2011年04月13日

モノローグ

みなさんお久しぶりです。
前の更新が・・、2月22日か〜。なんだか遠い昔のような気がします。危うくログインのパスワードを忘れるところでした。
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さて、震災後初めてブログを書きます。

あまりにいろいろな事が起きて、それは天災であり、中には天災とばかりも呼べないものもあり、
復興とは裏腹に、こうしている間にも事態が悪化していることもあり、
日常とはこんなにもあっけなく断絶してしまうんだな・・・、と意識の奥の方でぼんやりと呟いていたり、
日本の将来への不安と希望が交錯し、それは同時に自分の将来にも直結しているのだなという現実味を帯びた実感があり、
TVで見る映像と自分の身の回りの変化のない景色との乖離感に、何とも言えない身の置き場のなさを感じたり、
もっと身近な事を言えば、仙台フィルや山響など東北のオケはもちろん、首都圏や全国のオケに波及して来るであろう非常に厳しい状況、

それもこれも含めて、何も書けませんでした。


音楽家というのは政治的な事を言ってはいけない、というのが私の信条です。(唯一言っていいのは、自分に関係する文化予算が削減される局面でそれに反対する時だけ)
私はとても音楽家らしく見えませんが、一応演奏を生業にしているので音楽家のカテゴリーに入る人間です。
そして私は本来政治に興味が無い人間ではなく、政治的な内容で書きたいことはたくさんあるのですが、今までHPを運営し、ブログを書き続けて15年くらい経ちますが、政治的な事を書かないという自らの掟を破ったことは一度もありません(たぶん無いような気がします)。
新聞記事やTVの(政治的な)ニュースに安易に突っ込みを入れる事も、ネットを含む公の場所では厳に慎んでいるつもりです。

では、なぜ音楽家は政治を語ってはいけないと思うのか、
理想的なことから先に言うと、
音楽は全ての思想信条の人の癒しのためにあります。
ベートーヴェンやモーツァルトの音楽に政治的な色を付けることは芸術に対する冒涜です。
例えば、民主党寄りのオーケストラとか、自民党寄りのオーケストラ、なんていうものが存在してはいけないのです。
「○○党寄りのオーケストラが演奏したベートーヴェンなんて聴きたくないよ」などという感想が出るような情況を生んでは絶対にダメです。
(個人の音楽家とオーケストラは違うという考えもあるでしょうが、私はオーケストラを法人としての音楽家ととらえています。なので敢えて区別せずに語ります)
音楽家とはそういう俗事から超然と存在する特権を与えられた存在なのだと私は思っています。
逆に言うと、そういうルールの下で存在を許されている存在でもあると思います。
一部を除く一般的な(私のような)音楽家は貧乏で社会的な力もありませんが、その一点のみにおいては特権階級なのだというプライドは捨てるべきではありません。

そして現実的な事をいうと、
仮にどこかの政党寄りのオーケストラなんていうものがあって、さあ政権交代があったので助成金はカットです。などという事があっては困るのです。
そして現代日本のオーケストラにあっては、大企業含め多くの寄付金を募って運営しています。
さらに言うと、私はオーケストラの団員であると同時に公益財団の職員でもあります。
当然そこには”配慮”というものが必要になってくるでしょう。
これは汚いとか卑怯とかいう次元の話しではなく、
例えば、バッハが教会支配に反対し、政教分離を叫んで音楽ができたか?
ベートーヴェンやモーツァルトが、貴族政治打破のシュプレヒコールを叫んでウィーンの街頭をビラを撒きながらデモ行進して、それでも作曲活動を続けられたか?
ショスタコーヴィッチが共産党の一党独裁体制を公然と批判して命があったか?(ショスタコーヴィッチに関しては例外的な見方もできますが)
ということです。(ちょっと極端な例でしたが)
では、どうやって個人としての自分と音楽家としての公人の自分との調整を図るか?、というと、
それは、「政治は語らない」 に尽きると思います。


さて、そういうバックボーンを踏まえた上で、
今この時期に、政治にも触れずに、行政にも選挙にも原発についても一切自分の意見は言わずに何かモノが書けるか?
政治とはまったく無関係に今回の災害について書けるか、あるいは地震など無かったかのように相変わらずルパン三世やカメラについて熱く語れるか? という問題。

これは(私にとっては)非常〜〜〜に難しいです。

とはいうものの、こんなオタクっぽい内容のブログの、しかも2ヶ月間近くも更新していないのに、毎日100〜200のアクセスがあり、ブログ・ランキングも10位代にとどまっているというのは、
本当〜に物好きですね、おまえら。 本当にありがたいです。
なので今日は昨今の心境について語ってみました(照)。

それでは、あばよ!



