました。
昼休みや放課後は彼女たちと、クラスの誰はこういう人だよね、とか、昨日のテレビはああだったよね、とか話すのがとても楽しい時間でした。
二人とも私の話によく笑ってくれました。
なので、私も彼女たちといると次々に面白いことが言えた気がします。

そんな日々を過ごしているところに、ある日、転校生がやってきました。
ケイ君です。
彼は小学生のくせにギターが弾けて、珈琲が好きでした。そして、とてもマセていました。
ミカちゃんとユキコちゃんはすぐにケイ君に興味を示しました。
私は心が穏やかではなかったです。
最初のうちはケイ君と張り合うあまり、上手に付き合えなかったのですが、ある日、ミカちゃんとユキコちゃんと私の3人で、ケイ君の家に遊びに行くことになりました。

ちょうど今くらいの季節でした。
ミゾレが降っている寒い日でした。ケイ君の家は一軒家で、同じ形の家が3件くらい並んで立っている建売りっぽい感じの家でした。
ケイ君の部屋は2階で、隣にはお兄さんの部屋がありました。ケイ君がマセていたのはお兄さんの影響だったのかもしれません。
彼の部屋の壁にはシンガーソングライターのイルカのポスターが貼ってありました。
勉強机の横にフォークギターが立てかけてあり、彼はギターを手に取ると弦をポロッと弾いて「イルカっていいよね」とか言いながら、『なごり雪』の出だしを歌って見せました。

私はなんだか打ちのめされた気がしました。
当時、『8時だョ!、全員集合』で志村けんがやっていた”東村山音頭”は4丁目までしかありませんでしたが、私のとっておきの持ちネタだった5丁目と6丁目バージョンを対抗して歌ってみましたが、ケイ君の『なごり雪』の前にはむなしい抵抗だった気がします。

やがてケイ君のお母さんが上がってきて、お菓子と珈琲を出してくれました。
お母さんはしっとりとした雰囲気の美人でした。
ケイ君は珈琲に砂糖を入れずにブラックで飲みました。
私はいつも角砂糖を2個は入れて飲んでいたのですが、彼に対抗して初めてコーヒーに砂糖を入れずに飲みました。苦かったですが、平気を装って飲み干しました。
女の子たちは「え〜、砂糖入れないで飲むんだ、すごい」と言いながら、角砂糖を入れて飲んでいました。

そんな感じでケイ君の家の初訪問は終わったわけですが、その日以来、なぜかケイ君と私は親友と呼べるほど仲良しになりました。
私もイルカのレコードを全部買って聴きまくりました。すっかりイルカのファンになりました。
そして、私とケイ君、ミカちゃんとユキコちゃんの4人でよく遊ぶようになりました。
映画を見に行ったり、札幌に初めて上陸したファーストフードの”ロッテリア”に、出来たばかりの地下鉄に乗って行ったりしました。

小学生の5〜6年生っていうのは、子供が急に大人っぽくなる面白い時期だと思います。
当然ながら、言うまでもなく、言わずもがなの当たり前に、彼女たちとはプラトニックな関係だった訳ですが(笑。当たり前だっつーの!)、あの頃芽生えた嫉妬心とか独占欲とかカケヒキとか、その他もろもろの大人の感情は、全国に1万人の愛人を有するに至った現在の私に引き継がれている気がします。


やがて、中学校に進学する春休み、彼らは3人とも親の仕事の都合で東京に帰って行きました。
転勤族の子供を見送るのは慣れていましたが、この時ばかりは相当ショックでした。
ケイ君の引越しだけは見送りました。
やはり、北海道の春らしく、灰色の低い雲が垂れ込めた寒い日でした。
ミカちゃんとユキコちゃんに、きちんとお別れを言えなかったのはその後ずっと後悔しました。
せめて連絡先くらい交換しておけばよかったです。


で、33年ぶりの真駒内アイスアリーナ。
館内は大きな改装もなく、むせ返るような70年代の雰囲気に包まれていました。
当時は近代的な建物でしたが、今館内に入ると、蛍光灯のまばらな光が少し汚れた壁を照らして、「共産圏?」と思うほど寒々しいです。
33年前にケイ君たちと4人で来たアイスアリーナと何も変わっていません。思わずタイムスリップしました。
本当に懐かしいです。

