こないだ久しぶりにコミュニティーFMで喋ってきました。
テーマは「S村河内守」(笑)。
事件はSTAP細胞の彼女にすっかり話題を持って行かれたしそれすら既に過ぎ去ろうとしている今、遅きに失した感がありますけど・・。
ラジオで話すためにせっかくいろいろ調べたのでとにかく今回は喋ってきたことを書きます。
不謹慎と言われるかもしれないけど、当初私はあの事件は実に楽しくウオッチしてました。
まるで「こち亀」の両さんが悪のりした時みたいな「現代日本のベートーヴェン」。
本当に笑わせてもらいました。
ま、結果的に公演が中止になったりして我が社も被害を被ったので笑い事では済まなくなりましたが・・。
でも本音はわたし、芸術的な視点だけで考えると「S村河内氏は実はそれほど悪くないのではないか?」と今でも思っています。
ネットを見て回るとS村河内は大衆を騙したので悪い、という意見が大半というかほぼ100%なのですが、でもどうなんしょうか?
S村河内氏は全聾で被爆二世で、そういう人が苦労して書いたからこそ彼の曲は皆に感動を与えた。と多くの人は主張します。
「嘘だったなら感想なんてしなかった!。感動を返せ!」ということなのかもしれません。
確かに全聾で被爆二世というのが嘘で、ナントカ金を不正受給していたとしたらそれは法的には悪い。
しかし、それで曲の芸術的な価値が損なわれるわけではありません。
本来芸術の価値というものは絶対的なものです。まずそこをハッキリさせましょう。
障害者が書こうが健常者が書こうが曲の芸術的な価値に何ら変わりはありません。オリンピックとパラリンピックの記録が違うのとは違います。
交響曲「HIROSHIMA」で多くの人が立ち上がって泣くほど感動したのなら少なからず芸術的な価値があったのではないでしょうか?。「感動を返せ!」なんて言わないで自分の感動にもっと自信を持ちましょう、と言いたいわけです。(ちなみに私はYouTubeで断片的にしか聴いていないので分かりませんが・・)
極端な話しをすると、
仮に(あり得ないだろうけど)21世紀の研究が進んで、ベートーヴェンは実は耳が聴こえていたことが分かった!としましょう。
彼には虚言癖があって単に老人になって耳が遠くなっただけなのに「聴こえなくなった!」と騒いでいただけだった、とします。
彼の遺したたくさんの補聴器は彼が補聴器マニアで蒐集していただけだったとします。(たとえ話ですからね、怒らないように!(笑))
それで「運命」や「田園」や「第九」の価値が下がりますか?
「ベートーヴェンに騙された!」と怒りますか?、という話しです。
それは「運命」や「田園」の価値が絶対的であるからです。芸術とは本来そういうものです。
交響曲「HIROSHIMA」含め彼の曲は、S村河内氏やレコード会社が芸術的価値とは違ういわば”商業的”価値を確信犯的に付加して売ろうとしていたことは疑いようがありません。
それによってCDは爆発的に売れ、その後にゴースト・ライター氏が名乗り出たことで商業的な価値は消え失せました。
しかり繰り返しになりますが、楽曲が商業的な価値を損なったからといって芸術的な価値まで失ったわけではありません。(あればの話しですが)
モーツァルトのレクイエムの作曲の経緯は有名ですね。
依頼主のヴァルゼック伯爵が自分で写譜して自らの作曲であると偽って発表したというのが定説です。
ヴァルゼック伯爵の行為はおバカという他ありませんが、彼がいなかったらあの名曲は世に生まれなかった訳ですから、われわれは伯爵に感謝しなくてはいけません。
この手の話しはクラシック音楽の歴史において枚挙に暇が無いほどありますよね。
近いところではカッチーニのアヴェ・マリアやアルビノーニのアダージョ。クライスラーの前奏曲とアレグロやバッハのト調のメヌエットなどが贋作として有名ですし、ハイドンのチェロ協奏曲第2番も20世紀に手稿譜が見つかるまでは贋作と疑われていました。(このあたりは全知全能のインターネットで調べてラジオでは訳知り顔で話す箇所です(笑)。
しかしこれらの曲は誰が作ろうが名曲であることには変わりありません。
贋作であろうがなかろうが関係なく皆に演奏されて聴かれてきました。
S村河内氏がゴースト氏に宛てた作曲の指示書がネットに出回っていましたが、
「何分何秒〜何秒はペンデレツキ風に、何秒〜何秒は大音量で盛り上げて、ここは○○音階で・・」などとかなり緻密です。
素人といえど相当なクラオタなんだろうな・・・・、と推察できる内容です。
あの指示書がなければ普段はバリバリの前衛音楽作曲家のゴースト氏が万人ウケする「HIROSHIMA」を作曲しなかったことは明らかで、
それならばS村河内氏は少なくともヴァルゼック伯爵よりよほど楽曲の誕生に貢献したと言えます。
むしろ、私が驚いたのはゴースト氏のカミングアウト行為です。
ゴースト・ライターなんて前出のクラシック音楽の歴史は言うに及ばず、現代の○○界や○○業界でも当たり前のコンコンチキでいわゆる公然の秘密的に行われている行為なんじゃないですか?。
私の友人にもゴーストライターなんてたくさんいますよ(笑)。
そのゴーストさんたちがみんなカミングアウトしだしたら世の中大変なことになりませんか??
なので一旦引き受けたゴースト行為は口が裂けても公に言わないのが鉄の掟です。
S村河内氏のゴーストさんは彼を知っている人は皆口を揃えて「真面目でいい人」と言います。
”正直で働き者の(笑)ゴースト・ライター”に鉄の掟を破らせた本当の理由がきっとあったのかもしれません。(・・・よほどの理由じゃないと許されないと思いますが。←ここ重要)
なにはともあれ、我が社で公演が中止になってしまった「HIROSHIMA」、興味が持続しているうちにぜひ演奏してみたいです。
今日はここまで。
あ、下の押しといてね! ほんじゃらな!(。・_・。)ノ
(※今回の記事には反発もあると思いますが、ネットで不毛な議論をする気はないので反対意見のコメントはスルーします。あしからず)