Posted by arakihitoshi at 08:53│Comments(6)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
ホームズ!生きていたかい!

こちらは大変な揺れに悩まされているよ!
地震当日は、過去経験したことのない揺れに、生きた心地もしなかった。
13時間も停電したんだよ、我が家も。
ここら辺は、内陸部で比較的地盤がかたいので大丈夫だが
30分も行けば埋立地。液状化が大変さ。

その後も毎日毎日余震がすごくて...もう、余震なんだか、めまいなんだか、わからないよ。

テレビから送られてくる悲惨な映像、計画停電...追い討ちをかける原発問題...
われわれ大人は、もう好きなことやって大きくなったんだからいいけど、
子どもたちの将来を考えると、やりきれなくなるね(涙)

また、コメントするよ!
では!ごきげんよう!
Posted by ワトソンくん at 2011年04月13日 13:09
Dear Watson,
まずは君と君の家族の無事を確認できて安心したよ。
ボクのいるベーカー街は何も変わっていないのだが、
そちらの情報に毎日心を痛めているよ。

君やみんなといろは坂を登ってライヘンバッハの滝を見に行ったのは懐かしい思い出だが、
子供たちの世代にもこれからいい時代を送って欲しいからねぇ。
僕たち大人が、はっ! 頑張らなければならないというものだろう。

それではくれぐれも元気ですごしてくれたまえ!
Sincerely,Holmes
Posted by ホームズ at 2011年04月13日 16:20
こんにちは。文化は政治からは独立しているのがいいですよね。しかし、時代によってはカラヤンがナチスに入党していたとか辛い時代があったことは事実かと思います。この大震災に関して音楽家の皆さんというか、関係者の皆さんにお願いしたいのは、できるだけ自粛せず音楽会などイベントを行なって頂きたいということです。過度の自粛はいけません。計画停電などで物理的な制限があれば別ですけど。宜しくお願い致します。
Posted by よこお じゅん at 2011年04月15日 21:33
今日はずっと聴いてみたかった札響によるサンダーバードが現実に聴けて、とてもうれしかったですよ。
そういうことで十分ですよ。なにもいらないです(何言ってんだかわかんないかもしれませんが)。

「われわれ大人は、もう好きなことやって大きくなったんだからいい」
なんか、昔見た黒澤明の場年の作品「夢」の1エピソードを思い出しましたよ。
福島の事故を20数年前にもう予言していたかのような映画でしたっけ。台詞の中に出てくる原子炉の数まで同じでした。
10年後も20年後も政治がどう変わろうと変わらなかろうと、子供たちが安心して演奏会聴ける日本であってほしい。それだけで十分ですよ。
Posted by A.S at 2011年04月17日 20:24
よこおさん>
>できるだけ自粛せず
同感ですね。
なんでもかんでも自粛すればいいというものではないと私も思います。
中には「便乗自粛」もあるのかもしれませんが・・。
主催者の方に開催の判断をしていただく雰囲気作りをしていかないといけませんね。

>A.S.さん
黒澤明の「夢」は私も何度か見ました。が、そうでしたか、原子炉の数まで同じでしたか。
あの映画に出てきた「でかいタンポポ」は現実には絶対に見たくありませんね。

サンダーバードも良かったですが、個人的にはクレイジー・キャッツ・メドレーに異様に興奮していました(笑)
あ〜、歌いたい。
Posted by あらき at 2011年04月19日 00:52
ブログ開設しました。(^^)v
Posted by あけんこ at 2011年04月19日 12:46

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