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「北の大地で育ったチェロ奏者たち2」のコンサートが終了した。
500人入る札幌サンプラザホールが満席に近い盛況であった。
前売りの他に、当日券だけで50枚、プレイガイドが30枚という売り上げは、室内楽系の演奏会としては異例の多さといってよい。
ご来場のみなさま、ありがとうございました。
この演奏会は私のチェロの恩師である上原与四郎先生の喜寿を祝って、全国から弟子が集まって演奏した。
前回は1986年に「北の大地で育ったチェロ奏者たち」という演奏会が、同じサンプラザホールで行われた。
私事だが、このときは私はまだチェロ奏者としてはこの世に存在していなかった。
当時、独協大学という普通の大学の経済学部に行っていた私は、ちょうど帰省中でその演奏会を聴く事ができた。
上原先生の弟子の中でも高弟と言っていいプロになった人たちが出演していた。
中には首都圏のオケの首席奏者たちやN響の団員なんかもいて、それはそれはきらびやかな眩いばかりの陣営で、ヴィラ=ロボスのブラジル風バッハなどが演奏された。
私はその物凄さに完全に圧倒され、ただただ阿呆のように口を半開き状態で演奏に聴き入ったのだった。
で、終演後のパーティーに先生にお祝いを申し上げるために恐る恐る出席した。
そこで、上原先生にお願いして出演していた毛利伯朗先生を紹介してもらった。
その後、東京に帰ってから毛利先生には札響に入るまで長い間お世話になった。
毛利先生は今では日本のチェロ界の重鎮といってよい存在だが、当時はまだ30代で、アメリカから帰ってきたばかりだった。今よりはかなり時間もあったように見えた。なので、アマチュアだった私のレッスンも熱心にしていただいて、レッスンの後にビールや夕食をご馳走になったりしたこともあった。ずいぶんといい思いをさせていただいた。
それが
そんなわけで、私は「北の大地のチェロ奏者たち」にはずっと因縁を感じていた。
今回は、上原先生の喜寿ということで、あの演奏会をもう一度!ということで、門下の文屋さん(札響)と竹本さんと私の3人で実行委員会を作って企画した。
私は上原先生の定年退職と入れ替わりで札響に入ったので、私が入団17年目、ということは先生は喜寿ということになる。
コンセプトが”お祝い”ということもあり、今回はプロ・アマ関係なく声をかけて、沢山で演奏しよう、ということになった。
それもあって、事務処理は煩雑を極めた。
私は主に郵送・連絡係りだったのだが、ハッキリ言って発狂しそうなほど雑用が多かった。
しかも、料金別納で送ったはずの郵便物が大量にスタンプ未押印で戻ってきたりした。なので今回の郵政改革に対しては憤りを感じる日々を送ったりもした。
でもまあ、今回はプロの連中もみんなノー・ギャラ&顎足自分持ちである。音楽業界において師弟関係というのは親子の絆と同等に強いのである。あえて例えるなら括約筋のような強さと言えましょう。
その程度の苦労は当然と思わなければなりません。
さて、結果的には昨日の演奏会は「やってよかった」と心底思えるものになった。
全国から弟子が集まってくる関係上、合わせのための練習は前日のたった一回のみ。
なので合奏上のクォリティーに問題がなかったかと言えばあったと言わざるをえないのは事実だ。
それでも感想を言ってくれたお客さんには、「良かった」と言ってくれた人が多かった。「面白かったよ」と言ってくれた人も何人かいた。
話がそれるが、この「面白かった」という言い回しは、まま使われるフレーズではあるのだがけっこう微妙で、良かったと思ったのなら「良かったよ」と言うはずのところを、ちょっと捻った「面白かったよ」という言い方をチョイスするということは、「必ずしも良かったとは言えないけど、面白くはあったよ」という意味なのか・・、とこちらとしては穿った見方をしてしまうのだ。(やましい気持ちがあるときはなおさら(笑))
演奏家はお笑い芸人ではないので、お客を面白がらせようと思って演奏しているわけではない。
なので「面白かった」といわれるのは必ずしも嬉しくはない。
しかし、こういう時には、次は「良かった」と言ってもらえるようにさらに精進しよう、と考えるのが真摯な態度というものだろう。
それでも今回に限っては総合的には聴いてもらう価値のある演奏会だったと私は自負している。
特に最後の上原先生のソロを約30人の弟子たちが囲んで伴奏した、ボッケリーニの間緩楽章と、アンコールの「鳥の歌」は感動的だったと思う。
私も思わず目頭が熱くなったし、会場で涙ぐんでいるお客さんを何人も見た。
人生をチェロの演奏と指導にひたすら捧げた老チェリストが、多くの弟子に伴奏させてする渾身の演奏が、私が門下生であるという事を差し引いても、価値がないはずは無いだろう、と思うのだ。
上原門下のチェロ奏者の人数はとにかく多い。
郡響から創立当時の札響に先生が来ていらい、絶え間なく輩出された弟子の数は一体何人になるんだろう・・。
日本のチェロ奏者の人口の数パーセントくらいは占めると思う。
国会における社会民主党議員の占める割合よりは多いと思う。
公明党よりちょっと少ないくらい?
まあ、とにかく多いのである。
で、そうした弟子たちに囲まれて喜寿の演奏会でソロを弾く先生は、こういってはなんだが、本当に幸せそうだった。
私はあんな充実した喜寿を迎える自信はない。
昨日の演奏会の打ち上げは大いに盛り上がって、家に帰ったのが3時頃だった。
それでも今日は午前中からレッスンをやって、午後は札響の練習に行って、夜も夕食のあとレッスンをやって、やっとさっき開放された。
ハタラキたい、というより、ハキたい。という状況の中、なんとか1日をこなしたわけだが、これを喜寿まで続けるのか・・・、
だめだめ。絶対ムリ!
ま、それはそれとして、
今回は先生のお祝いができたのも収穫だったが、それに劣らない収穫として、門下生同士の交流ができたことだ。
特に若い世代の人たちと交流ができたのは嬉しかった。
少し前に「先生のところに上手な中学生がいるらしいよ」なんて聞いてたコが、プロオケの楽員や首席奏者になってたり、日本の若手を代表する一人になっていたり。
私なんかすっかりベテラン扱いされる始末であった。
チェロ奏者としてこの世に存在していなかった1回目の「北の大地」コンサートから25年。
長いような、あっという間なような・・。
人の一生って言うのは意外と短いものなのかもしれないと思う今日この頃である。
だったら好きなことやったほうがいいな・・、と思う今日この頃である。
で、まだまだ若いモンには負けんで〜〜〜 とひそかに思いたい今日この頃である。
それではみなさんごきげんよう。
前半で演奏したヴィラ=ロボス「ブラジル風バッハ第1番」のリハーサル風景(向かって左から3番目が私)