彼らとはその後会っていないし連絡もありません。
どうしているのか・・。
と思って最近googleで彼らの名前を検索してみたら! なんと!
女の子の一人はとっても有名人になっていました。
著書も何冊もあります。ネットで写真も沢山ひっかかります。
小学生の頃の顔しか知りませんが、間違いありません。たしかに彼女です。

メール送ってみようかな・・・。
迷うな。
もう少し偉くなれたらメールしようかな・・。 どうしようかな・・。
迷うな・・あはは。


さて、懐かしさに任せて小学生時代の回顧録を書いてしまいました。
これ、読んでる人ははたして面白いんだろうか・・。
最後まで読んだあなたは相当物好きですね。
最後まで読んでいただいてありがとうございました(笑)。

それではみなさんごきげんよう。

真駒内

真央ちゃんやキム・ヨナ人気でごった返す現代の真駒内アイスアリーナ。

Posted by arakihitoshi at 00:16│Comments(9)TrackBack(0)

この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
メール? しちゃいましょうよ!後になって、「あの時メールすれば良かった」って、後悔しても、遅いですもの。真駒内アイスアリーナは、懐かしいです。生まれて初めてスケートをしたのが、ここでした。確か、国家試験の前日に これだけ滑れば、試験は滑らないだろうと、厄払いに行ったのでした。(^^;)
Posted by さえ at 2010年04月17日 00:43
最初気に入らなかったヤツと親友になる・・・
そういえば大学時代に一人いました。
ヒゲを生やしてパイプふかしているようなヤツを
気に入れって方が無理でしょう。
Posted by はむた at 2010年04月17日 11:31
自分の思い出とダブらせて楽しく読ませていただきました。
札幌オリンピックの時は、東京に住んでいました。
テレビは持っていませんでしたので、ラジオで実況を聞きました。
今では考えられませんが、ジャンプの実況放送なんて有ったんですよ。
「ザザザザーッ・・」っていう音がラジオから聞こえ
アナウンサーが「テレマークが見事に決まりました」とか言って。

品川プリンスホテルのすぐ裏に屋内スケートリンクがあって
夜中じゅう滑る若者のイベントとかに、その頃 参加したことも。

コメントしたくなった理由は、
私も最近googleで検索したら!なんと!  なんです。

東京の合唱団で一緒だった人。
当時まだ、東工大の学生なのにマツダのファミリアに乗っていた。
ボロボロの古いバンだったけれど。
それで私の引っ越しを手伝ってもらった。
私の結婚式でスナップ写真係もしてもらった。

先日部屋の整理をしていて、その引っ越しの時に、腕まくりしてタバコをくわえている写真が出てきたんです。
「あいつの名前検索したら出てくるかな?」ってやってみました。
びっくりして、妻を呼びましたよ。「こ・こ・これ見て!!」
マツダ(自動車)の役員の上から○番目に載っている。
(北海道二期会のスポンサーになってくれって、連絡しようかな?)

ベッツィ&クリスのスリーピッキング奏法も
そのころ練習していたなぁ〜
Posted by けんたい at 2010年04月17日 13:29
今では命名権を買われてしまって、「セキスイハイム」なんて企業名が冠されてしまった真駒内アイスアリーナ。正面玄関上に掲げられていた栄光の五輪マークもJOCにはずされてしまって、真駒内に行くと前を通る度に寂しく思いますです。
オリンピックのときは、アイスホッケーとフィギュアを見に行って、あの天井を見上げると円盤型の照明が美しく、今で言うと札幌ドームの中に初めて入ったときと同じ興奮と感動を覚えたものだったなぁ・・・。札幌にもスゴい施設が出来たものだと、子供心にほんとに感動したんだから。試合中に弟が迷子になってセンターに保護されたオマケもついて。
ホッケーは米国vsソ連。隣の席にいたアメリカ人夫婦の応援のエキサイトぶりにビックリしたものだ。手製の横断幕を掲げてて、米国チームがゴールに向かうと「ゴーゴー、レッツ・ゴー!!」って、ものすごいシャウトで、拳を突き上げてね、当時そんな応援をする日本人はいなかったから、間近で見て、ほんとに驚いた。
フィギュアはペアを見に行ったんだけど、今みたいなアロバチックな技なんかなくて、ほとんど憶えていないんだけど、合間にシングルのメダリストたちのエキシビジョンがあって、そっちの方をよく憶えている。ジャネット・リンは、確かに記憶に残る選手だったけど、俺は銀メダルのカナダのマグヌッセンていうおねえちゃんの方が可憐で好きだったなあ。傘を持って「雨に唄えば」に乗って舞う姿は、本当に可愛らしかった。一方、記録に残る選手、金メダルの大柄なおねえさん(オーストリアの人だったと思うけど)は、名前も思い出せません。
札幌五輪・・・もう、懐かしいというより、遠い歴史上のうっすらとした記憶になりつつあるのが、悲しいですね。アイスアリーナ自体は、その後もコンサートとか、バスケットの試合とか、荒木さんと同様に子供を連れてスケートをしにいったりとか、何度も訪れてはいるんですがね・・・。
Posted by hikochin at 2010年04月18日 10:20
いっきに読み上げてしまった私は変?(笑)
甘酸っぱい思い出…いいですね。情景がリアルに想像出来て、NHKの「わたしが子どもだったころ」見てるみたいでした。
Posted by めい at 2010年04月18日 14:21
札幌オリンピック…
そういえば、日本海に面した萌える街にも聖火が来るぞー市役所前に来るぞーーって、その手前の方で待ち構えてお子様連中でぞろぞろと聖火ランナーの後ろを追っかけて走っていった記憶があるなぁ…( ̄  ̄*)…何年か後に映画鑑賞会で記録映画見たっけなぁ…(はるか遠い目)
Posted by ごまふ at 2010年04月18日 21:58
みんな書き込みありがとう!\(^。^)/
いや〜、今回は超個人的なネタにみんな引くかと思ったのですが(笑)。
”甘酸っぱい思い出”とか、”嫌いやつと仲良くなる体験”とか、やはりみんさん似た経験をお持ちなんですね。

札幌オリンピックは私は経験したというにはまだ幼かったのですが、あの時代の空気感はなんとな〜〜く覚えてます。
直後にオイルショックとかはあったけど、いい時代だったんでしょうね。きっと。
Posted by あらき at 2010年04月18日 23:43
五輪体験では、私は荒木さんより、ちょっとだけ年上かもしれない。
真駒内では一度しか滑ったことがなかったけど、小学校が美香保体育館に近かったので、そこが「ぼくらのホームリンク」でした。
あのころの小学生は、スキーだけでなく、みんなマイ・スケートも持ってましたよね。私も放課後とか日曜日に女の子含めたみんなで滑りに行ってました。思い出した、思い出した。隣接して屋外リンクもあったっけ。
でも今の子はスキーも下手だし、ミニスキーで遊んだこともないってんだから、北国の子供もつくづく軟弱になったものです。もう将来優秀なオリンピック選手は道内から出てこないかも。
そういえば、オリンピックでは、美香保はフィギュアの「規定」の会場でした。規定って言っても、若い人は知らないだろうけど、選手はみんな後ろ向きに八の字とかに滑って、その円の正確さを競うものでした。家から歩いて行ける会場でオリンピックをやってるって言って、勇んで家族で見に出かけたものでしたが、すごく退屈で、ジャネット・リンを生で見たこともほとんど憶えていません。なるほど、今では廃止されて、ショートプログラムに変わったわけです。
Posted by A.S at 2010年04月19日 23:35
小学校の頃のおもひでですか…ふふふ。今回のあらき先生のコラムのお陰でいろいろ思い出してきますね。ところで、スケートといえば、最後にスケートに行ったのは多分小学校の6年生で、男だけ3人で代々木に行ったと思うのですが、そのうちの1人は今札幌に在住でして、しかも私が札響を聴きに札幌をお邪魔するのがきっかけで、4年前におよそ30年ぶり位で再会することができました。これも札響の縁のお陰です。ありがとうございます。
Posted by よこおじゅん at 2010年04月21日 22:11

コメントする

名前
 
  絵文字